南の森の戦闘
悲鳴を追いかけて走ること四、五分。
一度聞こえてきた悲鳴はその後まったく聞こえなくなっていた。
入りくんだ森で、たった一度聞いただけの叫び声を追いかけて目的地に着くことは簡単ではない。
できれば、もう一度ぐらい方向と距離の確認がしたかったが、できないのなら仕方ない。 記憶を便りに走るだけである。
そして、そこからさらに一分くらい走った頃だろうか。
近くから魔獣の唸り声のような、地の底から響くような嫌な声が耳に入った。
それも一体分の発する音ではない。
それこそ、魔獣の群れが幾つか争っているのではないかと思うほどの音量だ。
女の子の声がした方向とその音の方向が同じだったため、音のした方向に向かう。
群れがいたらその時はその時だ。
逃げるなり倒すなりすればいい。
音は断続的に鳴り続け、もう方向に悩むこともなく走り続ける。
まもなく、視界が開け、ちょっとした広場のような場所が現れた。
木々が途切れており、草も薄くなっている。
所々に地面が見えており、光量も十分だ。
不思議と久々に日光を浴びる気がするな。
まだこの森に入ってから数時間しかたってないはずだが。
個人的には陽射しがあるのは嬉しかったが、光を遮る暗い森の中で、光を浴びる空き地はどこか異質な存在であるように思える。
自然にできたものではない。
広場を見渡すと、反対の端の方には三体の
オーガが五体万足ではない状態で倒れており、それぞれ普通ではない量の血を流している。
おそらく全滅しているだろう。
そのオーガたちの近くには、小さな女の子が同じく倒れていた。
この子が悲鳴の主ではないかと思う。
少し心配したが、こちらは、怪我をしている様子はない。
おそらく気絶しているだけだ。
そして、さっきからずっと唸っているような声を出し続けている魔獣。
そいつは、この広場に新しく現れた俺を鋭く睨みつけ、威嚇するように、俺の腕くらいの太さはある牙をむき出しにした。
そして、背中から生えた、かなりの大きさを誇る翼を羽ばたかせ、辺りに土埃と風を巻き起こしている。
ここまで大きな個体を見るのは始めてだが、こいつはワイバーンだ。
俺は、なぜこの森にこんな空き地があるのかようやく理解することができた。
この場所は多分こいつが飛び立ったり、降りたりして広がった中継地点のようなものだ。
最初は小さかったかもしれないが、何回か離着陸しているうちに、自然と広がったのだ。
ワイバーンはこの広場を自分の縄張りだと考えていて、俺を縄張りを荒らす侵入者だと思っているといったところか。
それにしてもたまたま来たところにワイバーンがいるなんて運がいい。
最近俺の相手になるような魔獣と闘ってこなかったからな。
少し腕が鈍ってるかもれないが、故郷の村にいた時はワイバーンぐらいなら楽に狩れた。
今回のワイバーンが少し大きいとはいえ、油断さえしなければそんなに苦戦する相手ではない。
ただ、さすがに魔法も使わないとやりにくいな。
飛び回られると厄介だ。
オーガの依頼は、空地の向こうに倒れているオーガの耳でも切り取ることで完了にしよう。
俺はワイバーンと闘う前に、女の子の無事を確保したかったが、今ワイバーンの狙いは完全に俺に定まっており、下手に動けば逆に女の子を危険にさらしそうな気がする。
せっかく端の方にいてくれてるし、そのまま倒す方が安全かもしれないと考え直した。
改めて視線をワイバーンに向けると、その大きさに圧倒される。
もうこのサイズならリトルドラゴンと呼んでも差し支えないのではないだろうか。
規格外のワイバーンだ。
補足しておくが、リトルドラゴンはワイバーンより強く、さらにその上にいるのが龍とも呼ばれるドラゴンである。
ワイバーンとリトルドラゴンの差は、魔法が使えるかどうかということと、身体能力、主に力である。
ブレスは、魔力の変換で撃たれる、魔法の一種なので、ワイバーンは使えない。
ワイバーンの強味は、素早さと空中戦の巧さである。
少しの間俺とワイバーンは互いに動かず、
睨み合っていた。
そして、睨み合いながらも少しずつ体勢を変えていく。
ワイバーンは四肢を地面に付け、前傾姿勢に。
俺は、背中に背負った長剣に手をかけ、体を低くする。
互いに体勢が十分となった時、辺りに魔獣独特の叫び声が響き渡る。
それを合図に、ワイバーンはこちらに突進を開始した。
大きなストライドから生み出されるのは、なかなかのスピード。
予想よりも早く、俺との距離を詰めてくる。
