第三章
あの日のことを思い出していた。
ぼんやりと陽光が届いて眠たくなる暖かさの場所。岩をくり抜いたような穴で、僕は体を丸めて心は遠くはない過去へ馳せた。僕の半分以下しかない小さくて、吹けば消し飛んでしまいそうな彼女と出会った日のことを。
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僕は東の一族と言われる誇り高い竜の一族に産まれた。この一族は東の炎の山に産まれ、灼熱を吐き、炎の様に気高き魂は鱗に表れて紅く滾っていた。
そんな一族で産まれてしまった僕の体には、炎は宿っていなかった。口から炎はほんのわずかしか出ずに、黒煙しか出ないときすらあった。体には気高き魂は宿らず、卑しい白色をしていた。
当然、僕は同族から攻撃を受けるようになった。
僕は仲間のはずの一族から逃げ惑う日々を送っていた。
彼女と出会ったの日も、ひたすら同族から逃げていた。僕にはできないけど、東の一族は火球を吐き出せる。僕は火球をまともに食らってしまい、薄気味悪い森に墜落してしまった。
薄暗い森に焼け焦げた匂いが広がり、僕の体も鱗が所々剥げていて無残だった。それでも、微かに陽光が降り注ぐ森で僕の体は嫌みのように白く輝き続けていた。
撃ち落とされるのはこれで何回目だろうか。と思いながら、撃ち落とされた体勢のまま地面に伏して、じっと回復を待っていた。
どこからか囁き声が聞こえてきた。
「何事かと思えば竜が落ちてきたぞ。」
「白い竜だ。」「災いの一族かのぉ?」「しかし、北の一族はもっと巨大であるぞ。」
「子供じゃ。」「北の一族の子供じゃ」「森に災いが起こるぞ。」
「はて、北の一族に翼はあったかのぉ?」「いや、間違いないこの白い体は雪山の白さぞ。」
「追い出すべきかの?」「そうだ、追い出せ。」
「出て行くのだ竜の子よ。」「出て行くのだ竜の子よ。」
「立ち去れ。」「立ち去れ。」「立ち去れ。」「立ち去れ。」
あいかわらず、この森は囁き声が気を逆なでする。
「おお! ドラゴン!?」
囁き声からは程遠い張り上げた声で、僕は驚いて声の主に頭を向けた。そこには、小さな人の子がいた。足元には何かがいっぱいに詰まったカバンが転がっていた。知らずのうちに、こんな距離にまで近寄られていたのに全く気づかなかった。いつからいたのだ?
普通は人と竜とは会うことはない。僕もこんな近くで人を見たのは初めてだった。驚きと警戒心から目が離せずにいた。
人の子はふいに、僕の方に顔を向けながら左の方へ手を大きく振りながら歩いた。急にクルッと回って右の方へ走った。
「私を見ているのね! 恐がらなくて大丈夫ですよ。私の名前はイグレインって言います。初めまして。」
なんだか、この人の子に警戒をするのがマヌケに思えて頭を地面につけた。でも視線だけは彼女に向けたまま。
小さな人の子は僕によく話しかけた。僕は彼女に分かる言葉を持っていないのに。
「森に落ちたのはあなたね? 傷を見せて。私、お城からあなたが落ちるのが見えて色々持ってきたの。」
意思を伝えることはできないけど、人の子の言葉は理解できる僕は「いいよ。」のつもりで軽く喉を鳴らして、全身の力を抜いた。
「いいのね?」
人の子は一応僕に確認をとって。カバンを両手で持ち、よいしょよいしょと近づいてきた。
「おお、姫君よ。竜なんぞに近づいてはいけませんぞ。」
「災いが降りかかるかもしれませんからのぉ。」
「怖いのぉ。」「ああ、恐ろしい。」「立ち去れ。」
僕は森のどこにいるかも分からないドルイド共を睨んだ。どこにいるか分からないので、なんとなく斜め上を睨んだ。
「そうなのかな? でも、この子はこんなにも優しいですよ。」
僕の耳元まで近くに来ていた人の子は、静かだがしっかりとした意思がある様に感じる声色で、言葉を森に投げた。彼女も斜め上の方を見ていたが、僕とは違って森のどこかにいるドルイドを見据えている様だった。
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いつもなら、パタパタと彼女が大岩の入り口から入ってくる時間だが、今日は違った。ガシャガシャと金属同士が擦れる不快な音と共に人間が入口付近に群がっている様だった。
大体の察しはついた。僕、つまり竜の討伐だろう。おそらく、器の小さい人間が己の恐怖から仲間を呼んだのだろう。
僕は彼女のことを考えていた。彼女が大岩にこないのは本当に久しぶりだ。いなくて良かった。
しばらくして、人の匂いがしない珍妙な人間らしき何かが2人入ってきた。
人間にしては明らかに大きすぎる老人と、小さくて枯れた老婆。
老人は腕を大きく組んで、少しの静寂の後、口火を切った。
「ふむ。こやつが件のドラゴンですな!」
逞しいヒゲ顔と小さくて丸い老婆が、竜である僕の目の前で余裕にも談笑を始めた。
僕はずっと大人しく警戒をしていた。
「これはまた珍しいのが出てきたわい。誇り高き東の竜の一族のアルビノ種ですわ。」
僕は驚いた。僕の姿形を見て一目で誇り高き東の一族だと分かる者がこの世界にいると思わなかったから。この人の様な者は何者だ?
「耄碌したか、ババアめ。東の竜は赤い体をしておるのじゃぞ。こやつはどう見ても真っ白。ワシは北の一族だと一目で分かったわ!」
ガッハッハッと大男はうるさく笑った。笑い声は穴の中でひどく反響して鼓膜を打ち鳴らした。
「色の問題じゃないわい。ジジイめ。説明するのも面倒だわい。北だろうが東だろうが、やることは変わらんだろうに。」
「ふむ。確かに、そうじゃな。」
小さいのは少し機嫌が悪そうにして、大きいのは鼻を鳴らした。
「さて、始めようかのぉ。ジジイ、外に出ておれ。」
「ふむ。承知した。任せたぞ。」
大きな老人はなぜか豪快な笑い声を響かせながら、ガシャガシャと鎧を鳴らしながら出て行った。「お主、姫様の遊び相手じゃな?話をしたい。この薬を飲んでくれるな?」
なんだか怪しげな薬瓶を被ってる布から取り出して、僕に差し出した。
「飲んでくれるな?」