最初の日 3
「あぁ、ただここにいる奴らの共通点と言えば、元の時代で死にかけたってことだな」
『死にかけた』その言葉を聞いて、彼女はしかめ面になる。祐樹も同様の表情を浮かべた。それぞれに思い当たる節はある。
「今更、現実に戻ったところで死んでるかもしれない身だしな。多くの奴らは多少の不便さは我慢して、この村で第二の人生を送っている」
藍はそれを聞いて更に顔をしかめた。『第二の人生』そう呼べるほど自分は生きてはいないのではないかと思えたのだ。
彼女にはやりたいことがない。ただなんとなく学校に行って、なんとなく勉強して、なんとなく遊んでいる。多分この先も適当な大学に行き、適当にOLでもやっていくのだろう。でもだからと言ってその生活が嫌いかと言われればそうでもなかった。周りに流されることは、そう居心地が悪いものでもない。友達や家族といる時間、ゆっくりと流れていく時間はかけがいのないものなのだ。藍にとって、家族や友達に会えないことは、自分の大切な時間の一部が消えることと同じだ。
そう言えば、と藍は祐樹の方を見た。彼は医学生と言っていた。自分でその道選んだのかと感心する。自分には到底考えられない。一人で何かを決め、一人で何かを成し遂げることは彼女には難しく感じるのだ。だがしかし、そう思った矢先だった。
「この村に住むのは考えるけど、別に現代に戻ってやりたいこともないし、残ってもいいかなぁ」
隣に座っていた若者はどうでもいいと言わんばかりに呟いたのだ。
藍は目を丸くした。
「え? でも医者になるんですよね」
「や、だってさ、医学部入ったらある意味目標達成しちゃったしさ。医者も職として悪くないけど、働く割にあんまりお金貰えないぽいしな。正直、別に医者になりたくて入ったわけじゃないし」
藍は驚愕し、口を開けたまましばらく閉めることを忘れていた。まさか医学部に入る人間がそんなことを言うとは思わなかったのだ。
「ほぅ、君は医学生なのか」
「一応そうです。まだ一年ですが」
「大学の名前は?」
「順天堂大学です」
何事もなかったかのように藍の目の前で会話は続けられる。
藍には苦い思い出があった。彼女は(ああ、この人もか)と思わずにいられなかった。
「私、着替えてきます。奥の部屋借ります」
胸の奥がもやもやとしてきたため、彼女はすっくと立ち上がる。これからしばらく一緒にいるかもしれない人を悪く思いたくなかった。何か理由があるのかもしれない、そう思うことにした。
奥の寝室に移動すると、少しため息をつきながら、先ほど貰った着物に着替える。慣れない着物に悪戦苦闘しながら、着替える中、隣からは何やら話し声が聞こえる。
毎年夏祭りに友達と浴衣の着付けをしあっていたおかげか、それなりに形にはなった。若干サイズは小さいが、少し動きにくいだけでさして支障はなさそうだ。彼女は支度を終え、がらりと戸をあけた。
「佳川さん、今から京の町に行こう」
「えっ?」
祐樹もいつの間にか着替え終わっていた。
その彼の口から出てきた言葉に藍は口をぽかんと開けて、突然のそれに呆ける。
「京都の町に俺達と一番近い時代から来た人がいるんだって。一九七〇年頃にきた女性らしいんだけど、噂になってるとかで。もしかしたら何かわかるもしれない」
藍は『現代(平成時代)』でも京都へ行ったことはなかった。京都のイメージと言えば舞妓さんが趣のある建物を背景にして歩いていて、「おいでやす」と言っている。そんな典型的なものしか浮かばない。
町へは道なりに歩けば辿り着くらしいが、到着したあとはどうするのだろうかと藍は尋ねると、大丈夫と祐樹は笑った。どうやら区画がしっかりしていて、歩きやすいらしい。何度か行ったことがあるようだ。
「でも住所とかわからないんですよね」
「四条の近くにいるという噂を聞いたがのう」
小柄な男は顎に手を添え、ぼりぼりと掻きながら宙を眺めた。
「いずれにせよ、ずっとここに留まるわけにもいかないし、町には向かおう」
「う、うん。それはいいんだけど、色々大丈夫かな。道に迷ったりとか、泊まるところとか」
「まぁ多分なんとかなるよ」
目を輝かせて彼は言った。どことなくこの状況を楽しんでいるように見えるのは、無理もなかった。非日常であるこの状況は、彼にとって退屈な授業を受けているよりも何倍も面白いことなのだ。毎日朝から夕方まで坐学を受け、終わってから部活をして、帰宅をすればそのままお風呂に入って就寝。そんな変わり映えのない日常が彼にはあった。元々歴史好きの彼にはこの状況は楽しい以外のものでなかった。
その後、再度良く話し合った結果、結局二人は今から町へと向かうことになった。元より持ち物なんかないに等しいので準備に時間はかからない。脱いだ服と、男から貰ったにぎりめし、竹筒にいれた水、古めかしい京都の地図を風呂敷に包み、もらった草履を履いた。
男は扉の外の山道を指さして、「ここから三里、道なりに歩けば京都に出る」と告げる。
「三里?」
「一里は何キロですか?」
「キロ? あぁ。そっちの言い方か。大体四キロ弱だった気がするがなぁ」
「じゃあ全部で十二キロも歩くの!」
「たいした距離じゃないじゃろう」
男は大口を開けて笑う。
この二人の若者からしたら一九一五年なんて幕末が終わってすぐの頃だ。交通がそんなに発達していたわけじゃなかったのだろうと思考を巡らす。しかし彼らにとっては十二キロは長い。しかも山道ときたもんだ。二人はある程度の覚悟を決めとく必要があるようだった。