第4話:風評被害と売上の低下
バタン、と。
私は革張りの分厚い帳簿を、テーブルの上に乱暴に放り出しました。
「……今月の売上、先月比マイナス三〇パーセント。いえ、キャンセル分を含めれば四〇パーセント減ですわね」
私の言葉に、会議室に集まった騎士たちが沈痛な面持ちで俯きました。
深夜のラングレー公爵邸。
本来なら、私はふかふかのベッドで夢の中にいるはずの時間です。
しかし現実は、冷めたコーヒーを片手に緊急経営会議の真っ最中。
これが、聖教国ルミナスによる「聖戦」の結果でした。
『リゼット屋の野菜は、土壌の穢れを吸い上げた悪魔の果実である』
『食べれば地獄に落ちる』
『肌が緑色になる』
そんな馬鹿げた噂が、街中に広まっています。
普通の農家なら、泣き寝入りして廃業するところでしょう。
「すまない、リゼット。俺が各国の領主に手紙を書き、安全性を訴えているのだが……。教会の影響力は根深くてな」
クラウス様が、眉間に深い皺を寄せて謝罪しました。
彼の目の下には、少し隈が戻ってきています。
それがいけません。
私の夫を過労に追い込むなど、万死に値します。
「謝罪は不要ですわ、クラウス様。言葉で解決できるなら、戦争なんて起きませんもの」
私は立ち上がり、ホワイトボードに大きく書き殴りました。
『新作投入』
「噂を消すのに、弁明は逆効果です。嘘をついていると思われるだけですから。ならば、その噂すら吹き飛ばすほどの『圧倒的な実物』を突きつけるしかありません」
「実物、か。だが、既存のトマトやキュウリでは……」
「ええ。ですから、この『黄金カボチャ』を使います」
私はテーブルの下から、ゴロンとした大きなカボチャを取り出しました。
皮は深い緑色ですが、切れば中は黄金色。
糖度は果物を超え、加熱すれば栗のようにホクホクになる自信作です。
「これをポタージュにして、街頭で無料配布します。匂いだけで理性を飛ばすような、凶悪なまでの美味しさでね」
「……なるほど。相変わらず、貴様の発想は過激だな」
クラウス様が、ふっと口元を緩めました。
騎士たちも、「リゼット様のカボチャなら勝てる!」と活気づいています。
方針は決まりました。
会議は解散。
私はようやく、愛するベッドへ潜り込める……はずでした。
しかし。
眠る前に畑の見回りをするのが、私のルーティンです。
特に最近は、狂信的な信者が畑に火を放つ可能性もありますから。
私はランタンを片手に、夜の農園へと足を踏み入れました。
月明かりに照らされた畑は静まり返っています。
虫の声だけが響く、平和な夜。
……おや?
「カリッ、ポリッ……」
微かな咀嚼音が、キュウリ畑の方から聞こえてきました。
小動物でしょうか。
それとも、噂を信じた村人が嫌がらせに来たのでしょうか。
私はランタンの光を隠し、音のする方へ忍び寄りました。
黄金のスコップを構え、いつでも叩けるように準備します。
「カリッ、サクッ……んん~、おいしいですぅ……」
「……は?」
聞き覚えのある、間延びした声。
そして、月明かりに浮かび上がったシルエット。
そこにいたのは、純白の聖女服を泥だらけにした少女――エリナ様でした。
彼女は畑の真ん中にぺたんと座り込み、もぎたてのキュウリを両手で握りしめ、リスのようにかじっていたのです。
「……あの。何をしてらっしゃいますの?」
私が呆れて声をかけると、彼女は「ひゃっ!」と叫んで飛び上がりました。
手から滑り落ちたキュウリが、コロコロと地面を転がります。
「り、リゼットさん!? ち、違いますぅ! これは、その、浄化のための調査で……!」
「調査? 真夜中に、泥だらけになって、キュウリをかじることがですか?」
私がランタンの光を向けると、彼女の口元には緑色の食べかすがついていました。
言い逃れようのない現行犯です。
エリナ様は真っ赤になって俯き、お腹を「ぐぅ~」と盛大に鳴らしました。
そういえば、彼女は枢機卿に連れられて去る時、悲しそうな顔をしていましたね。
「……お腹が空いてらっしゃいますの?」
「……うぅ。教会の食事は、清貧がモットーで……パンとお水しか出なくて……。リゼットさんのトマトの味が、忘れられなくて……」
彼女は涙目で訴えてきました。
聖女という崇高な立場でありながら、その実態は空腹に耐える育ち盛りの少女。
敵対国の象徴であるはずの彼女が、なんだか急に小さく見えました。
私は溜め息を一つつき、構えていたスコップを下ろしました。
農家には一つの不文律があります。
『腹を空かせた者に、罪はない』。
「……仕方ありませんわね。ついていらっしゃい。ちょうど、試作のカボチャスープが余っていますの」
「えっ? い、いいんですかぁ?」
「誰にも見つからないようにしてくださいね。餌付けしたと知られたら、また枢機卿がうるさいですから」
私は彼女の手を取り、こっそりと裏口の方へ歩き出しました。
どうやら、この厄介な聖女様を攻略する糸口は、意外と身近なところにあったようです。




