第6話:元婚約者の自業自得
ヒヒーン、と。
乾いた荒野に、不釣り合いな豪華な馬車の音が響きました。
私の農園の入り口で止まったその馬車は、王家の紋章が刻まれています。
ですが、かつての輝きはなく、砂埃にまみれてひどく汚れていました。
「……リゼット! 迎えに来てやったぞ!」
馬車から転がり出るように降りてきたのは、セドリック様でした。
三週間ぶりに見る元婚約者は、顔色が悪く、服もシワだらけです。
王太子としての威厳は、どこへ落としてきたのでしょう。
私は黄金のスコップを杖代わりに、冷ややかな視線を向けました。
「あら、どなたかと思えば。ここは立ち入り禁止ですわよ、殿下」
「無礼な! 僕を誰だと思っている! ……それより、リゼット。今すぐ王都へ戻れ」
セドリック様は、私の農園に広がる緑を見て、驚きに目を見開きました。
そして、さも当然のように命令を下します。
「お前がいなくなってから、城の食事がひどいのだ。保存魔法の期限も切れ、事務作業も山積みだ。お前の『地味な仕事』が必要なのだよ。感謝して戻るがいい」
「……お断りいたします」
私は即座に、短く答えました。
「なんだと? この僕の命令を拒むというのか!」
「殿下、お忘れですか。私はすでに貴方との婚約を解消し、慰謝料としてこの土地をいただきました。今の私は、一人の自由な農家ですわ」
私はふかふかの土を足で叩きました。
ここには、私の努力と、美味しい野菜と、そして十分な睡眠があります。
嫌味な上司(婚約者)に仕える義務など、これっぽっちもありません。
「それに、私にはもう『先約』がございますの」
「先約……?」
セドリック様が顔をしかめた、その時です。
「――その通りだ」
低い、地響きのような声が背後から聞こえました。
隣接する森から、クラウス様が姿を現しました。
彼は鋭い眼光をセドリック様に向け、私の肩を抱くように隣に立ちました。
「ラ、ラングレー公爵!? なぜ貴公がこんな辺境に……!」
「この土地の野菜は、我がラングレー公爵家が独占契約を結んでいる。そしてリゼットは、俺の個人的な客だ」
クラウス様の手が、私の肩にぐっと力を込めました。
そのたくましい腕の温もりに、少しだけ心臓が跳ねます。
「貴公の不始末で王城が混乱しているのは知っている。だが、彼女を連れ戻す権利は貴公にはない。……今すぐ去れ。さもなくば、我が騎士団が相手をしよう」
クラウス様が静かに剣の柄に手をかけると、セドリック様は情けない声を上げて後ずさりました。
「ひ、ひぃっ……! お、お前たち、覚えていろよ! こんな女、こちらから願い下げだ!」
セドリック様は逃げるように馬車へ飛び込み、砂煙を上げて去っていきました。
嵐のような静寂が、農園に戻ります。
「……リゼット。大丈夫だったか」
クラウス様が、心配そうに私の顔を覗き込みました。
氷の公爵様とは思えない、柔らかな眼差しです。
「ええ、ありがとうございます。クラウス様がいなくても、スコップで追い払うつもりでしたわ」
「……貴様なら、やりかねないな」
彼はふっと口角を上げました。
その笑顔があまりに眩しくて、私は慌てて視線を野菜に向けました。
「さあ、仕事に戻りましょう。今日は大根の収穫が待っていますわ」
「ああ、手伝おう。俺も、貴様のそばにいたいからな」
さらりと言われた言葉に、耳が熱くなります。
元婚約者へのカタルシスと、目の前の騎士様からの甘い言葉。
私の農園ライフは、どうやら思っていた以上に刺激的になりそうです。




