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3話 雪は冷たいから雪

 コンビニの業務は、標準化と平準化の進んだ仕事の一つである。

 あらゆる作業がマニュアル化され、全国どこへ行っても同程度のサービスが提供されることを第一としている。もちろん、地域により店舗により一人一人の能力により、それらにムラが生じるのは仕方のない話だが、それはまた別の話である。むしろ特筆すべきは、地域や店舗や人によって違うという状況を、システムによって補っているという点である。ウチの店は夕方から夜にかけてと朝方にラッシュを迎えるが、それ以外は比較的客足が鈍い。客層は幅広く、半分以上は車で来店するのも大きな特徴だ。これが少し場所が変わっただけで、深夜に客の多いコンビニもあれば、昼前後に最大のピークを迎えるコンビニもある。これだけの差を、店員の質ではなくシステムで対処するのは簡単な話ではない。全国展開の最も進んだフランチャイズは伊達ではないのである。

 つまり何が言いたいのかというと、それはただ一つ。

 二人でやる仕事を一人でこなすのは無理って話だっ!

 コンビニ業務っていうのは、一人の仕事量が計算と経験によって見事に配分されている。初心者の時は無理だと思えていた仕事量も、一ヶ月も経てば普通にこなせる程度にはなっている。標準化と平準化が進んでいるというのは、そういう話だ。だからこそ、二人分の仕事を一人で行えるようには出来ていない。明らかなオーバーワークでしかなかった。

 一応出来る範囲で頑張ってはみたし、オーナーが現れなかった『彼女』の分を補ってはくれたものの、幾つかはこなすことのできなかった仕事もあった。二人分の仕事は、やはり二人必要なのである。そんなことはわかっていたつもりだったけど、今更ながらに思い知った。

「今日はご苦労様。まさか来ないとは思わなくてね」

「連絡とかなかったんですよね?」

「こっちから自宅に電話を入れたんだけど、生憎と留守電でね。彼女は携帯も持っていなかったから」

 あ、電話はあるんだ、雪女の家にも。

「まぁ、今更無断欠勤で驚いたりしませんよ。ありがたくはないですけど」

 コンビニのバイトというのは軽く見られることも多いため、気軽に始めようと思ったら予想以上に仕事量が多く、早々にリタイアする人も珍しくはない。初日に泣いてしまうなんて人も、何度か見たことがある。とはいえ、そういう始まりであっても続けてくれればまだ良い。特に問題なのが、連絡もなくサボった挙句に居なくなるパターンだ。部活気分でやっている学生に多いと思うのは、多分偶然ではない。

「明日は倉本君と安達さんだから良いとしても、明後日からはどうするかな……今から募集かけても間に合わないだろうし」

「大学生とか、今の時期は暇だったりするんじゃないですか?」

 正月空けて十日経つ。高校生は学校が始まっているだろうけど、休みの多い大学生なら時間のある奴もいるかもしれない。

「いやー、むしろテストが近いから休ませてくれって連中もいてね。二月以降になると暇だと言ってたんだよ」

「そうなんですか」

 フリーターをやっていると、この辺りの感覚はわからないものだ。

「まぁ、一応打診はしてみるけどね。もしかしたらしばらくは人を確保できないかもしれないから、その時は悪いけど何とか頑張ってくれないかな?」

「まぁ仕方ないですけどね。全く、何だってドタキャンなんてするんだか」

「悪い子には思えなかったんだけどなー」

 穏やかなオーナーは、頭を掻きながら溜め息を吐きつつ奥の小部屋へと戻っていく。内心では頭を抱えているんだろうけど、さすがに大人といったところだろうか。そんな雰囲気は態度のどこにも窺うことが出来ない。

 一方、僕の表情は強張っているだろう。今の僕が暴れ出さないのは、単純に疲れているからだ。酔っ払っていたら器物破損の一つくらいはやっているかもしれない。

 正直、ムカついている。

 昨日見た彼女は、とてもドタキャンをするような子には見えなかった。穏やかで、明るくて、少しボケていて、むしろ今日という日を楽しみにしているとすら思っていた。彼女自身、コンビニでのアルバイトが憧れだと言っていたじゃないか。

