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エリィ

2010年5月に書いたもの


 人間が人間を殺し、人間が人間を殺し、つまりは人間が殺し合いをしたので、ついに人間は地球から死に絶えてしまいました。

 人間が絶滅しただけでなく、人間は人間を殺す際にたくさんの生き物を巻き添えにしたので、地球には廃墟と枯れ木と干あがった海ばかりが残りました。つまりは生き物は何も残らなかったのです。誰一人。何一つ。

 

 地球がそのような状態になった頃、宇宙調査隊のぴかぴかの船が地球の荒れ地に降り立ちました。

 銀色の肌を持った彼らは皆、宇宙の神様気取りでいました。

 調査隊は生き物の滅んだ星を訪れては、なぜそのようなことになったのか、原因を調査します。滅んだのはどのような生き物だったのか。絶滅の原因とその生き物の性質が彼らのお眼鏡に叶ったときは、彼らの愚かな力で滅んだ生き物を復活させるのです。

 調査隊は地球にやってくる前にも、様々な滅びの星を見て回ってきました。

 死んだものも、その原因も様々でした。

 銀色の神様気取りは、多くの星を蘇らせ、多くの星を見捨てました。

 彼らが立ち去った後、再生した星がどうなったかは誰も知りません。

 神様はいつだって、始まりを作るだけなので。

 もし神様が少女であったなら、幸せな最期までを看取って、その星々を絵本にして、綺麗な装丁のその絵本を白い本棚に飾ってくるのでしょうけれど。



 人間が生きていたら、エイリアンの来襲だと大騒ぎをしたかもしれません。

 小鳥が生きていたら、見慣れぬものに小首を傾げたかもしれません。

 でも、地球には何もいなかったので、地球は物音一つ立てませんでした。

 地球には、記憶はもうありません。

 しかし、記録ならたくさん残っていました。

 調査隊は手間が省けると大喜びしました。意外にも彼らは怠け者だったので。

 手紙。写真。絵。映像。

 調査隊が手に取った物、地球に残っていた物は、幸か不幸か、全て戦争の悲惨さ、人類の醜さを語っていました。

 ひどいものだ。

 彼らは顔を見合わせました。

 人間とは、なんて残酷で、なんて汚い生き物なのだろう。

 彼らの見る、聞く、記録の中で、人間は再び人間を殺しました。記録の中で、殺し合いを繰り返しました。

 人間が吹き飛びます。人間に穴が空きます。人間が潰れます。

 悲鳴。笑い声。絶叫。泣き声。長く尾を引く断末魔。吐息。

 画面が真っ赤に染まる。黒くなって、消えていく。

 時計の針を逆さに回したように、かつての地球の情景が、目を覆いたくなるような殺戮が次々と行われました。

 


 結論は出ました。

 人間は再生すべきではない。

 人間のいた星は、もうこのままにしておこう。

 滅ぶべくして滅んだのだ。

 地球の生き物は。



 彼らが地球を立ち去ろうとしたそのとき、どこからか足音が聞こえてきました。

 彼らは足音を立てて歩いたりはしません。

 何事かと、彼らは一斉に振り返りました。

 視線の先に、少女がいました。


 私、エリィよ。


 少女は、微笑みました。

 荒廃した地球の風がごうと吹いて、少女の白いワンピースを揺らします。


 私エリィ。

 私エリィ。

 名前をもらったの。漢字はわからないわ。エリィという名前なの。

 私エリィ。

 私エリィ……。


 黒曜石のような艶やかな髪が、風に遊びます。

 少女の目は、見る角度できらきらと色を変えます。

 

 私エリィ。

 私、いいものをたくさん持ってるわ。

 私、いいものをたくさんもらったの。


 少女が人間であるわけがありません。

 地球に生き物はいないと、事前の調査でわかっています。

 それならばこれは何なのか。

 すぐに見当がつきました。

 ロボットです。

 人間はそんな物を作っていたのでした。

 

 いいものって、微笑みよ。

 私、微笑みをたくさんもらったの。


 そう言って、少女、エリィは笑います。

 


 このロボットに知能がないらしいこともすぐに知れました。

 ただ見かけだけが人間そっくりで、可愛らしいだけの少女人形。

 戦争には利用価値の全くないロボットだったのでしょう。それが奇跡的に残っていたのです。


 一体どれほどの時間が少女の中を流れたのでしょうか。

 一体どれほどの時間、少女は地球という名前の廃墟にぽつんと立ち尽くしていたのでしょうか。

 たった一人、笑顔を浮かべて。


 しかしエリィにとっては、時間がどれほど長かろうと短かろうと、構わなかったことでしょうね。

 なぜならエリィは、時間を感じるだけの頭もなかったし、一人を寂しいと思う心もなかったのですから。

 そんなものは、エリィには内蔵されていなかったのです。

 エリィは少女の形をした、ただの空の箱でした。頭の中には何もありません。甘い砂糖菓子やスケッチブックすら入っていません。ただ微笑んで、決まった言葉を繰り返すだけの人形。

