二人の日 4
祐樹が診療所に着く頃には空は赤くなっていた。
懐に隠しては時々覗いている、太陽電池で動くこの腕時計も、だいたい6時頃であった。だいたい、というのは、この時代の時刻は、鐘の音の数で把握するからだ。来た当初にそれを聞いた祐樹は鐘の数を聞いて時計を合わせていた。当然正確さは腕時計の方が勝る。が、この時代、細かい時間は必要ではないようだ。
未来では鉄道が敷かれ、車が走り、飛行機が飛び、会社や学校も分単位で時間を取り決めている。
進歩したはずの技術が、何故か事細やかに時間を気にする習慣を生み、ファストライフに変えていた。
この時代、幕末はまだ西洋化してない最後の時代である。言うなれば日本独自の文化が持っていたわびさびなどに代表される、真のスローライフの最期の時代なのかもしれない。受験という名前の戦争をしてきた祐樹にとっては、このスローな生活に慣れるにはまだ時間がかかりそうであった。
彼は時計をしまうと、履物を脱ぎ、上がる。
と、そのとき初めて違和感を感じた。
「ただいまです」
祐樹が奥の部屋に続く襖に手をかけた。
「やぁ、こんにちは」
「!? 新選組!?」
祐樹は思わず声を上げてしまう。
襖一枚の向こう側には畳んだ布団の横に藍、そして蒼いダンダラ模様の入った着物を着た侍が座っていたのだ。
「あら、おかえり」
祐樹はびくりとして振り返った。チヨだった。チヨがお茶と茶菓子を乗せている盆を手にしている。
「祐樹くんの分はないわ。また煎れてこなきゃ」
「いや、それはいいので……どういう状況なのかを……」
「後で後で。はい、これよろしく」
チヨは祐樹に盆を押し付けまた台所へときえていく。
残された彼は恐る恐る振り返ると藍と新選組の隊士がこちらを見ている。藍は寝起きのような顔をしていて、隊士はニヤニヤとしていた。
「あの、これ……どうぞ」
祐樹は高鳴る心臓を理性で無理矢理抑えながら、隊士の傍に寄るとお茶を差し出す。
新選組は半分は農民、半分は武士の子供だと習った記憶がある。誰よりも武士らしく生きることに重点をおいていた集団だ。お茶をこぼすような粗相は絶対にできない。
祐樹にとっては手の震えを抑えながら隊士にお茶を配るという試練だった。
それを無事終えると、ややほっとして藍にもお茶を渡そうとした……刹那。
「さっき新選組っていったか?」
どきり、びくり、ぱしゃ―――一連の流れに音をつけるならそう書くだろう。
あれほど気をつけていたのに結局お茶は畳にこぼされてしまった。
(嗚呼、やってしまった)
誰にもかからなかっただけよかったけどと、そんなことを意外にも平常心で思う。
祐樹は盆に乗っていた布巾で急いでお茶を吸い取ると、畳を叩くようにしてシミにならないように迅速に対応する。そうしながら返事をした。
「なんのことですか」
「さっき君が俺を見た瞬間言ったよな。確かに新選組って聞こえたんだけど」
ほんの一瞬。祐樹の頭の中に年号が並んだ。
新選組の名を有名にしたのは池田屋事件のあとだ。チヨいわくまだ起きていないらしい。京弁を話さない、つまり京都の人間でない自分達が『壬生狼』ならまだしも『新選組』の名前を知っているのだ。もしかして不信に思われたのだろうか。
「お前らあれだろ? 京の奴らじゃないよな? 江戸かそこらか? よく知ってたな、その名前」
「噂には聞いていたので」
「ほう、噂? どんな」
「蒼いダンダラを着た侍達の組織名は新選組だって」
「江戸でか?」
「あ……はい」
ギリギリの嘘だった。冷や汗をかきながら次の反応を待ちつつ、手は必死にお茶を拭いている。