 コートのボタンを留める手が止まる。

 コンビニの仕事が憧れだなんて、そんな馬鹿な話があるだろうか。僕自身、都合良く気楽に稼げるからコンビニで働いているだけだ。特別な思い入れなど一つもない。あんな質問をされて、こちらの気分を害さないようにとの配慮から社交辞令を口にしただけかもしれない。あの時の彼女は、表面では笑顔を浮かべつつ内心では『もう来ねーよ』と舌を出していたのかもしれない。実際、そんな反応は決して珍しいことではないだろう。そんな人間――じゃなくて雪女が嫌になって来なかったからといって、僕が怒る理由はほとんどない。もちろん辞めるなら辞めるで、ちゃんと辞めてもらいたいとは思うけど。

 僕は一体、何がこんなに気に入らないんだろうか。

 少しだけ考えて、手の動きを再開しながら、あぁそうかと納得する。

 多分、ガッカリしてるんだ。

 何でもない、大して楽しくもないと思っている仕事を楽しみにしている雪女の女の子、彼女が実際に働いてどんな感想を抱くのか、見てみたかったのだろうと思う。それなのに始める前から逃げ出されて、口先だけだったという事実に落胆したんだ。

 まぁいいさ。

 初日にドタキャンして、その翌日から反省して来ましたなんてパターンには遭遇したことがない。次はもう少しマトモな人が来てくれることを願った方が、おそらくは妥当な感性だろう。

 そう素直に思いつつ、どこか晴れない心に、僕は戸惑っていた。



「ここか……」

 隙間風が入るどころか、吹雪の一つも来たらパタリと倒れてしまいそうな安普請の二階建てアパートの前に、メモを握り締めた僕は立っている。自宅アパートも人のことが言えるほど立派ではなかったけど、一応はコンクリートで覆われているから安心感があると感じられるくらいなのだから、目の前にある建物に対して抱いている不安感は察していただきたい。

 家賃が幾らなのかという以前に崩壊しないのだろうかという疑問が湧くようなアパートへと近付き、目的の部屋を目指す。踏み締める度に響くミシミシという苦しげな悲鳴が、やけに響いて聞こえる。傘を差すほどではないながらも、ちらつく程度に粉雪が降り続いており、それらが周囲の喧騒を遮断しているのかもしれないと、そんな風にも思えた。

 目的の部屋、203号室を前にして立ち止まり、一つ深呼吸をする。ドアの脇には小さな表札があり、マジックで書かれたらしい文字で『氷影』と書いてある。ちなみにここは冬の間だけ暮らす仮住まいだそうで、実家は山奥にあるらしい。

 呼び鈴を求めて持ち上がりかけた手が、萎れるように落ちていく。

 最初の一言が思い浮かばなかった。

 そもそも勢いでここまで来てしまったこともあり、何か理由が欲しいところではあった。単純にお見舞いで良いじゃないかとも思えるが、つい先日出会ったばかりの、さして親しくもない相手の見舞いというのは微妙な気がする。色々と思うところはあるものの、それらは全てこちらの都合でしかないし、実際に会って何をどうしたいのかすら整理出来ていない。

 そもそも、僕はどうしてこんなにも彼女――氷影つららのことが気になるのだろう。雪女というインパクトがあるのはもちろんだけど、それだけでは説明が付かないようにも思う。本来の僕なら、初日に来なかったアルバイトのことなど、翌日には忘れていたって不思議ではないハズだ。

 今日ここまでの経緯に何かあっただろうかと思い返してみる。

 シフトは安達さんとだったから、仕事の部分ではいつもと変わらない。彼女の話題も少しは出たけど、昨日の惨状に対するものばかりで彼女に言及するものはなかった。中途半端に辞める連中全般に不満を並べた程度だ。

