感動のあとに帳簿を開く――いい話にツッコんでしまう私が、悪役令嬢を書くまで
Xで、こんな投稿を見た。
家族で一番稼いでいたのが、高校2年生の弟だったという。
母親が偶然見つけた弟の通帳には、480万円の残高があった。アルバイトではない。ゲーム実況で得た収入だった。
姉が尋ねると、現在の残高は700万円を少し超えていた。父親の給料は手取りで23万円ほど。弟は前年、父親の年収を上回る額を稼いでいた。
家計が苦しく、電気を止められた月には弟が支払った。父親の財布へ、こっそり3万円を入れたこともあった。
父親は、それに気づいていた。
けれど、知らないふりをしていた。
弟も、父親が気づいていることを知っていた。
自分の収入が父親を超えたと明かせば、父親が傷つくと思ったから。家計へ入れた金だと伝えれば、父親が受け取れなくなると思ったから。
すべてを話した翌朝、父親は弟の部屋を訪ねた。
「機材な。もっといいの買っていいぞ」
それから2人は以前よりよく話すようになり、弟も父親の財布へこっそり入れるのではなく、家へ直接お金を渡すようになったという。
いい話だった。
互いを思うあまり、互いに黙っていた父と息子が、ようやく話せるようになった。
私は素直に感動した。
そして、その直後に考えた。
確定申告は?
納税は?
税法上の扶養は?
健康保険の扶養は?
ゲーム実況に使っている機材は、経費として計上しているのだろうか。
高校生がこれだけの金額を稼いでいたなら、親の健康保険の扶養から外れるのではないか。そうなれば、国民健康保険への加入はどうなるのだろう。家族の誰かが、そうした手続きまで把握しているのだろうか。
感動に水を差したいわけではない。
私は、いい話を嫌っているのではない。いい話を見たあと、その話の翌月が気になるのである。
拍手のあとにも生活は続く。
善意の場面が美しく終わっても、その結果を引き受ける人の時間は続いていく。
私は、そこを考えてしまう。
悪役令嬢ものについても、よく似ている。
婚約を破棄された令嬢が逆転する。
彼女を陥れた聖女や、愚かな王太子の悪事が暴かれる。
本当の価値を理解する相手に選ばれ、悪人は相応の報いを受ける。
そうしたテンプレートには、テンプレートなりの強さがある。
分かりやすい勧善懲悪には爽快感がある。理不尽に耐えた主人公が報われる安心感もある。
私にも、その気持ちよさは分かる。
分かるのだが、そのまま書くのはあまり得意ではない。
王太子が大勢の前で婚約破棄を宣言した。
その宣言だけで、家同士の契約まで消えるのだろうか。
聖女が泣きながら傷つけられたと訴えた。
傷ついたことと、相手が有罪であることは同じなのだろうか。
有能な公爵令嬢が追放された。
彼女が担当していた仕事は、明日から誰が引き継ぐのだろう。
王太子を廃嫡した。
では、後継者と、彼が途中まで承認していた政策と、止まった行政手続きはどうするのだろう。
主人公が勝ち、広間に拍手が起きた。
そのあと彼女は何を食べ、どこで眠り、翌朝から何をするのだろう。
作者である私が、テンプレートの途中でツッコミを入れたくなるのである。
そのツッコミを黙らせれば、もっと素直な王道作品になるのかもしれない。
けれど、よくある流れの悪役令嬢ものは、すでに世の中にごまんとある。優れた作品も、気持ちよく読める作品もたくさんある。
そこへ同じものを一つ増やすより、私はつい、型の外側を見てしまう。
だから私は、完成された型へ余計なものを足す。
書類を足す。
帳簿を足す。
担当部署を足す。
引き継ぎを足す。
拍手が終わったあとの生活と、その場では拾われなかった感情を足す。
そうして、少し違う悪役令嬢が出来上がる。
こうした疑問は、特別な出来事からだけ生まれるわけではない。
「今回は特例で対応します」
「皆で気をつけましょう」
「次の勤務者へ引き継いでください」
日常の中で何度も聞く言葉にも、私はつい立ち止まる。
特例を決めたのは誰なのか。
「皆」とは、具体的に誰なのか。
引き継いだあとの責任は、どこへ移るのか。
記録には残るのか。
同じことが起きたとき、次も誰かの善意や気づきだけで処理するのか。
私が日常から作品へ持ち帰るのは、そこで働いている人物そのものではない。
「それで、そのあとは?」
「誰が見ているのだろう」
「本人は何を望んでいるのだろう」
という、小さな疑問である。
その疑問を悪役令嬢へ渡すと、彼女は泣く代わりに記録を残し、怒鳴る代わりに責任者を尋ねる。
けれど、そこから先にどんな答えを出すかは、私にも分からない。
