Chapter 16 西へ
レンヌの城内。
白壁に残された絵画の前に、テラは立っていた。
外から差す光が、色あせた顔料を照らしている。
そこへ、控えめな足音。
キレルが距離を取って止まった。
「テラ様、ご興味がおありですか」
「私には生物が持つ感受性は備わっていない。お前たちの言う興味とは少し違う。これが保護すべきものかという目線で見ていた」
キレルは絵画を一瞥する。
「芸術は各々が好きな視点で観て良いものです。これが正解という見方はありません」
「そういうものか。なら、私個人にはこの価値は分からんな。画像として記録した方が速いし正確だ」
「芸術とは表現です。対象物そのものではなく、描いた者の思想や感情に触れることに価値を感じるのです。人間の場合はですがね」
テラは表情を変えずに言う。
「深いのだな、人間とは」
キレルは小さく笑った。
「どうでしょうか、暇なのかもしれません」
テラは絵画から視線を外した。
「そろそろ会議の時間だ」
会議の間
長机を囲み、各自が席に着いている。
マルディナが書類を閉じ、口を開く。
「ここのところ人口増はほぼありませんね、二千人の直前でほぼ変動なし。城から二十キロ以内はほぼ捜索しつくしたということかしら」
グレインが腕を組む。
「まぁそうだろうな。皆の様子はどうだ」
キレルが淡々と答える。
「増えるに連れていざこざは増えています。ただ、魔族侵攻前の状態が戻ってきたという感覚ですね。大きな混乱は起きていません」
マルディナが続ける。
「城から五キロは安全圏として農地を拡大してるから、食料も大きな不安はないわ」
グレインがテラを見る。
「拡大路線を維持するなら捜索範囲を広げる必要がある。ただ、危険は増すし、何より敵拠点にぶつかる可能性がある。まずは少しずつだ。テラ、良いか」
「ああ、承認する」
短い返答。
会議は早めに解散となった。
翌日から拡大範囲を広げた保護活動が実施された。
着実に成果は出たが、気になる報告が入り始める。
グレインが地図を睨む。
「西がおかしい?」
ヴァンが机に拳を置く。
「ああ、西だけは少し足を伸ばしても生存者の集落がない。保護したやつが言うには、最近ドミナスの人間狩りが活発になったってよ」
「西……ブルセリアンドの森か」
ヴァンは頷く。
「しかも殺しにきたんじゃなくて攫いに来たって言うんだ。どこかで生きてるかもしれねぇ」
グレインの表情が硬くなる。
「ダルマシオンが誘っているのか……」
再び会議の場。空気は重い。
グレインが口火を切る。
「分かってはいたが、円形に拡大した結果、西の敵拠点にぶつかったという格好だ。これからどうするか」
キレルが地図を押さえる。
「良い機会なので、この先の拡大について戦略的視点で考えてみましょう」
グレインは頷き、続ける。
「西は一旦避けたとしても、このまま円形に拡大を続けるといつか同じことが起きる。そもそもレンヌだけを拠点にするのも距離的にいつか限界が来る」
マルディナが言う。
「拡大するなら次の拠点が必要ということね」
「そうだ。しかし四方に拠点を作るのは防衛の観点で無理がある。拡大する方角を絞る必要がある」
キレルが東を指す。
「東に進むといつかパリに達します。うまくいけば拡大の可能性が最も高いですが、三百キロはありますからね」
グレインは首を振る。
「東は無謀だ。突出して東西に分断されるおそれがある。南も同じ。やはり海を背にできる北か西を目指すべきだ」
マルディナが問いかける。
「となると、分かりやすい西の拠点を避けて北を目指すか、逆に拠点を潰して西を目指すかね」
ヴァンが低く言う。
「俺は北を推すぜ……西に囚われの生存者がいるとしても、レグナートにケンカ売りに行くのは賛成できねぇ」
レオが顔を上げる。
「でも、北も同じかもよ?レンヌのカーネリカだって強かった。拠点を奪うには強敵は避けられないよ」
ヴァンが声を荒げる。
「お前はレグナートを見たことないからそう言えるんだよ!」
「落ち着けヴァン、レオに当たるな。レオも少しは考えろ」
ヴァンは視線を落とす。
「わりぃ……でもあいつはやばい。しかも更にダルマシオンが控えてんだろ……無謀としか思えないぜ」
