命運(生かすための安息日の福音)
命運
シラ3:23 できないことに手を出すな。 お前に示されたことは、 既に人間の理解を超えたものなのだから。
※その伝える意味において、わたしに示された意味は、既に人間の思考で理解する枠をはるかに超えたものであり、その意味を理解できない状況であるというものである。
この言葉も記されている故、こうなることも知り得ていたのである。
シラ3:26 心のかたくなな者は、晩年になって苦しむ。 危険を好む者は、それによって身を滅ぼす。
シラ3:27 心のかたくなな者は、重荷を負って悩み苦しむ。 罪人は、罪に罪を重ねる。
※その意味においては語る意味は神から降ることばであるという意味なのだが、その言葉にかたくなに心を閉じて聞かぬのであれば、その意味は記されているとおり、反逆者として、神の言葉に逆らう者という定義が成り立つ。
2:3彼はわたしに言われた、「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの民、すなわちわたしにそむいた反逆の民につかわす。彼らもその先祖も、わたしにそむいて今日に及んでいる。
※この意味において、イスラエルの民とはイスラエルの民族も含むだけではなく、隠された神の民である日本人の意味が主の民という意味になる。
されど彼らはその言葉を聞いても聞く事もせず、キリストが言われている預言の部分の事実が起きていることだ。
2:4彼らは厚顔で強情な者たちである。わたしはあなたを彼らにつかわす。あなたは彼らに『主なる神はこう言われる』と言いなさい。
※結局、主が言われた通り、「厚顔で強情な者たち」なのである。
かたくなにその言葉を聞こうともせず、定められた「死の宣告」を受けることが定まる。
2:5彼らは聞いても、拒んでも、(彼らは反逆の家だから)彼らの中に預言者がいたことを知るだろう。
※ここで問題なのは、「彼らの中に預言者がいたことを知るだろう。」という言葉である。その伝えるべき解読文章の中には特定の人の意味もあり、それが記された後に現実となること。
もし、現実に起きていないのであれば、わたしの語る意味は偽りであり、何の意味もない。
だが、その言葉で語る意味が現実に起きすぎた。
その意味は記された意味において明白となり、その意味において確定している事実である。
わたしの意味においても記されているとおりであり、その苦しみを負うのも現実である。
2:6人の子よ、彼らを恐れてはならない。彼らの言葉をも恐れてはならない。たといあざみといばらがあなたと一緒にあっても、またあなたが、さそりの中に住んでも、彼らの言葉を恐れてはならない。彼らの顔をはばかってはならない。彼らは反逆の家である。
※これに記されているとおり、わたしの言葉を聞いた者は、その言葉に正面から怒りの刃を向けた者も存在する。
記されている意味において、到底信じることができぬ内容である意味も明白であり、その結果さえ記されている。
その言葉を語る意味において、わたしの状況がとてつもない茨の中にあろうとも、その生活の内容がサソリの中にいるような状況でも、その掟は守る生活をしている。
今現在、わたしの夕食の食卓からは、その掟を守る故に、白いご飯が夕食から消え、記されているやるべき意味、神の申す「人の汚れを取り除くパン」を390日間定められ、それを遂行している。
これの結果において、記されている事実は「水不足」と「食糧不足」に人民を追い込む意味があり、今起きている部分で、その意味は世界で確実に進行している。
わたしは示されている意味において、水を選んでいるので世界に洪水の出来事が起きていることも事実である。
洪水の意味が起きる時は前もって、脅威を伝え、その出来事が起きる時と同時進行で言葉をつづる。
その後にその町は洪水で包まれる。
要するに予告の意味を持つ「預言」である。
地震のときも同様である。
その前にその見ている人々の意味において「雲の情報」を伝え、その後に言葉が始まり、それが現実になると地震が起きる。
「何もなきように」といえば、その意味を守護する意味になる。
2:7彼らが聞いても、拒んでも、あなたはただわたしの言葉を彼らに語らなければならない。彼らは反逆の家だから。
※彼らが聞いても、中には耳を傾ける者もおる。
拒んでも、頑なに心を閉ざし拒否する者もおる。
わたしの意味はその起きるべき神の裁きの後に生き残る者らへの伝達なのである。
当然、その意味を断固拒否して聞かぬ者の運命は過酷である。
とくに記されている意味において現実の意味があるのだが、
41:10恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。
驚いてはならない、わたしはあなたの神である。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、
わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。
41:11見よ、あなたにむかって怒る者はみな、
はじて、あわてふためき、
あなたと争う者は滅びて無に帰する。
