第4話:氷の公爵と甘いトマト
籠いっぱいの真っ赤な実を、私は丁寧に摘み取りました。
太陽の光をたっぷり浴びたトマト。
それは宝石のルビーよりも鮮やかで、皮が弾けそうなほど張り詰めています。
「ふふ、今日もいい出来ですわ」
私が独り言を漏らした、その時です。
農園の入り口から、カシャカシャと鎧の擦れる音が聞こえてきました。
「……リゼット。今日も、来たぞ」
そこに立っていたのは、クラウス様でした。
隣領の主であり、泣く子も黙る「氷の公爵」です。
……ですが、今の彼にそんな面影はありません。
彼の視線は、私の手元にあるトマトの籠に釘付けです。
まるでお菓子を待つ子供のような、純粋な眼差し。
私は苦笑しながら、彼を木陰のテーブルへ促しました。
「いらっしゃいませ、クラウス様。今日は一段とお早いお着きですわね」
「……ああ。昨夜も、貴様の野菜を食べたおかげでよく眠れた。朝起きると、体が勝手にここへ向かっていたのだ」
「それは一種の中毒症状では……? まあ、健康的なので良しとしましょう」
私は水魔法で冷やしたトマトを、皿に乗せて差し出しました。
味付けは一切なし。
素材の味だけで勝負するのが、私の農園のスタイルです。
クラウス様は待ちきれない様子で、トマトを一つ手に取りました。
そのまま、大きな口でガブリと。
「…………ッ!」
彼の肩が、目に見えて震えました。
氷のように冷淡だと言われる彼の頬が、トマトと同じくらい赤く染まっていきます。
「……甘い。いや、甘いだけではない。濃縮された太陽の味がする」
「それはお褒めに預かり光栄ですわ。魔法のスプリンクラーで、土の水分量を厳密に管理しましたから」
「これなら……。これなら、戦場での士気も一瞬で回復するだろうな。リゼット、やはり貴様を王都へ返すわけにはいかない。俺が……全力で守る」
クラウス様が、真剣な眼差しで私の手を取りました。
ごつごつとした、剣を握る男の人の手。
ですが、その指先は驚くほど優しく私の手に触れています。
「あら、プロポーズのつもりかしら? 騎士団への納品契約は、すでにお受けしたはずですが」
「……契約以上の、守護だ。貴様の才能を、あのような愚かな王太子に二度と利用させたくない」
彼の言葉には、隠しきれない独占欲が混じっていました。
私のような「地味な女」に、ここまで執着してくれる方が現れるとは。
人生、何が起こるかわかりませんわね。
「嬉しいですわ。でも、クラウス様。守っていただくだけでは、私の気が済みません」
私は立ち上がり、農園の向こう側にそびえ立つ「黒の森」を指差しました。
「あちらの森の資源、私に独占利用させていただけますか? 最高の肥料を作るには、あの森の腐葉土が必要なのです」
「……あそこは魔物が出る危険な場所だぞ」
「クラウス様がいれば、問題ありませんわ。私は土を、貴方は私を。支え合うのが、良いパートナーというものでしょう?」
私は彼に向かって、いたずらっぽく微笑みました。
氷の公爵と呼ばれた男が、完全にたじろいでいます。
どうやら、彼は私のような押しの強い女性には弱いようですわね。
「……わかった。俺が森の魔物を掃討し、貴様のために道を作ろう。その代わり……」
「わかっています。毎日、美味しい朝食をご用意しますわ」
「ああ。それでいい。それがいい」
彼は満足げに頷き、最後のトマトを口に放り込みました。
その顔には、かつての酷い隈はもうありません。
クラウス様という最強の味方を得て、私の農園はさらなる飛躍を遂げることでしょう。
一方で、王都ではそろそろ「リゼット不足」による問題が深刻化しているはず。
ですが、今は目の前の平穏を楽しみましょう。
私は、もう二度と、サービス残業(いじわるな王太子の世継ぎ問題)には付き合わないと決めたのですから。




