覚悟の日 6
しばらくして祐樹とチヨと坂本が肩で息をしながら到着した。彼らは駆け寄って声をかけるが彼女はそれに全く応えなかった。松本の指示でチヨと祐樹は齷齪と動くが状況は悪くなる一方だ。
そんな中でふと祐樹は立ち止まる。それを見た松本が眉間にしわを寄せて彼を「何をしている!」と怒鳴りつけた。しかし彼は一向に動こうとせず、松本はまさかと、息を飲む。
「何を考えているんだ」
「彼女は死にかけています。生かしてはダメなんです。この状態が最も求めていた状況なんです。私達は死にかけることで元の時代に戻ることができるんです」
「馬鹿なことを言うな! てめぇそれでも医者のはしくれか」
「でも!! 本当なんです! お願いします。松本先生。俺も……、彼女を追います。全身麻酔を俺にしてください。同じように大腿に傷をつけて殺しかけてください」
「できるわけないだろう!」
松本は、左手で藍の出血点を抑えながらも、そばにあった草履を祐樹に投げつけた。だがそれでも頑固として彼の意思は変わらない。
「お願いします」
祐樹はその場に手をつき、頭を下げた。
「殺してくれって懇願するからといって医者が簡単に人を殺せると思うのか」
「思いません」
「俺が愛弟子を殺すほど非道な人間に見えるのか」
「見えません……」
祐樹は顔を上げなかったが、松本の声が震えているのがわかった。
「彼女にも全身麻酔をしてあげてください。もう今の医療では難しいです」
「……」
祐樹の顔を上げたそこには、血の気が引き白くなった体に腕を乗せ、ぽたぽたと涙を落としている松本の姿があった。
医者として目の前の少女を助けられない悔しさ、愛弟子を助けられない悲しさ、医者とは一体なんなのか。何のための医者なのか。
「わかった、麻酔だけしてやる……だが、その先は俺はやらない」
松本は自分にできることをやるしかなかった。
「非道な人間ってなら俺らの仕事だ。俺にやらせろ。お医者にやらせることじゃねえ」
そう言い出したのは、冷たくなっている藍の手をずっと握りしめていた原田だった。
「原田さん……」
「こうなったのも俺が藍坊に関わっちまったせいだ。それに約束してたんだ。そのときが来たら俺の手でやるって。でも勝手に自分でやっちまいやがって……」
藍の手を彼はそっと放した。
「だからお前を代わりに斬ってやる」
藍の血で汚れたその手を彼は自分の着物で拭う。
その横で松本は福沢に見せるために偶然持ってきていた全身麻酔薬を支度し始めた。
それを見ていた祐樹は妙にほっとして、それから福沢に声をかける。
「福沢さん。大事なお願いがあります。この手紙を先生の学校の、後の文学部に残して欲しいのです」
「手紙を文学部に?」
「彼女が……福沢さんの建てた大学に入って、彼女にこの手紙を手に入れてもらいます。もしその時期を過ぎても受け取りにいかなかった場合……私達が未来に戻ることができなかった場合に、両親に手紙が届くようにしたいのです。詳しくはこれ以上話せないです……ダメですか」
祐樹はじっと福沢の目を見て話した。
「何と無くでしか状況は掴めていないが私にできることならやらせてもらうよ」
福沢も真顔でそう答える。
祐樹はそれを聞くとうんと頷き、皆に向き直る。その間も藍の体は麻酔漬けにされていた。これで痛みは感じない。
「皆さん、今日起きたことはできるだけ忘れてください。あとは……チヨさんの指示に従ってください」
祐樹はそう言ってチヨに目をやる。
「……」
「チヨさん、この数ヶ月の間、本当にありがとうございました。もしも、もしもまた会えたら、そのときは御指南お願いしますね」
「ええ……」
祐樹はその返事ににっこりと微笑むと今度は原田達の方を向いた。
「原田さん、佳川さん――藍は、あなたに非常に感謝してました。あなたと友達になれたことを誇りに思っていたと思います。それくらい彼女は変わりました」
「ああ……」
「松本先生、福沢先生も、お世話になりました。ありがとうございます。自分のしたいことを考える道を示してくれました」
「礼されるようなことはしちゃいねえ……」
「坂本さん、あなたと初めてあった日、人の命について真剣に考えました。そして今日も、あなたのおかげで進むべき道がみつかりました。私だけではなく藍もチヨさんも……。ただ、あなたは偉大な人です。今日のことは絶対に記録に残さないでください。歴史が変わってしまいます」
「わかっちゅうき」
それだけいうと祐樹は再び松本の目を見てぺこりとお辞儀をし、横になった。全身麻酔薬を投与されるのを待つ体勢になり、目を閉じる。
「彼らの見送りは私がするわ」
チヨはそう言った。全員が静かに頷く。
松本が全身麻酔を祐樹に施す。
原田が短刀を抜いた。
「本当にいいんだな」
「……はい」
徐々に虚ろになる意識の中で、祐樹は原田の問いにぼんやりと答えた。
そして全身に麻酔が行き届き、彼の意識もなくなった。
皆が見守る中で、原田は華麗に、躊躇なく、その大腿の約三分の一程の深さまで斬りつけた。
あたり一面に血が吹き出し、原田自身にも返り血が飛ぶ。
皆が手を揃え、そしてチヨに促されそこを離れていった。
「さようなら、二人とも……」




