向き合った心…
要の視線は依然強く、愛されていると誤解して言葉を撤回したくなる…。
でも、それでは要のためにも、子どものためにもならない…。
要に縋りたくなる気持ちを強く押さえつけ、私は今一度言葉を発した。
「離婚しよう、要。」
彼の表情は強張り、私から告げられた言葉が信じられないような目をして私を見つめる…。
「………。」
「………。」
無言が続き、私の心の奥底まで覗き込む強い視線で私を見つめ続ける。
そして私は秘めた心を隠すように凪いだ表情で彼を見つめた…。
急に目を逸らし、掴んでいた腕に力を入れて私を立たせる。
「な、何?」
「此処じゃ、寒くて身体に悪いから…。」
「うん…。」
彼は力の入らない私を労わるように支え歩き、ソファに座らせ、自分と向かい合わせた。
◇◆◆◇
夜中の静けさのみの空間で無言が続く…。
口火を切ったのは要だった。
「なんで、離婚したいんだ?」
「離婚したいから。」
「さっき、愛しているというのはウソだったのか?」
「…ウソじゃない…。」
「なら何故、離婚したいんだ?」
「………どうしても離婚したいの。」
「俺のこと…愛しているのか?」
「…愛してる…。」
「子どものこと、愛しているのか?」
「…愛してる…。」
「なら…何故離婚しなければならないんだ?」
「どうしても離婚しなくちゃいけないの…。」
彼からくる質問はまっすぐで、愛しているという気持ちにどうしてもウソをつきたくなくて…答えにならない応えを返し、質問は要領を得ず、どうどう巡りを続ける。
「何故、離婚をしなければならない。お前は俺を愛していて、子どもも愛していると言っているのに。
離婚する必要はないだろう?」
続けられたどうどう巡りと、彼のお前は離婚しないだろうという下心を見られたような言葉に耐え切れず、とうとう叫ぶように言葉を返してしまった。
「何故?なぜって…要に愛されてないからよ! 私は愛しているのに…要は私も生まれてくる子どもも愛してないからよ!!
要は一緒に赤ちゃん講座に行ってくれたり、赤ちゃんの胎教も一緒にしてくれた。支えてくれた。周りからは優しい旦那さんねって言われたわ。でも、全部上辺だけ!!
私が貴方に触れようとしても、避けたじゃない! もっと会話をしようとしても仕事を理由に逃げたじゃない!
一度も一度も抱きしめてくれたこともない! 一度も笑顔を見たことがない!!
要が好きよ…。愛してるの…。でも一方通行の愛は悲しいよ…。
これじゃ夫婦でいる意味がない…。一緒にいても寂しいのなら、一緒にいる意味がないよ………。」
要からの質問で叫ぶように出てきたのは、要と離婚し開放したいという気持ち以上に胸に溜まっていた寂しさだった…。
要をこの結婚から開放したい。その決意に微塵もウソはない。冷静に彼を説得し、離婚し子どもとともに彼の前から姿を消すつもりだった。
でも、彼への愛情とともに積もってきた寂しさも本当だった…。
口から出てしまった言葉にいたたまれず、視線を床から離すことが出来ない…。
彼からの応えはない…。
当たり前だ…。自分の金と容姿に魅せられて寄ってきた女に孕まされて結婚させられたのに、愛情が欲しいと叫ばれるとは滑稽で意味不明に映っているだろう。
ふざけるなと叫ばれてもいいくらいだ…。
(あれ…でも何故離婚に同意しないんだろう…? きっとこの身体の女性も子どもも憎くて避けられていたはずなのに…。 彼の望む状況なのに…。何故?)
