第5話:農園ブランド、爆誕です
お金って、いくらあっても困りませんわね。
私は魔法の鞄に入った、ずっしりと重い金貨袋を思い浮かべました。
王太子セドリック様からふんだくった……いえ、正当にいただいた慰謝料です。
ですが、お金は使わなければただの金属片。
投資してこそ、さらなる自由と安眠が手に入るというものです。
「リゼット、準備はいいか」
テントの外から、クラウス様の低い声が響きました。
外へ出ると、そこには彼が率いるラングレー公爵家の騎士たちが、数十人も整列していました。
「ええ、いつでもよろしいわ。本日の出荷分です」
私の指差す先には、山積みにされた木箱。
中には、魔法のスプリンクラーと黒土が育てた、瑞々(みずみず)しい野菜たちが詰まっています。
今日から、クラウス様の騎士団への定期納入が本格的に始まります。
「おい、これを見ろ。このキャベツ、宝石みたいに光ってるぞ」
「このニンジン、土がついているのに甘い香りがする……」
騎士たちがざわめき始めました。
彼らが普段食べているのは、石のように硬いパンと、塩辛すぎて顔が歪む干し肉だけ。
そんな彼らにとって、私の農園の野菜は未知の食べ物です。
「試しに、そちらのキュウリを召し上がってみては?」
私が勧めると、一人の大柄な騎士が、恐る恐るキュウリをかじりました。
ポリッ、という小気味よい音が響きます。
「……なんだこれは!? 水分が、口の中で溢れ出すぞ!」
「うまい、うますぎる! これなら一日中訓練しても疲れない!」
騎士たちが一斉に木箱へ群がろうとしました。
それを制したのは、クラウス様の鋭い一喝です。
「貴様ら、見苦しいぞ。これは正式な軍備品だ。……だが、その気持ちはわかる」
クラウス様は私の方を向き、真剣な顔で一枚の書面を差し出しました。
「リゼット。あらためて契約を申し込みたい。この農園で獲れる全ての作物を、我が領が独占的に買い取る。……名前が必要だな。この野菜たちのブランド名だ」
私は少し考え、ふふっと微笑みました。
「『リゼット屋』。シンプルで分かりやすくて、よろしいでしょう?」
「リゼット屋、か。いい響きだ」
その場で契約書に魔力印が押されました。
これで私は、不労所得……ではなく、安定した事業基盤を手に入れたのです。
王都のしがらみから離れ、自分の腕一本でのし上がっていく感覚。
前世の経営者時代の血が騒ぎます。
「さて、契約成立の祝いに、今日は特別に『リゼット特製・朝採れ野菜のサンドイッチ』を振る舞いましょうか」
騎士たちから、地鳴りのような歓声が上がりました。
私は魔法の石窯をフル回転させ、次々とパンを焼いていきます。
クラウス様も、なぜか私の隣でレタスを洗うのを手伝ってくれました。
「……リゼット。あまり根を詰めるなよ。貴様が倒れたら、俺の眠りも、騎士たちの胃袋も終わりだ」
「あら、心配してくださるの?」
「……当たり前だ。俺にとって、貴様はもう……ただの隣人ではない」
クラウス様が、耳まで赤くしてそっぽを向きました。
氷の公爵様が、野菜を洗う手元を震わせている姿は、なかなかにコミカルです。
ですが、その不器用な優しさが、私の乾いた心にじわりと染み渡りました。
農園は活気に満ち、私はかつてない達成感に包まれていました。
しかしその頃。
王都のセドリック様は、地獄を見ていました。
私が去った後、公爵家と王宮の備蓄管理をしていた魔法契約が全て解除されたのです。
さらに、私がいなくなったことで事務作業は滞り、王宮の食卓には、カビの生えたパンと干からびた肉しか並ばなくなっていました。
「リゼットはどこだ! あの地味な女を、早く連れ戻してこい!」
王太子の叫びが空虚に響きますが、時すでに遅し。
私はもう、自分自身の人生を、この黒土の上にしっかりと根付かせていたのですから。