グレインが静かに言う。
「直に戦闘を見たヴァンの感覚は大事だ。テラ、どう思う?」
テラは即答する。
「ダルマシオンとレグナートがカーネリカと同等の強さなら、二人同時でなければ勝てる」
一瞬、空気が止まる。
ヴァンが食い下がる。
「カーネリカの時も結構やばかっただろ、なんでそう言える」
「カーネリカとの戦闘時はまだこの星の重力、気温、磁場への最適化前だった。それにドミナスという敵も想定外だったからな。
今は最適化が完了し、分析も進んでいる。同じ強さなら間違いなく勝てる」
揺らがない声。
グレインが言う。
「それは信じるとして、二人同時にならない保証はない。テラが一体を始末する間に我々がもう一体を受け持つ必要がある」
ヴァンは小さく呟く。
「俺は無理だぜ……」
テラはその顔を見つめる。
結論は出ない。会議は終わった。
夜。城壁の上。
ヴァンが口を開く。
「レオ、さっきはすまなかったな」
「いや、俺のほうこそさ。俺は戦えないから、ヴァンの気持ちがよく分かってなかったよ」
「テラに特訓されて、強くなったはずなんだ。でも全く通用する気がしなくてさ、恥ずかしい話だけど、びびっちまってんだよ……」
「別に恥ずかしくなんかないぜ。俺たちを命懸けで守ってくれてるってことじゃん」
一拍。
「やっぱり西は回避かな?」
「そうだなぁ、あえて行きたくはねぇな……」
夜風が吹き抜ける。
翌日。
中庭。
ヴァンが中庭に出ると、フィオナが両手を前に出し、魔力のようにエーテルを練っている。
「フィオナ、また練習か?」
フィオナは動きを止め、振り返る。
「はい。なんとなく掴めてきた気がするんですけど、うまくはいかなくて……」
ヴァンは腕を組み、少し距離を取ったまま様子を見る。
「いざとならないと出ない力ってのはあるかもなぁ」
フィオナは首を横に振る。
「そうなんですけど、そんな力だと頼りにしてもらえませんし」
ヴァンは一瞬言葉を選ぶ。
「フィオナは戦いたいのか?」
フィオナは迷わず答える。
「はい!戦いたいです!」
ヴァンは目を見開く。
「私はテラ様のように強くなりたいんです。そして皆を救いたい」
ヴァンは真顔になる。
「怖くないのか?」
フィオナは少しだけ視線を落とす。
「怖いですけど、子供たちが殺される様を想像した方が怖かったです……」
ヴァンは視線を少し逸らし呟く。
「強いんだな……フィオナは」
フィオナは少し慌てて続ける。
「そんなことないですよ!テラ様の次に強いのはヴァンさんだって思ってます。あ、グレインさんも強そうですけど!」
ヴァンは苦笑する。
「いや、俺は……」
フィオナは冗談めかして言う。
「でもそのうち私の方が強くなりますから」
フィオナは軽く頭を下げる。
「では私は練習がありますので」
再び両手を構える。
ヴァンはその場に少し残る。
拳を握る。
その夜。
ヴァンはテラの部屋を訪れる。
「テラ……相談だ」
テラは椅子に座ったまま視線を上げる。
短い会話。
「なるほど。レグナートに勝ちたいわけだな」
ヴァンは首を振る。
「勝つまでは行かなくて良い。持ち堪えられれば……いや、俺に勇気を与えてくればそれで良い」
テラは立ち上がる。
「分かった.いいだろう」
訓練場。
夜。
灯りは最小限。
金属同士が擦れる音が響く。
ヴァンの息が荒い。
「……っ」
右腕が震える。
膝がわずかに折れる。
テラが一歩近づく。
「問題ないか」
ヴァンは歯を食いしばる。
「ああ……まだいける」
訓練は短時間で終わった。
ヴァンは片腕を押さえたまま、無言で立っている。
その夜のことは、誰も知らない。
再び会議。
ヴァンが立ち上がる。
「俺は西を推すぜ。誘いなら実際に生存者がたくさん残ってる可能性がある。それを救う。」
皆がヴァンを見る。
昨日とは空気が違う。
グレインが確認する。
「テラ、どうする」
テラは即答する。
「もちろん承認する。人間を保護することが最優先だ。もちろん生き残った上でだ」
西へ。
方針が決まる。
ヴァンの拳は、もう震えていなかった。
【現在の保護対象:1,948人】
【増減:+168人】