本来ワイバーンは空中からのヒットアンドアゥエイが一般的であり、突進してくるのを見たのは始めてのことである。
俺はあえてワイバーンが近づいてくるのをギリギリまで待つことに決めた。
ワイバーンが徐々に迫ってくる。
不思議なもので、巨体が近づいてくるごとに興奮は増しているのだが、心はより冷静に研ぎ澄まされていくのを感じる。
集中力が増しているのだろうか。
それとも、魔獣に対する闘争心の為せる技なのだろうか。
この感じは本当に懐かしい。
ワイバーンは自分の方がリーチが長いと知っているようで、こちらの間合いに入る前に飛びかかってきた。
前脚を振りかぶりながら、その先端で光を放つ爪で俺の体を裂こうとする。
俺は宙に浮いたワイバーンの体の下に滑り込み、背中を見せることになったワイバーンの後脚を斬りつける。
最初の攻撃が失敗に終わったワイバーンはすぐさま振り返り、飛ばずに爪を振り回す。
当たれば脅威であるその爪での攻撃はいかんせん大振りである。
俺は、自分の体のすぐ近くを風切り音音を立てながら通過していく爪を横目に、今度は強化魔法をかけ、剣を振るう。
せっかく魔法をつかったし、ギリギリのタイミングまで攻撃を続けたい。
普段よりも粘ってリスクを負う。
ワイバーンの硬い鱗も、俺の長剣の前には役に立たず、やすやすと内側の肉を切ることができる。
剣に真紅の血が流れ、辺りにも少しずつ血飛沫が舞う。
ワイバーンは、体を切り裂く斬撃に脅威を感じていないのか、何度も大振りな攻撃を繰り返し、反撃を食らう。
何度かその繰り返しが行われた後、一度ワイバーンが距離を取るために後ろに飛んだ。
ギャアォァァァァァァァァァァ!!
そして、勢いよく咆哮をあげ、ようやく自分の領域ともいえる空へと飛び上がった。
俺は追撃することもできたが、あえて離れ、空中から飛び込んでくるワイバーンを迎え撃つことにした。
戦闘は第一段階から第二段階へと移行したことになる。
ワイバーンは空中で羽ばたきながら俺の隙を伺い、空地の周りをぐるぐる飛び回る。
ワイバーンに合わせて体の向きを変えるのは面倒なので、目を閉じて気配だけを感じることにした。
当然のことだが、目を閉じると周囲は暗闇に包まれた。
今まで見えていた空地の光景や、少女の姿が消え、文字通り、ワイバーンの気配だけに集中している形になる。
ワイバーンが回っているのが分かる。
何度か周回した後、背後から俺に襲いかかろうとしているのが分かる。
体を細長くし、できるだけ空気抵抗を無くした形で滑空してくる。
巨体の起こす風圧で、空地にわずかに残っていた草が吹き飛び、宙に舞う。
そんな状況を気配で感じながら、俺は、ワイバーンが間合いに入った瞬間に強化魔法を発動させながら剣に魔力を乗せ、剣を振り切った。
今までとはレベルの全く違う斬撃は、高速で通り過ぎるワイバーンの胴体を切り裂いた。
さすがに真っ二つとはいかなかったが、先程から与えていたダメージもあったのだろう。
ワイバーンは少し俺を通り過ぎた後、ドサッという音ともに地面に崩れ落ちた。
鮮血が飛び散り、辺りの地面が急激に血の海になっていく。
やはりまだまだワイバーンなら楽勝である。
最初から一撃で倒すのは無理だが、相手の勢いを利用すれば深く斬ることができる。
血の流れを追うように、もう一度空地を見渡してから、オーガと少女のことを思い出し、歩き出す。
先にオーガの耳を切り取り、次にワイバーンの牙と鱗を取った。
ワイバーンともなると、後でギルドに報告すればギルドが回収にくるそうだ。
だから、いくら素材が高価だからといってもそんなに持って帰る必要はない。
精々討伐の証明となればいいのだ。
ワイバーンの死体から離れ、ようやく本来の目的である少女の元に向かう。
先程の戦闘の最中に起きるかとも思っていたが、依然気絶したままだった。
近寄って助け起こすと、初めて少女の姿をはっきりと確認することができた。
身長はだいたい俺の胸ぐらいまでで、体は細く、華奢で色白。
とにかく全ての部分が細く、胸の膨らみもあまり感じられない。
しかし、顔つきは美しいながらも大人びていて、鮮やかな銀髪と合わさることで、どこか儚げな印象を抱かせる。
はっきり言ってかなりの美少女である。
宿のカリンもそうであったが、タイプが完全に異なる。
カリンが動ならこの少女は静である。
さらに驚いたことに、彼女の首にはチョーカーのような端整な作りの首輪がはめられていた。