第8話:逆転の流通革命
商売において、独占禁止法ほど恐ろしいものはありません。
ですが、ここは前世の日本ではなく、異世界です。
王太子が「関税一〇〇パーセント」という暴挙に出るなら。
私にだって、対抗手段というものがございます。
「リゼット、本当にいいのか? 王都への出荷を完全に止めてしまって」
クラウス様が、心配そうに私の顔を覗き込みました。
私は魔法のペンを動かし、新しい契約書にサインしながら頷きました。
「ええ、構いませんわ。関税で利益がゼロになるくらいなら、王都の貴族様たちには絶食していただいた方がマシですもの」
「絶食、か。貴様は時折、本当に容赦がないな」
クラウス様が、呆れたように、でもどこか楽しそうに笑いました。
私の作戦は、極めて単純です。
王都へ野菜を送るのを止め、すべて隣国のラングレー領……つまり、クラウス様の領地へ「輸出」することに決めたのです。
幸い、この農園は国境のすぐそば。
王都へ運ぶより、隣国へ運ぶ方が時間は短く、鮮度も保てます。
「リゼット屋の野菜は、今日からすべて隣国の特産品として扱われます。クラウス様、流通の護衛をお願いできますか?」
「ああ、任せろ。我が騎士団が、一粒の豆も奪わせはしない」
クラウス様は力強く頷きました。
彼の手が私の頭にぽんと置かれ、優しく撫でられました。
大きな手のひらの温かさに、胸の奥が少しだけ熱くなります。
(……いけませんわ、今はビジネスの話ですのに)
私は咳払いをして、地図を広げました。
数日後。
王都では、未曾有のパニックが起きていました。
「リゼット屋の野菜が届かないだと!? どういうことだ!」
王宮の食堂で、セドリック様がテーブルを叩いて叫んでいました。
目の前にあるのは、カビ臭いパンと、塩辛すぎて噛み切れない古い肉。
一度「リゼット屋」の新鮮な野菜を知ってしまった舌には、もはや残飯にしか感じられません。
「それが……農園からの道がすべて、ラングレー騎士団によって封鎖されておりまして。関税を払うくらいなら売らない、とのことです」
「なんだと!? あの地味な女め、僕に逆らう気か!」
セドリック様は怒り狂いましたが、時すでに遅し。
王都の富裕層たちは、野菜を求めて暴動寸前。
一方で、私の手元には隣国からの「外貨」が、金貨の山となって積み上がっていました。
「リゼット、隣国の国王からも親書が届いたぞ。君を『国の宝』として招待したいそうだ」
「あら、光栄ですわね。でも、私はこの農園を離れる気はありませんわ」
私は黄金のスコップを握り、ふかふかの土を眺めました。
お金も、名声も、私にとっては「自由」を手に入れるための道具でしかありません。
「私はただ、美味しい野菜を育てて、静かに暮らしたいだけですから。……クラウス様、今夜は採れたてのトウモロコシを焼きましょうか?」
「ああ、楽しみにしている」
クラウス様が私の隣に座り、穏やかな風が二人の間を吹き抜けました。
王太子の嫌がらせは、結局、私の農園を世界的なブランドへと押し上げる結果になったのです。
ですが、セドリック様もバカではありません。
追い詰められた彼は、最後の手に出ようとしていました。
農園そのものを「力」で奪い取ろうという、最悪の手段です。
(……来なさいな。その時は、法と魔法で完膚なきまでに叩き潰してあげますわ)
私は月明かりの下、静かに決意を固めました。




