覚悟の日 2
動こうとしない彼に、祐樹は頭を掻くと、一呼吸置いてから口を開く。
「何故、こんな危険を冒してまでここにいるのですか?」
祐樹は素直な疑問をぶつけた。
「さっきも言ったきに。恩人に会うためじゃと」
「私はあなたの、新選組から受けた浅い刀傷を化膿しないように消毒しただけよ」
二人のやりとりにチヨは横からそう言って入ってくる。歴史には残っていないような傷や怪我は坂本は沢山していたのだろう。そのうちの一つをチヨは治療しただけのことなのだ。未来に少なからず影響が出ると言えど、この程度で恩を感じられても、と思う。
どうにも坂本の口実が腑に落ちないといった二人を見て、坂本は頭を掻いた。
「わかった、わかった。正直に言うき。チヨさん、おんし、未来から来たっていう噂が流れちょるんよ。それを確かめにきた」
「!」
チヨの表情が固まった。
祐樹もそれを横目で見て、ふうとため息をつく。
「『そろそろ限界なのかもしれない』とそう今、思った?」
「……思いました」
祐樹はチヨの言葉に小さく頷く。その会話を聞いて、坂本も笑みを消し、真剣な表情へと一変させる。
「チヨさん、たとえそうだとしてもわしには関係ないんだがにゃ。けんど、それが他の人達の耳に入るのは大変なことじゃきに。忠告しにきた」
未来がわかる者。それがこの時代の人々にとってどういう意味をするのか、彼らにはわかっていた。勝てば官軍、負ければ賊軍。今は誰がいつどちらに転んでもおかしくないのだ。幕府派であろうと佐幕派であろうと、未来を知る者の力を欲する者は多くいる。
「例えば、新選組とか?」
祐樹は尋ねる。だが坂本は「それだけじゃすまない」と首を横に振る。
「彼らの中にはまだ話がわかる者もおる。けんど、わからない無法者も多くおる。新選組だけじゃなく、長州も薩摩も、会津も、土佐もじゃ」
「……」
「恩人たちに危険な目にあってほしくない。だから……」
「診療所をやめろ、と言いに来たのね」
「そうじゃ」
チヨはじっとその男を見た。横で祐樹は目を見開く。
「わかっていたんですか」
「違うわよ。噂というのは出処があるはずでしょ。診療所くらいしかないわ」
チヨは目を伏せる。もしもそうだとすれば、チヨがこの時代に留まる理由がなくなるのだ。
「もしくは……」
そう言って、チヨは奥の扉の脇から姿を見せかけていた彼女に目をやった。
「もしくは、新選組から、漏れていることもあるわ」
藍は影からひっそりと話を聞いていた。話を振られ、持っていたお盆を、かたかたと震わせる。無言で皆のそばにそれを運び届けると、やっと口を開いて、首を横に振る。
「原田さんは、そんなことしないです」
「その上司はわからないわよ」
上司――そう土方のことだ。藍も気がかりではあった存在。あの男はどうにも腹が黒い印象が拭えないのだ。土方は後の世にも策士と呼ばれる男の一人である。そんな男が彼らを利用しないという保証があるのだろうか。
ここにいる全員が黙ってしまった。もう何もかもが行き詰まりなのだ。時が止まったようだった。
坂本でさえもどうしたらいいのかと眉間にしわを寄せていた。男の前にいる彼らが、噂通りであるなら、その子供達――藍と祐樹も未来から来たということになるのだ。
「おんしらが未来から来ちゅうことは本当なんやねゃ」
「何も言えないわ」
坂本の言葉に、チヨは目を反らす。ただそれだけで彼らがそうであるということを肯定する材料として充分であった。沈黙が流れる。外の喧騒だけが部屋の中に届いていた。だが誰一人としてその音にさえ耳を貸す者はいない。
もう時がきていた。時代の流れに逆らってきた者達には、決断を決める必要があった。
祐樹は手を握りしめる。額にぐっと力を入れ、意を決したように口を開く。
「チヨさん。俺は、もう、元の時代へ帰ります。これ以上いて未来に影響を出したくないし、それに……帰って勉強して、医者になりたいって、思ってます」
その言葉にそこにいる全員が彼を見る。
「ここに来て、チヨさんや松本先生を見て、患者さんを見て、自分にできることはないかってすごく考えました。結果、元の時代で、ちゃんと医学を学びたいと思いました。戻って、医者になって、そして松本先生のような医者になりたい」
「私も……」
藍は祐樹の言葉を聞いて、同じようにして、顔を上げて話しだす。
「私も、ずっと誰かと一緒にいて、ずっと何も考えないで生きてきた。だけど、一人になって、考えるようになって、この時代が大好きになって、私もちゃんと元の時代でやりたいことがしたいって、思うようになった。もしも、戻れたら私は歴史を研究したい。研究して、その時代の人達が本当は何を伝えたかったのか、何をしたかったのかを知りたい」
二人の目はチヨに向いていた。チヨの返事を待っていた。チヨはその目に押し負けたのか、突如ふと笑みをこぼす。