 それでも、彼らにとってエリィは審査材料でした。

 


 私エリィ。

 微笑みちょうだい。

 私エリィ。


 調査隊は、エリィの頭を割って、背中を裂いて、何か重要なものがないか、エリィの内部を探っていきました。

 剥き出しの地表に転がされ、身体を真っ二つにされ、中の機械をさらけ出されたエリィは、同じ微笑みを浮かべて同じ言葉を呟いています。


 私エリィ。

 私エリィ。

 名前をもらったの。漢字はわからないわ。エリィという名前なの。

 私エリィ。

 微笑みちょうだい。


 やはりたいしたものは出てきませんでしたが、一つだけ、彼らは興味深い物を見つけました。

 エリィの喉にはチップが埋め込まれていました。


 私……、エ、リ、ぃ、わた、し、しししし、え、りりりりりりりり………いーいーいーいー


 チップを取るために調査隊がエリィの白い喉を抉ったので、エリィの言葉はくぐもり、甲高い悲鳴のようなものになりました。


 りりりりいりりりりりりリリリリリィイイイイイイイイイイィィ…………


 荒涼の大地にエリィの金切り声が響きます。それは、かつて地球にあった夜明けを知らせるベルの音に似ていました。

 流石の神様気取りもうるさく思って、エリィの喉を慌てて修復しました。


 ィィィィ……わ、わ、わ、た……

 ………私エリィ。

 いいものって微笑みよ。


 どうやら、エリィの喉にはカメラが組み込まれてあり、チップの中にはカメラが捉えた映像が記録されているようでした。調査隊は早速チップ内の映像を再生することにしました。チップには何のロックもかかっていませんでした。国家間の機密事項が隠されているわけではなさそうです。

 調査隊は転がされたままのエリィの横で、小さなディスプレイに映像を映し出しました。


 まだ人間が生きていた頃、遙か昔にエリィが見ていた風景。


 ――こんにちは。


 背の高い、若い男がディスプレイに現れました。きっと少女と視線を合わせようとしたのでしょう、男はエリィの前にかがみ込み、優しい声で語りかけました。


 ――初めまして。

 ――目覚めの調子はどうだい、レディ?


 エリィは男の問いかけに答えません。


 ――……ごめんね。


 ――僕は君に多くの物を与えてあげたかった。

 ――例えば、夢を愛する心を。

 ――例えば、空を見上げようとする心を。

 ――例えば、鳥を見て、翼に憧れる心を。

 ――例えば、萎れる花に手向ける心を。


 ――例えば、……そう例えば、誰かに恋をする心を。


 ――でも、タイムリミットだ。

 ――そこまでは……、いや、その一番大切なところを作ってあげることができなかった。

 ――今の君はお人形さんだ。

 ――何も考えることができない。

 ――ほんの少しの言葉しか知らないから、誰かとお喋りをすることもできないし、知能があると見せかけることすらできない。

 ――人間の手助けをするアンドロイドなんて、君には夢のまた夢だよ。

 ――簡単な言い方をすれば役立たずってこと。

 ――だけど君は、僕の記念すべき第一号だ。


 ――君の身体にはカメラと、そのカメラに映ったものを記録しておくチップが内蔵されてある。


 ――君に約束するよ。

 ――必ず帰ってきて、君にたくさんの物をあげる。

 ――他にひけをとらない、立派なブレインを積んだアンドロイドにしてあげるから。

 ――約束だ。

 ――この言葉も記録されているから、僕がとぼけてたら証拠にするといいさ。

 

 ――おめでとう。

 ――僕に。

 ――君に。

 ――おめでとう。

 ――今日、君が生まれた。

 ――今日、世界が生まれた。

 ――君の世界が。

 

 ――今の君は何も持っていない。

 ――ごめんね、何も作ってあげられなかった。

 ――でも、二つ、僕から君にプレゼントをあげよう。


 ――1つは名前だ。

 ――エリィ。

 ――君の、名前だよ。ほら。君のシステムに書き込まれているからわかるだろう、エリィ?

 

『……私……、エリィ……』

『私エリィ』

『私、エリィよ』


 ――そう、エリィ。

 ――おかしいね。

 ――こうしていると、少しお話ができるみたいに見えるよ。


 ――さて、エリィ。

 ――二つ目の贈り物。

 ――それは笑顔だ。

 ――何だか抽象的だね。

 ――君はいつも笑ってる。

 ――そう作った。 

 ――それから。

 ――君は、笑顔しか認識しない。

 ――君は、笑顔だけをそのチップの中に記録する。

 ――君はこれからたくさんの人の微笑みを体内に保存していく。

 ――笑顔はいいものだ。

 ――君の笑顔が美しいように。

 ――笑顔を贈られても、今の君にはそれが何なのかわからないけれど。

 ――でも、エリィ。君にあげる。

 ――微笑みをあげる。

 ――たくさんの人の、たくさんの微笑みを。

 ――チップの中は笑顔で一杯になる。

 ――君を見る者は君に笑いかけるだろうからね。

 ――だって、エリィ。君はいつも笑っているから。

 

