毎度あり!転生させ屋さん!
子どもを突き飛ばした刹那、土埃が舞う。鼻腔や喉に粉塵が紛れ込み、嗚咽感が胸の奥から迫り上がる。
肋骨が軋むほど激しく咳き込み、スーツ姿の背を丸める。
佐藤は、おかしいと思った。予定と違う。
大型トラックが斜めに停車していた。都会のど真ん中で起きた交通事故に人集りが出来る。スマホを構えシャッターを切る者、119番に助けを求める者、悲鳴を上げ逃げ惑う者、大声を上げて泣き叫ぶ子どもに駆け寄る者。
そして、
「おいおい兄ちゃん、大丈夫かい。あと少しで轢けたのによ」
驚いた顔でトラックから降りてくる、五十代半ばの中年男性。生え際は後退気味で、作業着を着ていた。
佐藤は己の耳を疑う。
「……俺を轢き殺そうとしたんですか……?」
恐る恐る佐藤が聞き返すと、中年男性はあっけらかんと頷いた。
「そりゃあアンタ、今日の正午に転生する予定だったのに。まさか避けちまうなんて思わねえべ」
ボードに挟まれたリストのようなものを見ながら、彼は再度頷く。訛りのある嗄れた声で唸ると、溜め息をひとつ。
「子ども庇って助かっちまったんだ、今更通り魔に変更するにゃ、一ヶ月は手続きがいるべな。今日は家に帰りなさい、俺ァ今から事情聴取なんだよ」
背中を向けて去ろうとする中年男性に、佐藤は大口を開けた。くっと唇を引き結び、周りの喧騒なんて無視してありったけの声で叫ぶ。
「一ヶ月も待てませんよ! さっさと異世界転生させてくれ! 何だこのクソみたいな展開!!」
中年男性はびっくりした顔で振り向いて、佐藤をしげしげと眺めた。
顎に手をやり、視線を斜め上に上げる。そうしてパチンと指を弾き、
「よっしゃ、兄ちゃん。上野公園の便所前に、今夜0時集合な」
中年男性はヤニで汚れた歯を覗かせ、にやりと笑った。
遠くからパトカーや救急車のサイレンが聞こえてくる。そろそろ警察や救急車が到着する頃だろう。
はあ、と佐藤は空返事をした。
救急車に乗せられて、MRIを撮って返された。特に異常無し。擦り傷が身体のあちこちに出来た程度で、傷が残らないように通院日が決まって、それでおしまいだ。テレビで児童と会社員が軽傷と放映されていた。名前は出ない。政治的な放送より短い、呆気ない放送時間だった。
一方的に言い渡された時間。佐藤は立ち往生していた。
暗くなった喫茶店の下階のコンビニで、酔っ払い客が語り合って出入りしているが、然程下品さを感じない。「やっと休みだぁ」「もう一軒行きたいねえ」「終電もうないっすねえ」「朝まで飲んじゃうかぁ」なんて先輩後輩らしき二人組が、呑気に笑っている。長閑だ。
深夜の上野公園は立ち入り禁止時間である。そもそも近寄らないので知らなかった佐藤は、賑やかな駅前の空気とは裏腹に、どんよりと肩を落としている。石畳の歩道を彷徨いていた。
もう帰ろうかな、そう思った時。
「おーい、兄ちゃーん!」
恰幅の良い中年男性が声を掛けてくる。今朝のトラックの運転手だった。
「やあ、悪い悪い。上野で事故起こすの2年ぶりで忘れてた。公園口のこっちに良いデートスポットがあんよ」
中年男性とデートスポットに行きたい若者は少ないだろう。佐藤は渋々片手を挙げた。
連れて行かれた先。間隔を空け人工的に聳え立つ木の葉が、青々と茂っていた。夜更けでもよく見えるのは、眩い街灯のおかげだろう。
木を囲むように設置された花壇状のベンチに、2人は腰を下ろす。
中年男性が、ほい、と缶コーヒーを渡す。未開封なので、危険は無さそうだ。冷たい缶コーヒーは、温い湿度で渇いた喉を潤してくれた。ブラックの誇張した苦味だけが口の中に残る。
「で、あの……何ですかね。俺のこと轢き殺そうとしたんですか?」
「んだ。兄ちゃん、転生させ屋を知っとるかい」
「初耳ですね……何屋ですか」
