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悪役令嬢研究室

感動のあとに帳簿を開く――いい話にツッコんでしまう私が、悪役令嬢を書くまで

作者: 月白ふゆ
掲載日:2026/07/27

 Xで、こんな投稿を見た。


 家族で一番稼いでいたのが、高校2年生の弟だったという。


 母親が偶然見つけた弟の通帳には、480万円の残高があった。アルバイトではない。ゲーム実況で得た収入だった。


 姉が尋ねると、現在の残高は700万円を少し超えていた。父親の給料は手取りで23万円ほど。弟は前年、父親の年収を上回る額を稼いでいた。


 家計が苦しく、電気を止められた月には弟が支払った。父親の財布へ、こっそり3万円を入れたこともあった。


 父親は、それに気づいていた。


 けれど、知らないふりをしていた。


 弟も、父親が気づいていることを知っていた。


 自分の収入が父親を超えたと明かせば、父親が傷つくと思ったから。家計へ入れた金だと伝えれば、父親が受け取れなくなると思ったから。


 すべてを話した翌朝、父親は弟の部屋を訪ねた。


「機材な。もっといいの買っていいぞ」


 それから2人は以前よりよく話すようになり、弟も父親の財布へこっそり入れるのではなく、家へ直接お金を渡すようになったという。


 いい話だった。


 互いを思うあまり、互いに黙っていた父と息子が、ようやく話せるようになった。


 私は素直に感動した。


 そして、その直後に考えた。


 確定申告は?


 納税は?


 税法上の扶養は?


 健康保険の扶養は?


 ゲーム実況に使っている機材は、経費として計上しているのだろうか。


 高校生がこれだけの金額を稼いでいたなら、親の健康保険の扶養から外れるのではないか。そうなれば、国民健康保険への加入はどうなるのだろう。家族の誰かが、そうした手続きまで把握しているのだろうか。