 ――僕も、第一号だな。

 ――エリィの微笑みの記憶の、記念すべき第一号。


 ――楽しみだね、エリィ。

 ――いつか一緒に、笑顔の詰まったチップの中を見よう。

 ――君が心を持ったそのときに。


 ――君と僕は、やっぱり微笑むだろうよ。


 砂嵐が起こり、映像が切り替わりました。

 そこからは、年齢性別人種様々な人間が現れては微笑む、という映像が延々と流れました。

 みんな、穏やかな顔で笑っています。


『私エリィよ』

『私、いいものをたくさん持ってるわ』

『私、いいものをたくさんもらったの』

『いいものって、微笑みよ』

 

 調査隊は再びお互いに顔を見合わせました。

 人間の微笑みの、なんと温かなことでしょう。

 なんと優しいことでしょう。

 持たない人形相手に、人間はなんて美しい表情をするのでしょう。

 


 無人の地球での、微笑みの記憶の上映会がようやく終わりました。

 一番再最初に出てきた男が再び現れることはありませんでした。

 調査隊は、審査をやり直す必要があると考えました。

 人間という生き物は、感情のないロボットに、何の役にも立たないロボットに、こんなに優しい顔をすることができるのです。

 心ある同胞に、あんなに惨いことをしたのは、きっと何らかのやむを得ない理由があったに違いがないのです。

 そうでなければこの記録は嘘になる。

 その理由を探る手立ては地球には残っていませんでしたが……、神様気取りは地球を再生することに決めました。

 再生の根拠となったエリィは元通りに直されて、転がされた体を起こしてもらいました。


 私、エリィよ。

 私エリィ。

 微笑みちょうだい。


 そう言って、エリィは永遠に変わらない笑顔を作ります。

 しかし調査隊は人間ではなかったので、エリィに微笑みをくれませんでした。


 


 地球が再生してから、何億万年もの歳月が経ちました。

 時代が打ち寄せては、消えていきました。

 人間が生まれては、死んでいきました。

 エリィは気が遠くなるほどの過去からずっと微笑み続け、人間の微笑みの記録を増やしていきました。

 エリィのような役立たずのロボットを改造しようとする奇特な人間はいなかったので、エリィの中にあるチップに気がつく人間もいませんでした。

 当然、いつかの約束を知る者もいませんでした。

 時代はメリーゴーランドのようにくるくると地球を駆けていきます。

 メリーゴーランドの子馬が一匹、とある時代で死にました。

 また一匹、また一匹と、時代が変わるごとに子馬は死んでいきました。

 メリーゴーランドの屋根が破れ、砕け散りました。

 とうとう子馬は一匹もいなくなりました。

 人間が人間を殺し、人間が人間を殺し、つまりは人間が殺し合いをしたので、ついに人間は地球から死に絶えてしまったのでした。


 生き物のいなくなった地球に、たった一人、役立たずのロボットが笑っています。

 

 私エリィ。

 私エリィ。

 名前をもらったの。漢字はわからないわ。エリィという名前なの。

 私エリィ。



 しばらくして、宇宙調査隊のぴかぴかの船が地球の荒れ地に降り立ちました。

 彼らは過去に巡った星をいちいち記録していなかったので、以前地球にやって来たことがあるのをすっかり忘れていました。

 この神様気取りの集団は、意外に怠け者で、おまけに星々のことに興味を持っていなかったので。

 彼らは地球に散らばった記録を掻き集めて、地球を再生するかどうかの審査を行いました。

 調査隊が手に取った物、地球に残っていた物は、幸か不幸か、全て戦争の悲惨さ、人類の醜さを語っていました。

 ひどいものだ。

 彼らは顔を見合わせました。

 人間とは、なんて残酷で、なんて汚い生き物なのだろう。

 地球は再生すべきではない。

 そう、結論が出ました。   


 私エリィよ。

 

 調査隊の前に、少女のロボットが現れました。

 一人残ったロボットは、微笑みの記憶を抱いていました。

 結論は覆り、地球は再生されました。

 人間という生き物は、感情のないロボットに、何の役にも立たないロボットに、こんなに優しい顔をすることができるのです。

 心ある同胞に、あんなに惨いことをしたのは、きっと何らかのやむを得ない理由があったに違いがないのです。



 そうして地球は幾度目かの目覚めを迎えました。

 時代が巡り、人間が生まれ、死んで……。


 しかし、エリィの約束を知る者は未だに現れません。

 だからエリィはずっと微笑んだまま、微笑みの記憶を延々と増やしていくのです。

 約束が果たされるまで、永遠に。

 


桃色の砂糖菓子とスケッチブック。

ティーカップ。

宝石。

白い手袋。

メリーゴーランド。

香水。

日記帳。

手鏡。

お守り。

尖った硝子の破片。

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