この癖が、作品の方向性としてはっきり現れ始めたのは、2026年1月に投稿した、
『悪役令嬢の定義から教えてください 〜正論を言っただけで世界が壊れ始めました〜』
だったと思う。
主人公アーデルハイトは、聖女を虐げた悪役令嬢として、王太子から婚約破棄と断罪を宣言される。
聖女が泣き、王太子が怒り、周囲がその正義へ同調する中で、彼女は反論するのではなく尋ねる。
「『悪役令嬢』の定義を、教えてください」
何をしたから悪なのか。
用途報告の出ていない支援金を止めたことか。
書類の提出を求めたことか。
泣いている聖女へ、会計上の責任を尋ねたことか。
そして、自分が断罪されたあと、その仕事を誰が引き継ぐのか。
皆が聖女の涙を見ている場面で、彼女だけが翌日に止まるかもしれない仕事を見ている。
この作品を書いた頃から、私の方向性はある程度定まってきた。
悪役令嬢が誰かを力ずくで打ち負かすのではない。
周囲が曖昧なまま済ませようとしたことへ、定義と根拠と責任者を求める。
彼女は復讐を仕掛けない。ただ正しい手順を踏む。
すると、それまで感情と雰囲気で回っていた世界が、自分の矛盾に耐えられず壊れ始める。
そこから、これやあれを書いてきた。
感情のあとに確認事項が続く令嬢がいる。
怒りを記録へ変え、悲しみを撤退の決定へ変え、誰かへの愛情を、次の人へ同じ負担を残さない仕組みへ変える女性がいる。
そういう、感情を行動へ変える主人公たちを書いてきた。
けれど、私の主人公を単に「感情より実務を優先する人」と説明することもできない。
相手にも「痛い」と言ってほしくて、血を求める令嬢がいる。
復讐も謝罪も求めず、誰かがようやく自分を見つけ、目を合わせてくれたことを喜ぶ令嬢もいる。
怒る自分、泣く自分、壊したい自分、嘘を吐く自分、もう眠りたい自分。
表へ出すことを許されなかった感情へ名前をつけ、自分から切り離さなければ生きられなかった令嬢もいる。
長年、自分へ集まり続けた仕事を本来の場所へ返し、次の人を同じ立場へ置かないことを選ぶ女性もいる。
一度、誰かの手を借りなければ水も飲めない人生の終わりを経験し、王太子の怒声や聖女の涙より重いものを知った主人公もいる。
感情が薄いからではない。
感情のあり方や現れ方が、怒鳴る、泣く、縋るといった分かりやすい形をしていないのである。
私の主人公には心がある。
ただし、その心が一般的で、理解しやすく、本人にも説明可能な形をしているとは限らない。
泣かないことと、心がないことは同じではない。
そして、心があることと、その心が誰にでも分かりやすい形をしていることも、同じではない。
そして最近、大臣の記者会見で、こんな言葉を聞いた。
「所管外なので、回答は差し控えさせていただきます」
私はそれを聞いて、考えた。
関係する者が全員それを言ったら、その問題は最後に誰の所管になるのだろう。
誰も答えず、誰も引き受けないまま、問題だけが残るのではないか。
そこから、もう一つ別の疑問が浮かんだ。
物語の主人公は、自分の前へ現れた出来事を、すべて引き受けなければならないのだろうか。
聖女の首飾りが光った。
亡き母から手紙が届いた。
地下の竜が主人公の名を呼んだ。
隣国の皇太子から「姉上」と呼ばれた。
どれも、いかにも物語になりそうである。
けれど、神殿に関することは神殿へ、魔術に関することは魔術研究院へ、会計に関することは会計監査院へ回せばよいのではないか。
主人公が選ばれし者になることを拒み、すべての伏線を担当部署へ送っても、それぞれの組織が自分の仕事をすれば、世界は意外と普通に回るのではないか。
そうして生まれたのが、現時点でいちばん新しい作品、
『何も回収しない悪役令嬢――その伏線、担当部署へお回しください』
である。
何ひとつ回収しない悪役令嬢は、次々と現れる物語の入口へ同じ言葉を返す。
「所管外ですので、回答は差し控えさせていただきます」
伏線は、どうぞ担当部署へ。
Xの美談を見れば、確定申告や納税、扶養、経費計上が気になる。
大臣の記者会見を見れば、最後に誰が問題を引き受けるのかが気になる。
私は日常で引っかかった疑問を、悪役令嬢へ渡している。
すると彼女たちは、私にも思いつかなかったやり方で、その問いへ答え始める。
けれど、こうした主人公を悪役令嬢ものの定番の場面へ置けば、周囲との間に摩擦が生まれる。
王太子が怒鳴っているのに、一緒に感情を高ぶらせない。
聖女が泣いているのに、慰めるより先に事実を確認する。