 感動に水を差したいわけではない。


 私は、いい話を嫌っているのではない。いい話を見たあと、その話の翌月が気になるのである。


 拍手のあとにも生活は続く。


 善意の場面が美しく終わっても、その結果を引き受ける人の時間は続いていく。


 私は、そこを考えてしまう。



 悪役令嬢ものについても、よく似ている。


 婚約を破棄された令嬢が逆転する。


 彼女を陥れた聖女や、愚かな王太子の悪事が暴かれる。


 本当の価値を理解する相手に選ばれ、悪人は相応の報いを受ける。


 そうしたテンプレートには、テンプレートなりの強さがある。


 分かりやすい勧善懲悪には爽快感がある。理不尽に耐えた主人公が報われる安心感もある。


 私にも、その気持ちよさは分かる。


 分かるのだが、そのまま書くのはあまり得意ではない。


 王太子が大勢の前で婚約破棄を宣言した。


 その宣言だけで、家同士の契約まで消えるのだろうか。


 聖女が泣きながら傷つけられたと訴えた。


 傷ついたことと、相手が有罪であることは同じなのだろうか。


 有能な公爵令嬢が追放された。


 彼女が担当していた仕事は、明日から誰が引き継ぐのだろう。


 王太子を廃嫡した。


 では、後継者と、彼が途中まで承認していた政策と、止まった行政手続きはどうするのだろう。


 主人公が勝ち、広間に拍手が起きた。


 そのあと彼女は何を食べ、どこで眠り、翌朝から何をするのだろう。


 作者である私が、テンプレートの途中でツッコミを入れたくなるのである。


 そのツッコミを黙らせれば、もっと素直な王道作品になるのかもしれない。


 けれど、よくある流れの悪役令嬢ものは、すでに世の中にごまんとある。優れた作品も、気持ちよく読める作品もたくさんある。


 そこへ同じものを一つ増やすより、私はつい、型の外側を見てしまう。


 だから私は、完成された型へ余計なものを足す。


 書類を足す。


 帳簿を足す。


 担当部署を足す。


 引き継ぎを足す。


 拍手が終わったあとの生活と、その場では拾われなかった感情を足す。


 そうして、少し違う悪役令嬢が出来上がる。



 こうした疑問は、特別な出来事からだけ生まれるわけではない。


「今回は特例で対応します」


「皆で気をつけましょう」


「次の勤務者へ引き継いでください」


 日常の中で何度も聞く言葉にも、私はつい立ち止まる。


 特例を決めたのは誰なのか。


「皆」とは、具体的に誰なのか。


 引き継いだあとの責任は、どこへ移るのか。


 記録には残るのか。


 同じことが起きたとき、次も誰かの善意や気づきだけで処理するのか。


 私が日常から作品へ持ち帰るのは、そこで働いている人物そのものではない。


「それで、そのあとは?」


「誰が見ているのだろう」


「本人は何を望んでいるのだろう」


 という、小さな疑問である。


 その疑問を悪役令嬢へ渡すと、彼女は泣く代わりに記録を残し、怒鳴る代わりに責任者を尋ねる。


 けれど、そこから先にどんな答えを出すかは、私にも分からない。



 この癖が、作品の方向性としてはっきり現れ始めたのは、2026年1月に投稿した、


『悪役令嬢の定義から教えてください 〜正論を言っただけで世界が壊れ始めました〜』


 だったと思う。


 主人公アーデルハイトは、聖女を虐げた悪役令嬢として、王太子から婚約破棄と断罪を宣言される。


 聖女が泣き、王太子が怒り、周囲がその正義へ同調する中で、彼女は反論するのではなく尋ねる。


「『悪役令嬢』の定義を、教えてください」


 何をしたから悪なのか。


 用途報告の出ていない支援金を止めたことか。


 書類の提出を求めたことか。


 泣いている聖女へ、会計上の責任を尋ねたことか。


 そして、自分が断罪されたあと、その仕事を誰が引き継ぐのか。


 皆が聖女の涙を見ている場面で、彼女だけが翌日に止まるかもしれない仕事を見ている。


 この作品を書いた頃から、私の方向性はある程度定まってきた。


 悪役令嬢が誰かを力ずくで打ち負かすのではない。


 周囲が曖昧なまま済ませようとしたことへ、定義と根拠と責任者を求める。


 彼女は復讐を仕掛けない。ただ正しい手順を踏む。


 すると、それまで感情と雰囲気で回っていた世界が、自分の矛盾に耐えられず壊れ始める。



 そこから、これやあれを書いてきた。


 感情のあとに確認事項が続く令嬢がいる。


 怒りを記録へ変え、悲しみを撤退の決定へ変え、誰かへの愛情を、次の人へ同じ負担を残さない仕組みへ変える女性がいる。


 そういう、感情を行動へ変える主人公たちを書いてきた。


 けれど、私の主人公を単に「感情より実務を優先する人」と説明することもできない。


 相手にも「痛い」と言ってほしくて、血を求める令嬢がいる。


 復讐も謝罪も求めず、誰かがようやく自分を見つけ、目を合わせてくれたことを喜ぶ令嬢もいる。


 怒る自分、泣く自分、壊したい自分、嘘を吐く自分、もう眠りたい自分。


 表へ出すことを許されなかった感情へ名前をつけ、自分から切り離さなければ生きられなかった令嬢もいる。


 長年、自分へ集まり続けた仕事を本来の場所へ返し、次の人を同じ立場へ置かないことを選ぶ女性もいる。


 一度、誰かの手を借りなければ水も飲めない人生の終わりを経験し、王太子の怒声や聖女の涙より重いものを知った主人公もいる。


 感情が薄いからではない。


 感情のあり方や現れ方が、怒鳴る、泣く、縋るといった分かりやすい形をしていないのである。


 私の主人公には心がある。


 ただし、その心が一般的で、理解しやすく、本人にも説明可能な形をしているとは限らない。


 泣かないことと、心がないことは同じではない。


 そして、心があることと、その心が誰にでも分かりやすい形をしていることも、同じではない。



 そして最近、大臣の記者会見で、こんな言葉を聞いた。


「所管外なので、回答は差し控えさせていただきます」


 私はそれを聞いて、考えた。


 関係する者が全員それを言ったら、その問題は最後に誰の所管になるのだろう。


 誰も答えず、誰も引き受けないまま、問題だけが残るのではないか。


 そこから、もう一つ別の疑問が浮かんだ。


 物語の主人公は、自分の前へ現れた出来事を、すべて引き受けなければならないのだろうか。


 聖女の首飾りが光った。


 亡き母から手紙が届いた。


 地下の竜が主人公の名を呼んだ。


 隣国の皇太子から「姉上」と呼ばれた。


 どれも、いかにも物語になりそうである。


