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拝啓 自分様  作者: 荒川 晶
手紙の日
29/43

手紙の日 1

 藍は今までの人生の中でその時が最も走っていた。ひたすらチヨの下へと駆けていた。手には田中三郎からの手紙が握られている。

(どうしよう。なんで本当になっちゃうの。田中さんはどうなるの……!)

事の始まりはあの祐樹からの手紙だった――


 祐樹がチヨと藍と下を離れてから二カ月が過ぎ、夏も佳境に入っていた。その頃、藍は初めて手紙を受け取った。祐樹からの手紙だった。その内容は日々の医療業務、松本の素晴らしさ、そして近々一度帰宅することが綴られていた。

(そうか、帰ってくるんだ)

 原田とはあれから度々会うものの、普段は一人での生活を強いられていた彼女には喜ばしい知らせである。

しかしそんな喜びもつかの間、ふと藍は手紙を手にしたまま、硬直する。

(しまった……! 手紙……!)

 彼女の使命の一つだったソレを思い出す――そう、祐樹からの田中三郎への手紙だった。彼女は急いで持っている数少ない手荷物の入った風呂敷を解き、そのよれた紙を手にする。これは祐樹が出発前に藍に田中へと渡してほしいと頼まれたものだ。

 藍はその内容を知っている。祐樹が書いている時隣で読んでいたのだ。とても大切なことが書いてある。そんなものを自分自身に追われる日々のせいで忘れていた。だから余計に嫌な汗をかきはじめる。

(今すぐにでも届けないと)

 藍は手早く手荷物を作り始めた。チヨの場所からあの村へは日帰りでも行ける距離だ。まだ午前であるし、空も青い。絶好の配達日和なのだ。

 彼女は草履を履くと、診察していたチヨへと声をかける。

「出かけてきます。陽が落ちる前には帰れるとは思います」

「はいよ、いってらっしゃい」

 手をひらりと返し、目線は患者にあるチヨに一瞬目を向けると、藍は早足で歩く。この二ヶ月で徒歩しか交通手段がない藍の足腰は随分と鍛えられていた。三里なんてちょろいものであった。

 恐らく二ヶ月前の、彼女がこの時代へ来た日、その時よりも心も体も成長していた。一人で物事を考え、一人で決定し、一人で行動に移す。時折、友達である原田もそこに混ざっていたが、新選組が本業の彼はそれらを手助けする程度であった。

 藍は逞しくなったなと、自画自賛しつつ、歩きながら手紙を開く。どんな内容だったのか確認しておこうと思ったのだ。


拝啓 田中三郎様

 お元気でしょうか。以前お世話になりました二〇××年から来た橋本祐樹です。この手紙を受け取っている頃には私は大阪にいることでしょう。さて、この度は大切なお話がありこうして手紙を書かせていただきました。この手紙を届けた佳川藍に、御返事を手紙として渡していただけたら幸いです。

 早速ですが、本題に入ります。

 お世話になった際に、田中さんの奥様が逃げた話をしてくれましたね。でもそちらの村にいたということは、恐らくその奥様も別の時代から来た人だったのではと察しました。唐突ですが、奥さんの元来た時代に小さいお子さんはいらっしゃいましたか。その方は一九七〇年代から来た女性、チヨさんのことをご存知でしたか。もしご存知でしたら、チヨさんがその方を知っている可能性があります。

 その方は亡くなって、否、亡くなりかけて元の時代に戻った可能性があります。事実確認をできるのはチヨさんと田中さんだけです。どうか一度チヨさんに会いに来てください。

 取り急ぎ失礼いたします。

敬具


 女房が逃げたと言っていた田中の言葉が引っ掛かっていた祐樹はずっと考えていた。

あの村にいる時点で恐らく他の時代から来た者と一緒になったのだろうと考え、最初はチヨ本人かと思った。だがどうにも藍に着せた着物の背丈にチヨは合わない、チヨが大きすぎる。となると、他の者である。だがしかし、京都にいる限りではチヨ以外の『おかしな女性』の噂は聞かない。それにチヨの『他の時代から来たという女性』の話を聞いた瞬間に『子供のために元の時代に戻ろうとした女房』の姿がずっと彼の頭をちらついていた。万一、同一人物であるなら、その事実を知っているのは藍と祐樹だけである。これは知らせた方がいいのかもしれない、と祐樹は考えていた。

だがずっとタイミングを逃し続けていた。彼は大阪行きを機にやっとこうして手紙にしたのだ。彼もそうだが、彼女もそうだった。人は追い込まれて初めて行動に移すことも多々ある。今回もその一つだった。

藍は読み返すともう一度畳み直し、懐へと滑り込ませる。

この時、この後に起こる事に彼女が知る由もなかった。


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