違和感のある日常
「ほら道裕、いつまで寝てるの? 夏休みだからってダラダラしてんじゃないの。」
母さんの怒鳴り声で起こされた俺は、自分の部屋のベッドの上で、ぼんやり起き上がると手首がヒリヒリと痛んだ。
開け放した窓の網戸の向こうからは、朝のうちの程良い風と、離れた場所で鳴く蝉の鳴き声が間断なく流れ込んでいる。こっちに帰って来てからのいつもの朝の風景だ。
ただ1つ。手首の痛みを除いては。
何だこれ? 俺、何でここにこんな傷があるんだ?
痛む場所をじっと眺めてみれば、両方の手首がぐるりと1周、皮が剥けて赤くなっていた。
意識すればするほど痛みが気になり、痒みも感じる。
しかも身に覚えは無い・・・不思議だ。
「ねぇ母さん、傷薬ある?」
「傷薬? あるけど・・・どうかしたの?」
「ここ、手首が何か擦り剥けてんだけど・・・。」
すると母さんは急に表情を強張らせ、信じられない物をみるような目で俺を見た。
「何?・・・どうかした?」
「道裕・・・あなた変な趣味でもあるの!? 一体どこで縛られたの!?」
縛られたって何? 一発でその思考に辿り着く母さんこそ何者なんだ?
「・・・母さん、言ってる事おかしい。覚えは無いけど傷になってたの。」
「でもこんなにくっきり、まるで適当な縄で縛ったような痕じゃない・・・。」
母さん、もう黙ってくれ。これ以上聞くと俺、母さんを見る目が変わりそうだ。
「・・・あのさ、もう喋らなくていいから傷薬だけくれ。」
独特の臭いのする軟膏を塗ってみても、やっぱり疑問が消える訳は無い。
俺、何でこんな怪我してんだろう?
始まったばかりの夏休みに、いきなりの謎。超常現象並みのこの謎を解明できれば、自由研究のレポートくらいにはなるだろうか? いや、母さんみたいに怪しい趣味を疑われるのがオチか?
この傷をこのままにしておくのも怪しいなと包帯を巻いてみたが、これはこれでまた違う誤解を受けそうな姿に思えて、諦めて解いた。
前にクラブで使ってたリストバンドを出して嵌めてみると、見事に傷に当たって速攻で外した。
まさかこの夏の最中に、長袖で隠すって手段しか無いのか?
俺はげんなりした気分になって、再び布団に転がった。
・・・まったく不可解で厄介な傷だ。
◆◆◇◆
久しぶりの実家はとにかく暇で、何となく携帯を弄っていたら、コウちゃんの番号が何となく引っかかった。
そういや、今年はバイトしてないのかな?
エイプのコウちゃんに会った事を思い出して、何で聞いてないんだろうと少し疑問を抱いた。
・・・あの時、何話したんだっけ?
嬉しそうにエイプを自慢していた姿ばかりが印象に残っているが、話した内容については何となくぼんやりしている。
これも不思議に思い、順に記憶を追ってみたが、途中からぷつりと途切れてしまった。
何だ俺? 何で記憶が飛んでるんだ???
更に不可解な謎が増えた俺は、携帯のキーを連打してコウちゃんにメールを飛ばした。
あの時一緒にいたコちゃんに聞けば、抜けている記憶が埋められるかもしれない。そして、もしもコウちゃんの記憶にも空白があるのなら、俺たちに何かが起きた事になる。
『今日暇? 暇なら会おう。連絡くれ。』
するとすぐに返事があった。
『おうヒマヒマ、じゃぁ今からお前んち行くわ。』
一足飛びな返事が来て思わず吹いたが、別にまあいいかと『OK』とだけ返事をした。
◆◆◇◆
「あのさ、俺が帰ってきた日・・・バス停でバッタリ会ったろ?」
「うん? それがどした?」
手土産だと言って、コウちゃんが持参した炭酸飲料水の缶のプルタブを開けながら、俺はいきなり本題に入った。
足りない記憶に気付いてから、俺はどうも首の後ろ辺りが気持ち悪いような気がして落ち着かない。
「あの時、俺たち何を話したっけ?」
缶を傾けて俺は再び新たな違和感に気付く。最近はお茶系やスポーツドリンクばかりで、炭酸飲料は久しぶりのはずなのに、つい最近口にしているような気がした。
「何って、最近の事話して・・・あれ?」
口を開いたコウちゃんも、妙な顔をして言葉を止めた。どうやら同じように、あの時の記憶におかしな点があるらしい。
「じゃあ、知らない間に怪我したりしてないか?」
「・・・怪我。」
「俺は、手首に・・・ほら。」
服の袖を下げて赤く皮の剥けた手首を示すと、コウちゃんは嫌そうな顔をして顔を背けた。
「や、やめ!・・・俺、血とか傷とかマジ苦手なんだけど!? ・・・って、あ? でも俺も今朝起きたら肩が紫になってたんだ。」
そう言って、Tシャツの袖を捲り上げて覗いた肩には、確かに赤紫色に変色し内出血を起こしている。しかもかなり大きく。
「これ、ベッドから落ちたせいかなとか思ってたんだけど・・・。」
「・・・落ちたのか?」
「いや、落ちた記憶は無いんだけどさ。落ちても寝たまま戻ってる事があるらしいから、それかなーって思ってたんだけど・・・違うかな?」
俺は、どこか引きつった笑みを貼り付けて、頭を掻くコウちゃんに、遠慮の無い視線を向けてしまった。
それはさすがに違うだろう? 普通そんだけ色変わるほどぶつければ、絶対起きるぞ?
「やっぱり何か欠けてて、知らない時間があるって事だよ。」
「はぁっ? どういう事だ?」
「理由は分からないけど、記憶が繋がらない部分があるってのだけは分かった。」
怪我をしてて、何を話してたのか分からなくて、炭酸飲料に違和感があって、まだ他にも気付いていない何かがあるのかもしれない。
「じゃぁ行こうか!!」
空になった炭酸飲料の缶を握り潰して、コウちゃんは急に立ち上がって吼えた。
「・・・どこに?」
「もう一回やり直してみようぜ。何か思い出すかもしれないだろ?」
なるほど・・・そういう事もあるかもしれない。