疑り深い佐藤は、宗教勧誘の類いを想定して身構えた。
中年男性は、自身の100%オレンジジュースを喉を鳴らして飲み下す。缶ではない、500mlのペットボトルだ。ケチかもしれない。彼は、一息ついて口を開いた。
「文字通りだべ。あの、あれよ。異世界転生ってやつ」
「……よく聞きますけど、ここ数年」
「その転生のお手伝いな。大体みんな子ども庇うなり通り魔に襲われるなり、ブラック企業で使い捨てられて死ぬべ」
「そうですね。見かける導入は」
「それ、殺しちまう方は罪になるべ。過失致死罪、殺人罪、脅迫罪、暴行罪。その罪を被るのが、俺たち転生させ屋さんだな。もうすぐ誰かさんが転生しそうだなっつう時に、ちょこっと犯人さんと入れ替わる。犯人さんの人生が途中で破綻しないようにすんのさ」
絶妙にファンタジーとリアルを嫌なところ取りした職業名に、自然と眉間が寄る。怪しいことこの上無かった。
佐藤は猫背気味の肩を丸めて俯く。
「……その話が本当なら、俺は今日……異世界転生出来たはずなんですよね?」
「んだ。なのに兄ちゃん生き残っちまうだもんで、俺もどうすっかなぁと思ってなあ、いっそ事情を話すことにしたんだわ」
「何で転生させてくれなかったんですか!?」
人気の無い駅前に、思った以上に大きな声が響いた。ばさばさと雑音のように、鳩が飛び立つ音が聞こえる。
中年男性は目を点にして頭を掻いていた。しかし、そんな些細なことを気にしている余裕はなかった。
佐藤は矢継ぎ早に声を荒げる。
「俺は! もうこんな世界とおさらばして! 人生やり直したかったんですよ!!」
「…………」
「知ってますか!? 適応障害! 今簡単に診断してくれるらしいですよ! 俺はそれです、しかもついでに発達障害! 生まれつき!? ふざけんな、ガキの頃そんなこと言われたことねぇっつーの! 増えすぎだろ、世間も好きすぎだろ、発達って言葉!! 仕事でミスばっか、じっとしてられない、話が噛み合わない、どんどん自分のことを話してしまう、友達なんてろくに居ない! ちょっと社会からズレたら? はい、おしまい! ハロワで通されたのは障がい者雇用の窓口で! 俺まだ休職中なのに! 復活できるかもしれないのに! 何っなんだよ、何で、こんな、蒸し暑い日に! スーツ着て、この歳で面接行かなきゃなんっねぇんだよ! 周りは結婚育児保険住宅ローン、SNSもそんなのばっか、弱男がどうだのフェミがこうだの、ショート動画で時間が溶けてスクリーンタイムは15時間! クッソ、クッソ!!」
「兄ちゃん……」
「ふざけんなよぉ、人生やり直せる可能性があったんだろ……死なせてくれよぉ……」
自分の身の上話を始めたら、もう止まらなかった。
噴水のように噴き出した感情は、激昂し形ある怒りとなった。コーヒーの缶を地面に叩きつける。飲みかけの黒々とした液体が地面に丸く広がっていく。
それを皮切りに、胸中は徐々に、社会への不満と不安へ移り変わってゆく。
気付けば目元を覆って泣いていた。情けないほど震えた声で、泣きじゃくっていた。
「……兄ちゃん、幾つだい?」
「……32」
「そうかぁ……不安にもなる歳だなぁ」
「みんなまだ若いって言いますよ……」
「自分でそう思えねえんだべ、それが自分の中の答えだ」
「……本当……何で俺、こんな時間におっさんと……デートスポットで……」
中年男性はじ、と宙を見つめる。
いつの間にか傍らにペットボトルを置いて、両手を組んでいた。その上に自分のでっぷりした顎を乗せて考え込んでいる。
「……兄ちゃん、異世界転生ってのはな。想像された数だけ存在する。そりゃあ偉い数だ」
「……そう、っなん、すか……」
佐藤は泣き腫らした目尻を真っ赤にさせて、嗚咽混じりに耳を傾ける。