 けれど、神殿に関することは神殿へ、魔術に関することは魔術研究院へ、会計に関することは会計監査院へ回せばよいのではないか。


 主人公が選ばれし者になることを拒み、すべての伏線を担当部署へ送っても、それぞれの組織が自分の仕事をすれば、世界は意外と普通に回るのではないか。


 そうして生まれたのが、現時点でいちばん新しい作品、


『何も回収しない悪役令嬢――その伏線、担当部署へお回しください』


 である。


 何ひとつ回収しない悪役令嬢は、次々と現れる物語の入口へ同じ言葉を返す。


「所管外ですので、回答は差し控えさせていただきます」


 伏線は、どうぞ担当部署へ。


 Xの美談を見れば、確定申告や納税、扶養、経費計上が気になる。


 大臣の記者会見を見れば、最後に誰が問題を引き受けるのかが気になる。


 私は日常で引っかかった疑問を、悪役令嬢へ渡している。


 すると彼女たちは、私にも思いつかなかったやり方で、その問いへ答え始める。



 けれど、こうした主人公を悪役令嬢ものの定番の場面へ置けば、周囲との間に摩擦が生まれる。


 王太子が怒鳴っているのに、一緒に感情を高ぶらせない。


 聖女が泣いているのに、慰めるより先に事実を確認する。


 婚約を破棄されたのに、愛や誇りではなく、契約と引き継ぎの話を始める。


 王太子たちが期待しているのは、泣き、縋り、取り乱す悪役令嬢である。


 彼女がその役を演じてくれれば、王太子は正義の主人公となり、聖女は守られる被害者となり、周囲も安心して拍手できる。


 しかし、私の主人公は期待された感情を返さない。


「具体的には、何をしたのでしょう」


「その判断には、どのような根拠がありますか」


「では、この仕事は誰が引き継ぐのですか」


 と、淡々と返す。


 その瞬間、華々しい断罪は根拠の乏しい宣言となり、聖女の涙は証拠ではなくなり、美談の下から担当不明の仕事が現れる。


 彼女たちが壊しているのは、人の心ではない。


 感情を返してもらえることを前提に作られた、相手の物語である。


 だから作中では、冷たい、可愛げがない、人の心がない、と呼ばれる。


 そして同じ印象は、作品を読んだ方から返ってくることもある。


 淡々としている。


 機械的に見える。


 人間味がない。


 そう感じられること自体は理解できる。


 実際、私は感情が最高潮になる場面へ、記録や責任や引き継ぎを持ち込んでいる。テンプレートの感情へ、そのまま乗る人物を書いてはいない。


 ただ、作品がこれまで私の作品を読んだことのない方へ広く届くと、そこからさらに一段飛んだ言葉が届くことがある。


「AI小説かな?」


「はい、AI乙!」


「ChatGPTと会話しているみたいで、人間味がない」


 会話が不自然だった。


 人物の反応が理解できなかった。


 同じ言葉が多いと感じた。


 そういう指摘なら、作品を見直す材料になる。


 だが、人物が淡々としていることや、帳簿や準備が出てくることから、制作方法まで断定するのは別の話である。


 私が帳簿や準備を書くのは、それを書きたいからだ。


 主人公が淡々と返すのは、期待された感情を演じるより、事実や責任を確認する人物として書いているからだ。


 合わないと思って読むのをやめることも、「自分にはこの人物が理解できなかった」と書くことも自由である。


 けれど、制作方法を決めつける言葉から、私が作品を見直す材料は得られない。


 そのような感想は削除している。


 批判だからではない。


 作品についての対話を始める言葉ではなく、最初から終わらせるための判定だからである。



 私は、批判的な感想そのものを嫌っているわけではない。


 作者が書かなかった部分を、読者は自分の記憶や経験で補い、物語を自分の中で完成させてくれる。


 感想も、その共同作業の続きだと思っている。


 どこが届いたのか。


 どこで違和感を覚えたのか。


 何が足りず、何が余って見えたのか。


 それを自分の言葉で返してくださる方は、ある意味では作品の共同制作者である。


 すべての意見を採用するという意味ではない。最後に何を書くかを決めるのは作者だ。


 けれど、自分だけでは見えなかった作品の姿を教えてもらい、次の作品の書き方が変わることはある。


 だから、具体的な批評には敬意がある。


 その横へ、根拠のない判定を同じ批評として並べておくことは、丁寧に感想を書いてくださった方へ失礼に思える。



 この愚痴のようなエッセイ1本で、私が何を考えて作品を書いてきたのか、すべて伝わるとは思っていない。


 そもそも、自分でもまだ全部を説明できてはいないのだと思う。


 ただ、共通しているものがあるとすれば、私はその場面が終わったあとにも残るものを見ている。


 感動のあと。


 断罪のあと。


 勝利のあと。


 拍手のあと。


 誰が責任を引き受けるのか。


 誰が仕事を続けるのか。


 本人は本当は何を望んでいたのか。


 誰にも拾われなかった感情は、どこへ行くのか。


 私は日常から、そうした小さな疑問を持ち帰る。


「それで、そのあとは?」


 その問いを悪役令嬢へ渡すと、彼女は私と同じ答えを出すとは限らない。


 帳簿を開くこともある。


 担当部署を指すこともある。


 血を求めることもある。


 ただ自分を見つけてくれた相手へ、嬉しそうに微笑むこともある。


 そうして、私よりずっと奇妙な女になって帰ってくる。


 たぶん悪役令嬢は、異世界にいるのではない。


 日常の出来事に感動し、その直後に、


「それで、そのあとは?」


 と考えた瞬間、もう私の隣に立っている。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


感動のあとに税金を、断罪のあとに引き継ぎを考えてしまう。


その癖を悪役令嬢へ渡した結果、今の作風になったのだと思います。


次に彼女が帳簿を開くのか、血を求めるのか、すべて担当部署へ送ってしまうのかは、まだ私にも分かりません。

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― 新着の感想 ―
この場で敢えて作品の傾向を批判させて頂けるならば、おそらく単なる令嬢一人に重要な業務を任せて過ぎている設定に相当な無理があるのではないかと思います。責任の所在という現実的な問題を語るのに土台となる設定…
> そして、その直後に考えた。 この話は知らなかったが、父より稼いでるってとこで即座に扶養どうした?って思ったw
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