第5話:真夜中の女子会
「熱いので、気をつけてくださいませ」
私は湯気が立つマグカップを、テーブルにことりと置きました。
中身は会議のために試作した、黄金カボチャのポタージュです。
濃厚な黄色いスープからは、バターとミルク、そしてカボチャの甘い香りが漂っています。
「あ、ありがとうございますぅ……」
エリナ様は恐縮しながら、カップを両手で包み込みました。
泥だらけの聖女服が少し痛々しいですが、その碧眼はスープに釘付けです。
ここは農園の隅にある、私の休憩用魔導テント。
外は真夜中の静寂に包まれていますが、中は魔導具の暖房でポカポカです。
「いただきますぅ」
彼女はふーふーと息を吹きかけ、慎重に一口啜りました。
「…………っ!」
エリナ様の目がぱちくりと見開かれました。
そして、ほうっと白いため息を漏らします。
「あ、甘いですぅ……。お砂糖が入っているのですか?」
「いいえ。それはカボチャ本来の甘みですわ。じっくりと加熱して、素材の力を引き出しただけです」
「信じられません……。教会の食堂で出る野菜は、いつも青臭くて、苦くて……。私、本当は野菜が大嫌いだったんですぅ」
エリナ様は恥ずかしそうに俯きました。
聖女が野菜嫌いとは、なかなかのスキャンダルです。
ですが、彼女はカップの中身を愛おしそうに見つめ、また一口。
「でも、リゼットさんの野菜は違います。苦くない。むしろ、体が喜んでいるのがわかりますぅ」
「それは貴女が、ずっと無理をしてきたからでしょうね」
私は彼女の向かいに座り、自分用のコーヒーを飲みました。
「聖女という役割を演じるために、清貧を強いられ、好き嫌いも許されず、常に笑顔でいる。……お腹が空くのも当然ですわ」
「うぅ……。わかってくださるのですかぁ?」
エリナ様の目から、ぽろりと涙がこぼれました。
彼女はまだ十六歳。
普通の少女なら、恋やオシャレに夢中になる年頃です。
それを、あの爬虫類のような枢機卿に管理され、奇跡の道具として扱われている。
同情はしません。
ですが、共感はできます。
私もかつては、ブラックな環境で心をすり減らしていましたから。
「……あのね、リゼットさん。私、本当は『光魔法』なんて使えないのかもしれません」
スープを飲み干したエリナ様が、ぽつりと呟きました。
「え?」
「私の力を使うと、植物は元気になりますけど、いつも少し変なんです。教会の人たちは『奇跡の光だ』って喜びますけど……私には、植物の声が聞こえるような気がして」
植物の声。
私はハッとしました。
先日の騒動で、彼女が展開した結界。
あれは私の土壌菌を殺しかけましたが、一方でトマトの成長自体は促進させていました。
もしや、彼女の魔力の本質は「浄化」ではなく――。
「エリナ様。少し、失礼します」
私はテーブル越しに、彼女の手を取りました。
そして、そっと魔力を流して共鳴を試みます。
「あ、温かい……」
私の土属性の魔力が、彼女の魔力と触れ合った瞬間。
バチッ、と弾けるような感覚ではなく、すっと溶け合うような親和性を感じました。
まるで、土が種を受け入れるような。
(……やはり。彼女の適性は『光』ではありませんわ。『生命操作』……いいえ、もっと原始的な『育成』の魔力です)
教会は彼女の力を「光」と誤認し、派手な演出のために使わせている。
ですが、彼女の本当の才能は、農業にこそ活かされるべきものです。
例えば、日照不足を補う「人工太陽」として。
(……使える)
私の脳内で、そろばんを弾く音が鳴り響きました。
この少女を教会の呪縛から解き放ち、私の農園に取り込むことができれば。
最強の生産体制が整うではありませんか。
「リゼットさん? どうして悪い顔をして笑っているのですかぁ?」
「い、いえ。なんでもありませんわ」
私は慌てて真顔に戻り、空になった彼女のカップにおかわりを注ぎました。
「エリナ様。もし、お腹が空いたらまたいらっしゃい。ここには、教会の規則も枢機卿の目もありませんから」
「……はい! また来てもいいのですかぁ!?」
「ええ。その代わり、食べた分だけ『お手伝い』をしていただきますけれど」
「もちろんですぅ! 私、食べるためなら何でもします!」
単純で、素直で、良い子です。
これなら、すぐにこちらの陣営に引き込めるでしょう。
私たちは秘密の同盟を結び、彼女を裏口から逃しました。
しかし。
翌朝、事態は私の計算よりも早く、最悪の方向へと動き出しました。
「ラングレー公爵家に告ぐ!!」
農園の外から、拡声魔法を使った大音声が響き渡りました。
私とクラウス様が飛び出すと、そこには武装した聖教国の騎士団がずらりと並んでいました。
そして、その先頭にはバルガス枢機卿の姿。
「我が国の聖女エリナ様が、昨夜より行方不明である! 貴様らが拉致したことは明白だ! 直ちに返還せよ、さもなくば武力行使も辞さない!」
「……は?」
私は隣のクラウス様と顔を見合わせました。
昨夜、確かに彼女を帰しました。
まさか、帰り道で迷子になったのでしょうか。
それとも、教会の食事を嫌がって逃げ出したのか。
どちらにせよ、これはただの言いがかりです。
ですが、枢機卿の目は本気でした。
どうやら彼らは、これを口実に「聖戦」を始めるつもりなのです。




