二人の日 1
二人が京都にきてから一週間がすぎた。
チヨの計らいもあり、二人の外見を江戸時代風に仕上げてくれた。
一番問題だった髪形は、藍は一部に鬘をつけ髪をあげ、祐樹も黒い地毛が伸びるまでは染めた髪を短くして鬘をし、更につけ毛をして髷を結った。余談だが彼は当時の成人の証である月代だけは免れたかったようで必死にチヨを説得していた。
チヨは二人に小さいながらも部屋を割り与え、服も用意し、食事まで与えてくれる。もちろん自主的に手伝いはするものの有り難いことだらけだ。
しまいにはささやかなお小遣まで二人にやる。それでこの時代や京都に慣れてこいというのだ。
二人はただただお礼をいうしかできない日々を送っていた。
京都にきてから、正しくは江戸時代にきてから一週間だが京都にもこの時代にもようやく順応し始めていた。
しかしそんな彼らにも未だ慣れないものがある。
それは――
「あっちで長州らしき浪人がまた捕われとる」
「また壬生浪と長州か」
「ほんまに堪忍してほしいわぁ。最近は物騒でならん」
――そう。いわゆる武士の存在だった。『現代(平成時代)』で銃はおろか、刀などまず普通の生活をしていてそう目にすることはない。しかし、どうやら、彼らが飛んできた時代は武士同士のぶつかり合いの時代の真っ只中らしく、こんな会話をしばしば耳にするのだ。
壬生浪と長州というのも京都の人々にとっては、争いごとをもたらす存在の代表でもあり、厄介者であることには変わりなかった。壬生に住む浪人者の集まりを壬生浪、もしくは壬生の狼と書いて壬生狼と呼ばれ、彼らは幕府派の集団で、京都を定期的に巡察していた。彼らは幕府にとって脅威となっている主に長州藩(今の山口県)の浪人を捕らえるための集団で、時折こうして敵対していたのだ。
下手をすれば、刀で人を斬る瞬間を見てしまうかもしれない、巻き込まれて怪我をするかもしれない、怪しまれて殺されるかもしれないという不安を持たずにはいられない。
そんな不安を神は知ってか知らぬか、残酷にも未来からきた若者に試練を与える。神の標的にされたのは、藍だった。
「それが、浪人が女子を盾にしとるそうだ」
「なんと……運がなかったんやな……。うちらは神さんに祈るしかできひんしなぁ……」
未来から過去に飛ばされ、更には人質になるなんて、女子高校生には意味もなく重すぎる罰だ。その罰が神の手によってもたらされたものだとして、それを救うのに再び神に祈るのもまたおかしな話だった。しかし帯刀を許されていない町民にできることは祈ることだけなのも事実なのだ。
藍は震えが止まらなかった。まさか自分が刃物を突き付けられるなんて、ほんの数週間前までは考えてもみなかった。
嫌な汗だけが着物を湿らせる。体中の体温が急激に下がっているような感覚に襲われる。
自分と同じくらいの背丈の男が首根っこを掴み、自分達の向かいにいる青い着物を纏った武士達がこちらに刀を向けている。その相手の刀と首根っこを掴む男の刀、どちらもが自分に向いていることにはほぼ間違いない。
藍は自分が早く気を失えばいいのにと、願わずにはいられなかった。
「その娘を離すんだ」
青い武士が最後の警告と言わんばかりに殺気を放ってくる。藍を捕らえている男も必死なのか、ひしひしと背後から緊張が伝わってくる。
そして、しばしのにらみ合いの後、目の前の男が刀を振り上げて襲い掛かってきた。頭が真っ白になり、死んだ、と藍は思った。
「うぁぁああぁ!」
しかし、その叫びを聞いて我に帰ると藍の目の前には、自分の首に刃を向けていた男の腕が落ちていた。よく彼女は自分の体を見ると、ぬるりとした生暖かい血がついていることに気付く。男は腕を押さえながら、道に横たわり悶えていた。そこに青い着物を着た男達が取り囲み、切断した腕に縄を縛り止血をし、ついでに体を縛り身動きを取れなくしている。
素早い動きの横で藍はただ呆然と立ちつくしていた。
「大丈夫か」
突然背後から声をかけられ彼女はびくりとした。
振り返ると刀についた血を白い紙で拭き取っている彼らの仲間と思われる青い武士がいた。彼は刀を鞘に納めると、藍の体を眺める。
「どこも傷はないようだな」
「は、はい」
藍はなんとなく状況がわかり始めていた。どうやら、藍達に真正面から向かってきた青い武士に気を取られているうちに、背後からこの男が腕を切断したようだった。助けられたのだろうが、落ちている腕、自分についた返り血の臭い、そしてもがき苦しむ声が五感を刺激して、それらが徐々に吐き気を促してくる。とてもお礼を言える気分ではない。
「以後気をつけるように」
「は、はい」
男はそう言って仲間のところへと向かう。
その瞬間藍はふっと気が緩みその場に、胃のものを吐き出してしまった。
先程まで他人のように見物していただけの町の人々が一斉に寄ってきて、背中をさすり、水を差し出してくる。町人達も少しでもどうにかしたいという気持ちはあったのだ。
藍は嫌な汗を体中にかき、そんな中で遠くから微かに今話したと思われる男の名が耳に届いた。
『原田隊長』
それがどうやら彼の名らしかった。