秘密の日 1
それからまた同じ日の繰り返しであった。
同時に気温と湿度も上がってきていた。クーラーも扇風機もない。あるのは自然の風と木陰と風鈴の音くらいだ。
二人は日付の感覚を失い、そして完全にバテていた。チヨいわく、水無月――六月だというが詳しくは覚えていない。ちなみに、当時の六月頭が現代の七月半ばから後半あたりに相当する。
祐樹は着物を腰に縛ったまま上半身裸になり、藍も着物をまくりあげて必死に団扇で扇ぐ。暑い暑いと、もはや口癖だ。
「だらしないわね。数年前には私のいたところではエアコンなんて高価過ぎて普通の家庭にはなかったのよ」
「平成には普通あるんですよー」
温暖化現象により、江戸時代のときよりも平成は数段気温は高くなっている。だから江戸時代のときは平成の感覚よりも幾分か涼しいと考えられる。
が、しかし、京都は盆地である。関東よりも夏は暑く冬は寒い。それは江戸時代でも変わらない。京都の夏を体験したことがない彼らにとっては十分である。
見兼ねたチヨは彼らの前に仁王立ちになり、二人は彼女を見上げる。
「そんなにダラダラしているならお使いに行ってくれる?」
そう言って淡い桃色の風呂敷を差し出す。
藍と祐樹はのっそりと起き上がった。祐樹がそれを受け取り、少しばかり訝しげな顔をするも、普段から世話になっているだけに何も言えない。
「それは頼まれた英語の意訳をノートにしたものよ。未来に影響ないくらいに抑えたけど。それを福沢先生に渡してきて」
「福沢……?」
「知らない? 確か歴史にも名を残してるはずよ。学問のすすめを書いた福沢諭吉。あとは慶應大学の創始者ね」
「あの一万円札の人……!」
「一万円札? あなたたちの時代ではもう聖徳太子ではないのね」
チヨはケラケラと笑う。
一九八四年に大々的に改定された物を一九七〇年代からきた彼女が知るはずもない。
平成時代の人々の中でいか有名人かということを語る余裕もないほど、二人は驚きを隠せずいた。そして彼らには、福沢諭吉がそもそも幕末の人だというイメージがなかった。だがかなりの大物であり、しかもそれがあの手にすれば拝みたくなるような有名人である、という事実は彼らを驚きから興奮へと変化させる。
「緒方先生が昨年の六月一〇日に亡くなっているの。先生の忌日に合わせて大阪の適塾に門下生が集まるのよ。福沢先生も門下生の一人。今日は用事もあって、一足先に京都にきているわ。地図もそこに挟んであるから二人でいってきて」
そう言って風呂敷の間にある紙切れを指差した。
「ただし、気をつけて。幕府は外国を嫌っているの。先生も最近用心しているらしいのよ。私達の時代でこそ英語は当然のものだけど、ここは違う。あんまり流出してはならないものなのよ。私は患者を診なきゃならないし、あなたたちを信用して託すけど、くれぐれも気をつけてね。何かあったらすぐ逃げなさい。そして彼は歴史的にも大物人物よ。歴史を変えるようなことはしないように」
この時代が普通でないことを身を持って理解してきていた二人は地図を見ながらこくりと頷いた。
大分京都の地理は頭に入っている。どうやらこれは、鴨川沿いの飲み屋のようだ。
「私の名前を言えばわかるはずよ。いってらっしゃい」