 実際に彼女の名前を耳にしたのは、担当レジを締めるために釣銭のカウントを行っていた時だった。オーナーから不意に話しかけられたのだ。

「昨日来なかった子だけど」

「はい?」

「ちょっと事故にあったらしくてね」

「事故!?」

 さすがにこれは予想外だった。

「何でも雪崩に巻き込まれたらしくてね……」

「なだれっ!?」

 予想外どころか、想像すらしていない大災害である。

「まぁ、よくあることだと言ってたけど」

「いやいやいやいやっ」

「ともかく、そのせいで怪我をして、昨日は来ることも連絡することも出来なかったらしい。つい先程、本人から電話があってね」

「だ、大丈夫なんですか? 雪崩に巻き込まれただなんて……」

 雪の中を泳げる雪女といえど、さすがに雪崩に巻き込まれて無事とも思えない。

「さすがに無事ではなかったらしくてね。足首を捻挫して全治二週間だそうだよ」

「ねんざ? にしゅうかん?」

「雪崩から脱出して道路へ飛び出した途端に転んで捻挫したらしいけど」

「雪崩関係ないっ!」

 雪女丈夫過ぎるだろっ。

「本人的にはアルバイトに来たかったようだけど、昨日は歩けなかったそうだからね。迷惑を掛けて申し訳ありませんでしたと言ってたよ。相方の君にも伝えてくれるよう言付かっている。少々おっとりしていたけど、真面目そうだしやる気もあったから、期待していたんだけどね」

 オーナーは残念そうだった。

 雪女ということは冬の間しかバイトできないのだろうし、安定した雇用という面から考えると得策じゃない。それでも彼女を採用したのは、性格的な側面が後押ししているからだろう。

 とはいえ、二週間も待ってあげられるほどコンビニの人員に余裕はない。駄目なら次を雇うのは当然の選択だ。しかしそれでも、明日明後日に何とかなるものでもない。しばらくは我慢の日々が続くだろう。

 そうだ。僕は被害者で、謝られる立場で、早々に新しい人を雇ってくれと願うのが定石だと思う。初日にリタイアした、しかも全く親しくもない相手の心配をする道理が、一体どこに在ると言うのだろうか。僕が彼女に対して申し訳ないという気持ちを抱くこと自体、必要のないことじゃないのか。

 わからない。でもわかる。

 僕は多分、信じたかったんだと思う。一昨日に見た、あの心底楽しそうな笑顔を。そしてだからこそ、昨日の身勝手な思い込みが許せないのだろう。ここに来たのは彼女のためじゃない。自分のためだ。

 顔を上げ、自然に手が持ち上がり、呼び鈴を押す。

 長髪の綺麗な女性――多分彼女の母親に導かれ、狭い室内へと通される。彼女は元気だったけど、満足に歩けないだけで何一つ変わっていないように見えたけど、その声に一昨日の張りは感じられなかった。僕の訪問を不思議に思うことすらなくて、喜んでくれていたように見えたけど、ふと視線を外した時、自分の左足を見詰める横顔には、後悔と落胆が見て取れた。部屋は寒くて、狭くて、物が少ない慎ましやかな生活に見えたけど、あの場が暗く思えたのは照明のせいじゃない。

 純白の肌と漆黒の髪や瞳――光と影を共有する彼女がどう見えるのか、それは間違いなく表情に宿る感情によって決まる。一昨日は明るく見えた。でも今日は、少なくとも僕の目には暗く見えた。

 ごめんなさいと謝る彼女、残念だと笑う彼女、さようならと微笑む彼女……そのいずれもが泣いているように見えた。

 アパートの階段を下りた僕は、ポケットから携帯を取り出して電話を掛ける。

「……あ、オーナーですか? 倉本です」

 夜の帳が下りて尚止む気配のない雪に向かって抗議するかのように、白く濁る声を響かせた。強く正直な言葉に、自分自身が酔いしれるような感覚すらあった。

 後になって、僕は思い知ることになる。

 やっちまったゼ、と。


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