第8話:胃袋は嘘をつかない
「勝負あり! ……判定、全員一致でリゼット・フォン・ベルモンド!!」
審判役のカルロが大声を張り上げると同時に、割れんばかりの拍手が巻き起こりました。
それは、ラングレー家の騎士たちだけではありません。
聖教国の騎士たちまでもが、空っぽになった器を掲げ、スタンディングオベーションを送っています。
彼らの顔には、満腹の幸福感と、美味しいものを食べた後の恍惚とした表情が浮かんでいました。
「そんな……馬鹿な……」
バルガス枢機卿だけが、青ざめた顔で立ち尽くしています。
彼の足元には、誰にも手を付けられなかった「聖なる白粥」が寂しく残されていました。
「不正だ! これは不正だ!」
枢機卿が金切り声を上げ、私を指差しました。
「貴様、スープの中に何か薬を入れたな!? 幻覚剤か、あるいは洗脳魔法か! でなければ、誇り高き聖教騎士団が、こんな泥臭い煮込みに屈するはずがない!」
見苦しい言い訳です。
私はお玉を置き、腕組みをして彼を見下ろしました。
「薬など不要ですわ。入っているのは、新鮮な野菜と、良質な肉、そして適度な塩分。……人間が生きるために必要なものだけです」
「黙れ! 異端の魔女め! この勝負は無効だ! 全軍、この女を捕らえろ!」
枢機卿が命令を下しましたが、騎士たちは困ったように顔を見合わせるだけです。
満腹で動けないのと、美味しいスープをくれた料理人に剣を向ける気になれないのでしょう。
「……バルガス枢機卿。もう、おやめください」
凛とした声が響きました。
騎士たちの列から、一人の少女が進み出ます。
フードを脱ぎ捨てると、そこには口元にスープの染みをつけた聖女エリナ様の姿がありました。
「せ、聖女様!? 探しておりましたぞ! まさか人質に……!」
「人質ではありません。私は自分の意志で、このスープを並んで食べました」
エリナ様は私の方を向き、にっこりと微笑みました。
そして、枢機卿に向き直ると、毅然とした態度で告げました。
「バルガス様。貴方はいつも『奇跡』と言いますが、本当の奇跡とは何でしょう? ……空腹を満たし、冷えた体を温め、明日への活力を与える。リゼットさんのスープには、それが全て詰まっていました」
「なっ……!?」
「私の『光』では、お腹は膨れません。でも、このスープは私を救ってくれました。……これが、本物の奇跡ですぅ!」
最後だけいつもの口調に戻ってしまいましたが、彼女の言葉は決定打となりました。
聖教国の象徴である聖女が、私の勝利を認めたのです。
もはや、枢機卿に勝ち目はありません。
「くっ……おのれ、エリナ……! 教会を裏切るつもりか!」
枢機卿はギリギリと歯を鳴らし、後ずさりました。
完全に孤立無援。
ここで引き下がるのが、賢い大人の選択というものです。
「……勝負はつきましたわね、枢機卿」
私は魔法の鞄から、プラスチック製の保存容器を取り出しました。
そして、鍋底に残っていたスープを詰め込みます。
「約束通り、軍を引いていただきましょう。ああ、それとこれ。お土産ですわ」
私はタッパーを彼に差し出しました。
「な、なんだこれは……」
「余り物ですけれど、味は保証します。貴方、さっきからお腹が鳴っていますもの。……帰り道で召し上がれ」
「き、貴様ぁぁぁ!!」
枢機卿は屈辱に顔を歪めながらも、ひったくるようにタッパーを受け取りました。
やはり、お腹は空いていたようです。
「覚えていろ……! この地はただの農園ではない! 古代の契約によって、いずれ必ず『あの方』のものとなるのだ! その時になって泣いても遅いぞ!」
枢機卿は不穏な捨て台詞を残し、逃げるように馬車へ乗り込みました。
騎士たちも、私とエリナ様に一礼してから、慌ててその後を追っていきます。
嵐が去り、広場には平和な満腹感が残されました。
「やれやれ。ようやく静かになりましたな」
クラウス様が私の隣に来て、肩を抱きました。
勝利の余韻に浸りたいところですが、一つだけ問題が残っています。
「あの……リゼットさん」
エリナ様が、もじもじしながら私の袖を引きました。
「枢機卿たちは帰ってしまいましたけれど……私、置いてけぼりですぅ」
「……あら」
そういえば、彼女は帰りの馬車に乗っていませんでした。
いえ、正確には、乗ろうともしていませんでしたね。
「私、国には帰りません! リゼットさんのところで働かせてください! お給料はトマトでいいですぅ!」
エリナ様はキラキラした目で懇願してきました。
聖女を農作業員として雇う。
国際的には大問題ですが、労働力不足の我が農園としては、喉から手が出るほど欲しい人材です。
「……ふふ。よろしいですわ。ちょうど、ビニールハウスの『照明係』が欲しかったところですもの」
「照明係……? よくわかりませんが、頑張りますぅ!」
こうして、聖教国との戦争は、私の完全勝利で幕を閉じました。
しかし、枢機卿が残した「古代の契約」という言葉。
それが何を意味するのか、この時の私はまだ知る由もありませんでした。