このどうどう巡りが続く状況に混乱した頭の中に疑問が浮かぶ。
今までの彼なら即 是と言われて放りだされると思っていたのに…。
静まり返る空間の中、そっと床から視線を外し、伺うように彼を見た。
彼はワイシャツ姿でネクタイを緩めた服装で、身体を背もたれに預け、手で目元を隠すように黙っていた。
静かな…静謐な空間だった…。
この世に私と要…二人しか存在しないようだった…。
◇
静けさの均衡が崩れる…。
彼と二人きりの世界に浸り、見つめる私を現実に戻すように要は言葉を発した…。
「俺は…お前の言う通り、お前も、子どもも愛してなどいなかった。むしろ憎んでさえいた…。
いつも通り、割り切った関係と思ったのに、ハメられて…。慰謝料という謝意になるが誠意を持って、堕ろしてほしいと頼んだ俺をあざ笑い、結婚してくれなければ世間に公表して社会的に抹殺してやると言われたときは一瞬殺意さえ浮かんだよ…。」
彼の表情は見えないが自分を嘲笑うような笑みを浮べているのが伝わる…。
彼から紡がれる言葉が痛い……。鋭く棘になり、身を貫き続けるようだ…。
「そうして、結婚しても夜に家を出て、子どもを思うでもなく、男と夜遊びを続けるお前に失望し、心の底から軽蔑した。そして仕事に逃げた。
この状況が一生続いて、俺はお前に飼い殺されるんだと絶望の中で覚悟したよ…。」
(痛い…。聞きたくない…。)
そう思い耳をふさぎたくなる気持ちを抑え、彼の言葉を受け止めた…。
「そんな暗闇の生活が続くと思ったんだ…。
でもある日お前が珍しく家にいて初めて俺に食事を出してくれた時…
その暖かさに驚愕したよ…。毒でも出されるか、はたまた俺を苦しめるものでも出すのかと思っていたのに…
美味しかった…。
あれから、毎日家にいるようになって朝は朝食を囲み、夜には遅くまで起きて俺の帰りを待って食事を用意してくれるお前に不思議な気持ちになった…。
向かいあうお前の口元には初めてみる微笑が浮かび、俺はお前を誤解していたんじゃないかとすら思うようになった…。
お前に連れ出されるようにして出かけた赤ちゃん講座では他の妊婦友達に囲まれ談笑していた。お腹の子どものために胎教CDをかけ、一生懸命語りかけるように絵本を読んでいた。夕飯のための散歩を兼ねた買い物では、少しでも家の為に節約する姿や季節の移ろいに目を輝かせるお前に新たな一面を見た気がした…。
ほんの少しずつ俺のなかにお前への優しい気持ちが生まれてきた…。
好意のようなものが…生まれたような気がした。」
彼から伝えられる言葉が優しくなり、耳をふさぐ痛い言葉からカタチを変えていた。
そう思ってくれていたんだ…。
「じゃあ…なぜ私を避けたの…? 一度も抱きしめてくれなかったの?」
黙って聞こうと思っても、我慢できずに用に疑問を投げかける。
「少しずつ育っていく気持ちに理性がついていかなかった。
なんせ、出会いと経緯があれだからな…。そんなお前を信じられるわけないじゃないか…。
また、演技していないとどうして言い切れる。はっきり言って信用できない。
そんな相手と会話できるはずもないし…、笑顔なんてでるわけない…。」
彼の独白はとことん裏切られたこの身体の女性への傷ついた心を表しているようで…とても私からかけられる言葉なんてなかった。
辛い…。私だったら要をこんなに傷つけたりなど絶対しなかった。
彼の告白は…だからこそ、お前を愛せないと言われているようで…心が痛かった…。
「………。」
「……………。」
言葉が…出ない…。
でも、この身体の女性がどれだけ要を傷つけたか、要にどれほど憎まれているか…思い知った。
要に私に対する優しい気持ちが芽生え育っても、その気持ちが枷をなり…一生…要は…私を愛すことはないだろう…。
私もこの身体の女性が憎い!本当に…!!
でもこの身体にいる以上…私はそれから逃げることはできない。逃げる術もない…。
受け止めるしかないのだ…。
私はさっきと同じ言葉を覚悟を持ってもう一度言った。
「離婚しよう、要…。」