婚約を破棄されたのに、愛や誇りではなく、契約と引き継ぎの話を始める。
王太子たちが期待しているのは、泣き、縋り、取り乱す悪役令嬢である。
彼女がその役を演じてくれれば、王太子は正義の主人公となり、聖女は守られる被害者となり、周囲も安心して拍手できる。
しかし、私の主人公は期待された感情を返さない。
「具体的には、何をしたのでしょう」
「その判断には、どのような根拠がありますか」
「では、この仕事は誰が引き継ぐのですか」
と、淡々と返す。
その瞬間、華々しい断罪は根拠の乏しい宣言となり、聖女の涙は証拠ではなくなり、美談の下から担当不明の仕事が現れる。
彼女たちが壊しているのは、人の心ではない。
感情を返してもらえることを前提に作られた、相手の物語である。
だから作中では、冷たい、可愛げがない、人の心がない、と呼ばれる。
そして同じ印象は、作品を読んだ方から返ってくることもある。
淡々としている。
機械的に見える。
人間味がない。
そう感じられること自体は理解できる。
実際、私は感情が最高潮になる場面へ、記録や責任や引き継ぎを持ち込んでいる。テンプレートの感情へ、そのまま乗る人物を書いてはいない。
ただ、作品がこれまで私の作品を読んだことのない方へ広く届くと、そこからさらに一段飛んだ言葉が届くことがある。
「AI小説かな?」
「はい、AI乙!」
「ChatGPTと会話しているみたいで、人間味がない」
会話が不自然だった。
人物の反応が理解できなかった。
同じ言葉が多いと感じた。
そういう指摘なら、作品を見直す材料になる。
だが、人物が淡々としていることや、帳簿や準備が出てくることから、制作方法まで断定するのは別の話である。
私が帳簿や準備を書くのは、それを書きたいからだ。
主人公が淡々と返すのは、期待された感情を演じるより、事実や責任を確認する人物として書いているからだ。
合わないと思って読むのをやめることも、「自分にはこの人物が理解できなかった」と書くことも自由である。
けれど、制作方法を決めつける言葉から、私が作品を見直す材料は得られない。
そのような感想は削除している。
批判だからではない。
作品についての対話を始める言葉ではなく、最初から終わらせるための判定だからである。
私は、批判的な感想そのものを嫌っているわけではない。
作者が書かなかった部分を、読者は自分の記憶や経験で補い、物語を自分の中で完成させてくれる。
感想も、その共同作業の続きだと思っている。
どこが届いたのか。
どこで違和感を覚えたのか。
何が足りず、何が余って見えたのか。
それを自分の言葉で返してくださる方は、ある意味では作品の共同制作者である。
すべての意見を採用するという意味ではない。最後に何を書くかを決めるのは作者だ。
けれど、自分だけでは見えなかった作品の姿を教えてもらい、次の作品の書き方が変わることはある。
だから、具体的な批評には敬意がある。
その横へ、根拠のない判定を同じ批評として並べておくことは、丁寧に感想を書いてくださった方へ失礼に思える。
この愚痴のようなエッセイ1本で、私が何を考えて作品を書いてきたのか、すべて伝わるとは思っていない。
そもそも、自分でもまだ全部を説明できてはいないのだと思う。
ただ、共通しているものがあるとすれば、私はその場面が終わったあとにも残るものを見ている。
感動のあと。
断罪のあと。
勝利のあと。
拍手のあと。
誰が責任を引き受けるのか。
誰が仕事を続けるのか。
本人は本当は何を望んでいたのか。
誰にも拾われなかった感情は、どこへ行くのか。
私は日常から、そうした小さな疑問を持ち帰る。
「それで、そのあとは?」
その問いを悪役令嬢へ渡すと、彼女は私と同じ答えを出すとは限らない。
帳簿を開くこともある。
担当部署を指すこともある。
血を求めることもある。
ただ自分を見つけてくれた相手へ、嬉しそうに微笑むこともある。
そうして、私よりずっと奇妙な女になって帰ってくる。
たぶん悪役令嬢は、異世界にいるのではない。
日常の出来事に感動し、その直後に、
「それで、そのあとは?」
と考えた瞬間、もう私の隣に立っている。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
感動のあとに税金を、断罪のあとに引き継ぎを考えてしまう。
その癖を悪役令嬢へ渡した結果、今の作風になったのだと思います。
次に彼女が帳簿を開くのか、血を求めるのか、すべて担当部署へ送ってしまうのかは、まだ私にも分かりません。




