第四章
僕に薬瓶を差し出したのはマーリンと言うそうで、ババと呼べと言われた。
ババ様の薬はひどい味がした。草木が茂った森を土ごと大鍋に入れて全てが液体になるまで煮込んだような味だった。そして、僕はノドの奥にある苦味と格闘しながら、なぜか謁見の間で一国の王の前に立っている。ボロ切れを着た人の姿で。
「お前が例のドラゴンか……うむ。マーリン! 捕らえてこいとは言ったがなぜ人の姿なのだ?」
「それは人になる劇薬を飲ませたからですわ。」
国王はうーむと困ってる様子だった。僕はてっきり簡単に衆目の中で殺され、晒されるものだと思っていたがそうではないらしい。
「そうではなくて、人の姿ではなくドラゴンのまま連れて来れば良かったのでは?と聞いておるのだ。」
「それは人の姿のままの方が連れてくるのが楽だったからですわ。街の中をドラゴンに首輪をつけて闊歩もできますまい。」
見た感じだと、国王は何かを言いたいようだ。モゾモゾしている。
「それもそうだが……お前には人の言葉を話せない者を、話せるようにする薬なんぞも持っておっただろう。それでも良かったのではないか?」
「ほほう。もしや、我が主殿はドラゴンを間近に見てみたかったのですな?」
国王はハァとため息をつくと、僕の方に顔を向けた。
「確かユーサーといったな。ライアンから聞いたが、お前は騎士隊に入りたいそうだな。」
「はい。」
僕は静かに決められたセリフをなぞった。ババ様は肩を震わせて静かに笑っている。
「そうか。しかし、簡単に決定は下せないのだ。いくつか私の質問に答えてくれ。よいな?」
「はい。」
ここまで全て順調。
「お前は東の火山の一族だそうだな。なぜ、あんな大岩の所で我が娘と会っていた?」
「僕はこの頭の毛の様な白い色の竜でした。体の色が違った為に一族から追い出されました。そして、酷い傷を負って倒れていたところを助けられました。大岩という住処も与えてくれました。姫君にはとても感謝しています。だから、騎士隊に志願しました。僕の体が燃え尽きようと忠誠を尽くすつもりです。」
だいたい本音だ。本当は大きな声で口調を強くした方が良かったのかもしれないけど、僕もいくらか緊張しているらしい。
「なるほど。それでは娘の傷については?」
「大変申し訳ないと思っています。竜の鱗は魚のより鋭く滑らかにできています。一緒なって遊ぶと切り傷を負わせてしまうのは分かっていました。傷を負わせてしまう度に心苦しくおもいました。故意ではありません。本当に申し訳ありません。」
腰を曲げて頭を下げた。
「……まあ、良かろう。娘が生傷を負って帰ってくるのなんて日常茶飯事なのでな。お前も気にやむではないぞ。騎士隊にドラゴンが入るとなると私も嬉しい。ライアンも後継を探しておったしな。我が国の力となることを期待しておるぞ。ユーサーよ。」
「は、はい!」
よし。合格のようだ。最後に驚いたように大声を出してしまった。
ーーーー
あれから、しばらく経った。
僕はライアンの修行に付き合わされて彼女とあそぶ暇がなくなってしまった。あのジジイは本気で僕を後継にしようとしているみたいだ。僕は古株の隊員にした方が僕の為、国の為になると思うのだけど。
「はぁ。」
僕は深いため息をして、僕の低い所にある部屋から夜空を眺めた。この方向には僕の故郷がある。追い出されたのに少し恋しい気持ちが拭えないでいた。あの静かに燃え立つ山は、どんなに離れても僕の故郷なのだ。
最近、僕はここから見える山を見ながら、故郷のことと彼女のことを代わり番こに眠くなるまで頭をグルグルするのが日課になっていた。
朝、重たい頭を持ち上げライアンのもとに向かう。
昼、他の隊員と一緒に昼食を食べる。
晩、ライアンの修行に付き従う。
こんな感じの生活を送っていた。
夕方、僕は自分の部屋に向かう為に長い廊下を歩いていた。石造りの床を裸足でペタペタ歩いていた。僕は基本的に鎧をつけなくちゃいけない時以外は裸足だ。
石の冷たさを楽しみながら歩いていると、後ろからパタパタと誰かが走ってきた。振り返ると同時に誰かが抱きついてきた。顔が見えなかった。