41:12あなたは、あなたと争う者を尋ねても見いださず、
あなたと戦う者は全く消えうせる。
※この記された意味において、それを拒み、怒る者がいたのだが、その運命は見るのに忍びない。
「見よ、あなたにむかって怒る者はみな、はじて、あわてふためき、」とあるように、その意味においてそれを知るときは恥じて、慌てるというのである。
「あなたと争う者は滅びて無に帰する。」とあるように、命を取られ、死にゆく運命にあるということである。
「あなたは、あなたと争う者を尋ねても見いださず、」、どうなっているかと尋ねた時に、その運命が死の意味を知り得るのは悲しいことだ。
41:15見よ、わたしはあなたを鋭い歯のある
新しい打穀機とする。
あなたは山を打って、これを粉々にし、
丘をもみがらのようにする。
41:16あなたがあおげば風はこれを巻き去り、
つむじ風がこれを吹き散らす。
あなたは主によって喜び
イスラエルの聖者によって誇る。
41:17貧しい者と乏しい者とは水を求めても、水がなく、
その舌がかわいて焼けているとき、
主なるわたしは彼らに答える、
イスラエルの神なるわたしは
彼らを捨てることがない。
※わたしの行動はその意味において、見捨てることはしないのだが、それを悟らぬために死の危険にさらされることは現実に起きていることで、考えなかればその意味からは回避できない。
13:13み言葉を軽んじる者は滅ぼされ、
戒めを重んじる者は報いを得る。
13:14知恵ある人の教は命の泉である、
これによって死のわなをのがれることができる。
13:15善良な賢い者は恵みを得る、
しかし、不信実な者の道は滅びである。
13:16おおよそ、さとき者は知識によって事をおこない、
愚かな者は自分の愚を見せびらかす。
13:17悪しき使者は人を災におとしいれる、
しかし忠実な使者は人を救う。
13:18貧乏と、はずかしめとは教訓を捨てる者に来る、
しかし戒めを守る者は尊ばれる。
※記されている意味の預言書に語られている意味が、この世の人民に対する出来事と、友らの運命が克明に記されている。
それに記された「死ぬ運命」を悟れば、それに追い込むのではなく、わたしの語る意味は、たとえ当初は理解されずに言葉の刃を受けても、
知恵ある人の教は命の泉である、
これによって死のわなをのがれることができる。
この意味がすべてであり、悟ることによって生きることができるというものである。
※当然当人たちは、その言葉の意味を見ていないので、知る由もないのだし、それの意味を見抜くのが、神の聖霊に出会う者の命運であること。
3:10わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
3:11神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
※こう記されているように、その記されている意味を見抜く事は人にはできず、わたしがかつて主に出会い、その意味を植え付けられている意味は隠されている意味があったことだ。
「それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」とある。
やがて、わたしは隠されている意味において、全貌を悟ったから、その者らに行くのである。
友を見捨てて、わたしだけ生き残る運命はわたしは選ばない。
どうにかして、その心に深き傷を負おうとも、その定められた死から
解放させることが「義」ではあるまいか。
悪しき使者は人を災におとしいれる、
しかし忠実な使者は人を救う。
※わたしが善良の人間であれば、彼らを救うことができるだろう。
忠実な使者とあるので、神の御言葉に忠実である。
貧乏と、はずかしめとは教訓を捨てる者に来る、
しかし戒めを守る者は尊ばれる。
※かつてはその意味を悟らずに神の教える教訓から離れた意味がある。
それでは生きてゆけない。
それが原因で、神から戒めを受けてすべて理解した。
わたしも心より神を畏れるのだ。
「しかし戒めを守る者は尊ばれる。」とあるように、わたしの意味は必死故、
半ば、強引だった部分もある。
されど悟らねば、その運命の記されているとおりに命をなくすのでは、この世の民を想う神の意向を裏切りはすまいかと思うのである。
48:10見よ、わたしはあなたを練った。
しかし銀のようにではなくて、
苦しみの炉をもってあなたを試みた。
48:11わたしは自分のために、自分のためにこれを行う。
どうしてわが名を汚させることができよう。
わたしはわが栄光を
ほかの者に与えることをしない。
48:12ヤコブよ、わたしの召したイスラエルよ、
わたしに聞け。
わたしはそれだ、わたしは初めであり、
わたしはまた終りである。
※結局、わたしは神に選ばれた申し子。
神に出会い、それを植え付けられ、その意味を守る。
わたしはわが栄光を
ほかの者に与えることをしない。
※その意味を悟る者も実際に存在する。
人生とは苦しんでも、いかに生を得るかで決まるのである。
それが神から降る教えなのだが、その意味において人々は
その尊い教えに耳を開いていない。
それも命運。




