初めての二人きりの食事
パタン…。
一日の疲れを顔に表し、漆黒の髪と額に手をやるように彼は帰ってきた。
「おかえりなさい。」
そっと彼を労わるように声をかける。
彼はハッとしたようにこちらを見て、信じられないようなものを見るような目をして訝しげにこちらに声をかけた。
「何をしているんだ?」
「何って…お出迎えに…。何か変…?」
彼の視線がとても冷たく、床を見ながら彼からかばんを受け取った。
「変って…。今まで君は…。 いや、いい。 それよりどうしてこんなに真っ暗なんだ?」
「うとうとしながら待ってたから。ついさっき起きて…。だめだった?」
私は何か失敗したかと、心を硬くしながら応対を続けていた。
「いや…。だが妊婦で足元が危ないから付けておきなさい。」
「うん…。ありがとう。」
彼から労わるような言葉を受け、少し力を得たような気がした。
勢いに任せるように言葉を続ける。
「あの!もう……遅いからと思ったんだけど…夕飯食べる?」
「はっ? 夕飯? 君が…?」
彼はさらに凝視するように私を見る。
「うん…。私は食べたんだけど…。ちょっと頑張ろうかな…と思って。赤ちゃんのためもあるし、栄養のあるもの沢山作ったんだ。良ければ食べてくれる?」
私は犯してしまった失敗を必死に隠すため、何とか言い訳を並べ立てる。
私には彼女の記憶が全くない。仕事に疲れた新婚の旦那さんを起きて待って、夕飯を出すことがこの夫婦では異常であったらしい。
どうか…騙されて…。祈るような気持ちで彼の視線から逃げ、キッチンで鍋に火をかける。
ネクタイを緩め、くつろぐ姿勢になろうという彼の変わらない視線が痛い。目を閉じ、必死に耐えていると、彼はふっと視線をはずした。
「あぁ。いただこうかな。夜中だし、少しだけ出してくれ。」
ダイニングを見ると、先ほどより目元を和らげこちらを見る彼の視線とぶつかった。
「うん。すぐに用意するから待っててね。」
◇◆
夜中ということで、少しずつおかずを彼の手元に並べた。肉じゃが、インゲンの胡麻和え…。出汁巻き卵、みょうがと冷奴。
あれから、赤ちゃんのために自分のすぐに出来る料理を作ったものだった。
彼は一瞬並べられた料理を見、そして勢いをつけるように食べ始めた。
躊躇したのは刹那で、それからもくもくと食べる彼。
夜中の静けさもあいまって、そこには食べる姿だけがある。節ばった、細く綺麗な手が、美しい箸使いでどんどん食べ物を胃に納めていく。
彼は何も言わなかった。感想を言うでもなく、甘やかな目を向けてくるでもなく。でも、私はとてもその姿が美しく、嬉しいと思った。
Yシャツの上からでもわかる鍛えられた肉体。
咀嚼するたびに動くスッと通った顎と首。動くたびに流れるサラサラな漆黒のストレートな髪。
その見目麗しい彼が、残すことなく私の料理を食べている姿に…。
何故か私は愛おしいと思った。
その瞬間私の心は彼で埋まり、胸が痛くなった。
愚かなことに私は、たった一日でこの身体の夫に恋をしてしまった。
決して私自身、私の全てを見てくれることがない彼に…。