「お久しぶり! あなた同じお城にいるのに、なかなか会えないんですもの。」
なんとなく分かっていたが、彼女だった。久しぶりに見る彼女は何も変わっていなかった。変わったことを一つ挙げるなら、服装が「お姫様」っぽい。
「ずっと、あなたを探していたのよ。少し話せる場所に行きましょう。」
僕は彼女に手を引かれるまま、お城のどこかへ連れて行かれた。
夕方の薄暗さで暗くなった城内の中でも、さらに薄暗い部屋に来た。年中暗いせいなのか、酷くかび臭い。かびと紙の匂いの場所。ちゃんと管理されているのか分からない程ゴチャゴチャになっているが、ここは図書室だ。
扉から一番遠い本棚の陰に隠れて、二人でしゃがみこんで顔を突き合わせた。
彼女は小さな声で静かに話し始めた。
「その……最近どうなのです? 元気がないと聞きました。人の街はドラゴンのあなたにはすこし辛いですか?」
「……いや。……そんなことはない。」
つられて僕も小さな声で話す。
「そうですか。とりあえず、これどうぞ。」
「え?」
どこから取り出したのか、顔くらいの大きさの布袋を取り出して僕によこした。中を見ると大きなチーズのかけら、これまた大きく丸い麦のパン、そして大きく平たい干し肉が二枚が入っていた。
「あ、ありがとう。」
「いいのよ。私はてっきり体が小さくなっても食べる量は変らないから、お腹が減ってるのかな? と思ったので。違ったみたいですけど。」
語尾が弱まった。すこし恥ずかしがっているのか?
「食べる量は人間と変わらなくなったよ。でも、まだチーズなんて食べたことなかったから嬉しいよ。」
彼女は僕に顔を向けてニコニコしだした。と思ったらまたうつむいて、小さな声で話し始めた。
「実はもう一つ聞きたいことがありまして……」
「なに?」
今度は何を心配しているのやら。
「もしかして、あなたは故郷が寂しいですか?」
「…………」
何も言えなかった。心の一番深いところを見られた気がした。違うよ。と一言言えば解決するのにその一言がどうしても言えなかった。その一言を言ったら、僕は魂から人間になってしまう気がしたから
「そうなのね?」
「…………」
僕は彼女の目を見ることもできず、僕の膝の間の真っ黒の闇に視線を落とした。
「それなら、私と一緒に行きましょ。」
思わず、顔を上げて彼女の顔を見た。僕ですら分かる。一国の姫と旅に出るのは、大岩の前で遊ぶのとは全然違うのだ。
「旅をしたいのなら、一度王に許しを請いにいこう。あの方ならき……」
「それはダメ!!」
彼女のこんな大きな声は初めて聞いた。彼女のノドを引き裂くような声は、僕の鼓膜を貫いた。
「…………それはできないの。きっと許可してくれない。」
「お願いします。一緒に王国の外へ。」
鼓膜が痺れているせいなのか、彼女の声がかろうじて聞こえるくらいに小さくなっていた。
「少し時間を貰えないか? 明日の夜ここで会おう。」
「はい。」
翌日の昼時。僕はいつも通りテーブルの隅っこでパンをかじっていた。
この食堂と化してる酒場はいつもより一層賑やかな気がした。
原因を知りたくなり隊員同士の会話に耳を立てた。
「おい、お前。知ってるか?」
「何をだよ。それより、肉食わないなら俺によこせよ。」
「おい、やめろ。俺は好きなものは最後に食べる派なんだよ。」
「だったら、ちゃんと守れよな。」
「ん? おい!お前後ろから盗るなよ!」
「はっはっはっ! 後ろの奴とられてやがる!」
「いやいやいや。それより、本当に聞いてくれよ。」
「なんだよ。さっさと言えよ。」
「なんだよ、その言い方。まあ、いいけどよ。実はな隊長から聞いたんだが、イグレイン様が御結婚されるそうなんだよ。」
「おおお! 本当か! それで、相手はどこのどいつなんだよ。」
僕は部屋を出ていた。食物と人間のすえた匂いが脳を不快に刺激した。
そういうことかと納得した。同時に僕は静かに決意した。
僕の魂はチリチリと火花を散らした。
あと三つの章とエピローグで終わりの予定です。