第3話:魔法の無駄遣い、始めました
「……おはようございます。よく眠れましたか?」
私が声をかけると、ベッドの上の男性は跳ねるように飛び起きました。
「……っ!? ここはどこだ。俺は、何を……」
彼は鋭い視線で周囲を警戒しました。
しかし、そこは殺風景な戦場ではなく、私の魔導テントの中です。
昨日、倒れた彼を土魔法で浮かせ、ここまで運ぶのは少し骨が折れましたわ。
「ここは私の自宅です。貴方、私の畑で寝落ちしたのですよ。覚えていらして?」
「畑……? ああ、あの赤い実を食べてから、記憶が……」
クラウス様は、自分の大きな手を見つめて呆然としています。
そして、はたと気づいたように自分の顔を触りました。
「……体が、軽い。三日以上、まともに眠れていなかったはずなのに」
「それは良かったですわ。土の魔力とイチゴのビタミン、それに私の『安眠魔法』が効いたのでしょうね。さあ、顔を洗ってきてくださいな。朝食ができていますわよ」
「朝食だと? 断る。俺は急ぎで……」
グゥゥゥゥ……。
彼の言葉を遮るように、立派な腹の虫が鳴り響きました。
クラウス様の白い頬が、一瞬で耳まで赤くなるのが見えました。
意外と可愛らしいところがある方ですわね。
「遠慮なさらず。開拓者の朝は早いのです。しっかり食べないと動けませんわ」
私は彼をキッチンスペースへ促し、スープ皿を並べました。
本日の献立は、昨日耕した直後に植え、生活魔法で急速成長させた「早生カブ」のポタージュです。
「……なんだ、この香りは」
クラウス様が、おずおずとスプーンを取りました。
王都の貴族が食べるスープといえば、脂ぎった肉の茹で汁か、保存用の干し野菜を煮込んだ茶色の液体です。
ですが、目の前にあるのは、すりつぶしたカブの白さと、絞りたてのミルクが混ざり合った乳白色のポタージュ。
彼は一口、慎重に口に含みました。
「…………っ!」
「お味は、いかが?」
「……甘い。いや、滋味深いというのか。喉を通り、腹に落ちた瞬間、体中の細胞が喜んでいるのがわかる。これは、本当にカブなのか?」
「ええ、今朝そこで抜いてきたばかりのものですわ」
彼はそれから無言で、しかし恐ろしい勢いでスープを平らげました。
付け合わせに出した、外はカリカリ、中はふわふわのパン(これも魔法の石窯で焼きました)も、あっという間に消えていきます。
「ふう……。すまない。取り乱した。こんなに食事が喉を通ったのは、数年ぶりだ」
彼は満足げに息をつきました。
目の下の隈が、昨日より少しだけ薄くなっている気がします。
「お粗末様でした。さて、食後の運動に、私の『新作』を見ていただけますか?」
私は彼を連れて、テントの外へ出ました。
そこには、昨日耕したばかりの黒い大地が広がっています。
「クラウス様、見ていてくださいませ」
私は地面に描いた魔法陣に、指先から魔力を流し込みました。
すると、農園の四隅に設置した木製の筒が、シュルシュルと回転を始めます。
パァァァァァッ!
筒の先端から、細かな霧状の水が空中に舞い上がりました。
朝日を浴びて、農園にいくつもの虹が架かります。
「……自動スプリンクラー、魔導回路式ですわ。これで水やりの時間はゼロ。私は二度寝ができるという寸法です」
「……リゼット、と言ったか。貴様、正気か?」
クラウス様が、信じられないものを見るような目で私を見つめています。
「今、貴様が使った回路……。それは、王都の魔導師たちが心血を注いで作る『防衛結界』の応用だろう? それを、ただの水やりに使っているのか?」
「『ただの』とは心外ですわね。美味しい野菜を作るのは、国の守りを固めるより重要ですわ。お腹が空いては戦も、恋も、政治もできませんもの」
私は腰に手を当てて、胸を張りました。
前世では機械任せだった作業も、この世界では魔法で再現できます。
これぞ、成り上がりへの効率化というものです。
「……貴様は、面白い女だな」
クラウス様が、ふっと口角を上げました。
それは氷が解けるような、不器用ながらも優しい微笑みでした。
その整った顔立ちで笑われると、少しだけ心臓に悪いですわね。
「俺は隣領の領主、クラウス・ド・ラングレーだ。この土地の変化、そして貴様の能力……。領主として見過ごすわけにはいかない」
「あら、営業停止命令でも出されますの?」
「逆だ。貴様の野菜を、俺の騎士団に納入する気はないか? 値段は貴様の言い値で構わない。ただし……」
彼は一歩、私に歩み寄りました。
高い身長の彼に見下ろされると、ふわりと森の冷たい香りが鼻をくすぐります。
「また、あのスープを飲ませてくれ。あれを食べれば、俺はもっと働ける気がする」
「……いいでしょう。ただし、定時上がりと十分な睡眠は守っていただきますわよ? 働きすぎの方は、私の農園には似合いませんから」
私は彼の胸元を指差し、いたずらっぽく笑いました。
冷徹公爵と噂される彼の顔が、また少し赤くなったのを、私は見逃しませんでした。