「そいつの人生の主役は自分しか居ねえ。みんな主役になりたがって、既存の作品から世界を生み出すのさ。その異世界に転生して、こう……紆余曲折あって、そいつの物語が出来る」
「都合いい、ですね……ほんと、なんだよ……今やってるダークディザイアの世界に転生させて、くれりゃ……っくそ、」
「出来るさ。知ってっかい。人間は色々と誤解しちょるが、人間は創造主になれる。小洒落た名前の神様女神様より、よっぽどすげえんだ。神様は人間様の方だべ」
「……じゃあ、すぐにでも……俺を、っ……転生させてくれよ……出来るんだろ……」
「そうしたかったのに、兄ちゃん生き残っちまったんだよ」
申し訳無さそうな中年男性の声に、佐藤は言葉を詰まらせた。生き残ってしまった、これ以上でも以下でもない。ただの事実だ。
「手続きとか諸々一ヶ月掛かる……」
「長ぇよぉ……ふざっけんなよぉ……」
「たまに居るんだ、生き残っちまうやつが。そういうやつは、大抵未練っちゅうものがあってなぁ」
「ンなもんねえよ!!」
「大方死ぬのが怖ぇとか、その程度かもしんねえべ。そんなでも生き残るやつはいるんだ」
「…………、」
正論だった。怖い。その通りだ。
トラックに飛び込む子どもを突き飛ばした時、本能的に恐怖を感じた。大型の鉄の塊が、自分より何十倍もの質量が、体積が。自分の目の前に迫っていた。
その時に頭の中で思ったのは、
「嫌だ……やだ、し、しにたくない……痛い思い、し、したくない……」
思い返して身体が震える。ぼろぼろと大粒の涙が落ちて、スラックスを濡らしていった。
「いいんでねえの」
中年男性が、徐に背中を叩く。
はっと、佐藤は顔を上げた。
「痛いのは嫌だべ」
「嫌だ……」
「死は怖いべ」
「怖い……」
「そら普通だわ」
「…………」
中年男性が、懐からボードを取り出す。転生者をリスト化した紙だ。佐藤の名前も書かれていた。その上に、すっと一本、指で線を引く。佐藤の名前の箇所が、ただの空白に変わっていた。
「俺は人間様の事情にゃ、ちと疎いんだけどな。アンタ、今日1人の子どもの命を救ったんだ。これ以上にカッコいい事しなきゃいけないほど、人間様の価値観は大層なものなんかい?」
「……それは……」
「人間様は俺たちの創造主だ。想像するだけで、世界ひとつ作れちまう。自分がどれだけの力を持っているかも知らんで」
「普通の人は知りませんよ……」
「人間様は特別なんに、どうも皆さん自分の特別さになかなか気付かん。俺ら作られたものの立場からしたら、不思議でしゃあない」
「……アンタは一体……」
「都合良く作られた世界の一部だべ。俺は代行して人を転生させる以外なーんもない。感情が感情と呼べるものなのかさえ、なーんもわからんと。兄ちゃん、朝起きて不安になりながら、一日を耐えてるんだろう。叫びたくなるほど辛いんだろう。ほんに、そんだけどえらい事してて、なぁんだってまぁ……アンタが居なきゃ、俺は存在すら出来ねえよ」
「…………慰めてるつもりっすか?」
「有り難いと思ってんだ。そんだけだ」
暫しの間、静寂が訪れた。佐藤は喉を枯らすほど泣いて、泣き疲れて、静かに項垂れていた。
中年男性は安心したように笑って、ひとつ咳払いをする。
「兄ちゃん、一ヶ月後の転生、どうすんべ」
「…………いつでも転生できるんすか?」
「手続きの時間待ってくれりゃあね」
佐藤は口元に手を当て、考え込む仕草を見せた。考えて考えて、それからゆっくり、小さな声で絞り出す。
「……その予約、一旦取り消してください。いつでも……転生出来るなら、別に……今じゃなくても。まだゲーム攻略中なんで……」
中年男性はその答えを聞いて、にっかりと笑った。彼の右奥の歯が無いことに、今更気付く。
「毎度あり!!」
薄汚い中年男性は、それはそれは幸せそうに言い切った。




