手紙の日 4
「報告ありがとう。田中さんのことは、チヨさんが戻ってきたら詳しく聞いてみる」
「ああ、そうしてくれ」
原田はそう言うと、その場に腰を下ろす。その姿に藍は首を傾げた。
「……? 何してるの?」
「お礼は?」
原田は待ってましたと言わんばかりに笑みを作る。まさか、そのためにわざわざ報告しに来たのか。そう悟って藍はわざとぶっきらぼうに答えてみせる。
「ああ、肩揉みでいい?」
「そんなお礼かよ」
男は藍の提案に子供のようにぶつくされた。
「じゃあ何がいいの」
「そうだな、じゃあ」
原田は藍を手招きする。彼女も疑問に思いながらも近寄った。そして次の瞬間には――
「ちょっと! 何してるの!」
彼女はその男の腕にしっかりと抱きしめられていた。
「藍坊があまりに寂しそうだったから慰めてやってるんだよ」
腕を張って抵抗しようとする彼女の努力も空しく言い返される。その腕を離そうとしない彼に、彼女は脱力して小さなため息を一つ吐いた。
「そう言って変なことしたらただじゃおかないよ」
「しねぇから安心しろって。それにこれくらいなら俺にとっては、礼になるんだよ」
抱きしめながら原田は藍の頭を撫でる。そうしながらも彼の腕に力が入っているのを彼女は感じ、違和感の中で、ふと男の顔を見上げた。
「どうしたの。らしくないね」
「そうか? まぁ、あんまり良い光景は見てきてないからな」
「そうだね……」
田中の姿が藍の脳裏にちらつく。きっとあの時よりも酷い状況だったのだろう。幾人もの浪人を斬り、命を奪ってきた彼がこんな反応をするとは彼女は思ってもみなかった。
彼女が最初に彼に覚えた印象は血の匂いだった。藍を助けるために原田が躊躇なく斬った浪人の血の匂い。その瞬間を彼女は忘れることはできない。だがそんな血に染まった刀を持つ男が今、他人の生死を目前にして、強がっていた。
だがそれだけではなかった。もう一つの不安と彼は戦っていたのだ。
「あんたも、元の時代に戻る時、死ななきゃならねぇのか」
「え?」
藍は突然のことに目を丸くして、不意を突かれ思わずそう返した。
「俺はあんた宛への手紙を持っている」
原田は腕を離すと、目を伏せたまま彼の懐に手を入れた。そこから取り出されたのは、随分と古めかしい、褐色に日焼けした手紙だった。
彼は何も言わずにその手紙を広げる。そこにある宛先はチヨ宛になっていた。
「これ、私のじゃない……」
「あの女のお医者から預かった。内容はだいたい聞いた。俺があんたら以外に口外しないことを条件に」
藍は急いでその手紙を受け取り目を通すと、徐々にその顔を青くする。
「これ!」
「あのお医者は知っていたよ。『死にかけること』が条件だってな。『疑い』でも『確信』でもなんでもなく、『真実』として」
拝啓 木之下チヨ子様
ご無沙汰しております。私はチヨ様にどうやって元の時代に戻れるか尋ねた者です。梅毒になった手のつけられない私を診てくださったチヨ様に感謝と、そして真実を伝えるためにこの手紙を書いています。
まずはチヨ様のご好意、お医者としても人としても大変感謝しております。貴女のおかげで苦しみも随分と和らいでいました。未来に飛ばされ、自分の子供にも会えず、不摂生のせいで梅毒にかかり、それこそ死にたくなるような日々でした。チヨ様のおかげで私はこうして、六〇年前からチヨ様へ手紙を書くことができています。梅毒も不思議と治っています。子供も離れた時と変わっておりません。
ところで、私は貴女へ伝えていなかったことがあります。私はチヨ様に会う以前は、とある村で田中三郎という者と籍を入れていました。その男もまた別の時代から来た者です。その村で私は一生を送るのだと思っていました。しかし、田中からチヨ様の存在を聞いて、私の元の時代に戻るという消えかけていた希望が再び湧いてきました。田中には虚言を吐き、家を飛び出しました。二度と戻ることはないと思っていたのです。しかしながら、チヨ様は何も知らなかったのです。私は再び身を置くために、体を売っていました。そのため梅毒にかかりました。
私は死にかけました。死んだのではなく、死にかけたのです。走馬灯のように元の時代の人々の顔と名前が浮かんでいました。不思議な感覚でした。
チヨ様、こうして手紙を書ける事実は、私が元の時代に戻れた事を意味しています。
私は時代を変えてはならないという貴女の教えを守りたく、私がチヨ様の目の前から消えた後にこうして手紙が私の孫から届くように手紙を書いております。万一、この手紙が私に会う前にチヨ様の手に渡ってしまった場合は、見ていなかったことにしてください。そうしないと、チヨ様にこの事実を知らせることができなくなります。
最後に、勝手なお願いですが、田中に会えることがありましたら、一言伝えてもらえませんか。確かに田中を愛していた、と。
敬具




