1話 夏は暑いから夏
あらすじを読むと勘違いしそうですが、恋愛物ではありません(笑)
ちなみに真面目な企画物なので、コメディ要素は抑え気味です、多分……。
ギラギラと空が輝く。
暑い。いやむしろ痛い。頭がチリチリと焼けるようだ。
それでも僕はここを離れない。アルバイトは幾つもやってきたけど、どれも退屈で楽しくはなかった。このコンビニバイトにしたって、楽しくてやっているワケじゃない。
「ありがとうございましたー!」
ガラス戸の開く音に反応して、自然に表情が作られ声が出る。
慣れというのは恐ろしい。
いやまったく恐ろしい。
去年の今頃は焦燥感に煽られながらこなしていた仕事が、今や鼻歌交じりに片付けられる雑務に変貌している。もちろん、手を抜いているワケじゃない。そうできる程度に、僕の作業効率が上がったせいだ。
思えば、暑いと呟くことは同じでも、去年は元凶を確認する余裕すらなかった。
それが今や、憎らしい夏の日差しを睨みつけている。
ホント、さっさと落ちてしまえばいいのに。
そして秋が来て、冬になればいいのに。
「……はぁ、帰りにアイスでも買うか」
そんな呟きと共に漏れた夏の溜め息は、白く濁ることなく灼熱の大気に溶けた。
僕のコンビニバイトは、掃除に始まって整理に終わる。
その業務内容は『あれ、僕はいつから清掃業者に転職したんだっけ?』などと思ってしまうほどだ。実際にバイトを始めるまでの僕は、コンビニのバイトなんてレジの前に突っ立って『ありゃたしたー』とか言ってれば良いものだと思っていたから、その業務内容のギャップと濃さに驚かされたものである。
バイト初日がその年の最高気温更新日でもあったため、冷房の効いた店内で気楽なバイト生活を想定していた僕にとって、炎天下の外掃除など予想外の重労働だった。むろん、今にして思えば認識が甘かっただけなのだけど。
掃き掃除とタイルのモップがけを終えた僕は、雑巾を片手にガラス戸へと足を向ける。そういえば、初日はこれだけで汗をダラダラと流していた。いくら運動不足に酷暑が重なったとしても、少し掃除をした程度でへばっていたとは、我ながら情けない話だ。
「いらっしゃいませ、こんにちはー!」
背後から近付いてくる敵……じゃなくてお客さんに気付き、ドアを開けながら招き入れる。周囲の状況に気を配る余裕があるのも、この仕事にすっかり慣れてしまった確たる証拠だろう。
「あ、どうもね」
こちらの反応が意外だったのだろう。少し驚いた様子で店内へと老夫婦が入っていく。ちょくちょく弁当や惣菜を買っていく常連さんだ。
と、二人と入れ替わるようにして店内から冷気が漏れてくる。
その無機的で心地良い風は、どこか『彼女』を連想させた。
「よし、さっさと片付けるかっ」
その風で何かおかしなスイッチでも入ったのか、僕の身体は暑さを忘れて軽快に動き始める。どうしてこんなにやる気が起こるのか、それは僕にもわからない。
わからないけど、不快ではなかった。
「倉本君、そろそろ一年だっけ?」
「え?」
「去年の今頃だよね? ここ始めたの」
「はぁ、そうですけど」
モップの動きを止めて、安達さんに目を向ける。彼女は僕より三つ年上のパートさんだ。二十代後半の割に奥さんとか母親的な印象を受けないのは、子供がいないからだろうか。いや、むしろ性格的なものだと考えた方が無難だろう。履歴書の志望欄に『PSPが欲しいから』と書いたのは伊達じゃない。
ちなみに僕よりも長く働いているのに、未だにPSPを買っていない。でもtorneは買ったらしい。
不思議な人だ。
「もうずいぶん慣れたよねー」
「まぁ一年もやっていれば嫌でも慣れますよ」
「そのくらい仕事が出来ると、相方の私としては楽でいいわ」
「僕としても、安達さんが相方だと楽でいいですね」
「またまたぁ、『あの子』と一緒の方が楽しいクセに」
冬が終わってから、このネタでからかわれることが多くなり、同時に慣れた。
いやホント、慣れというのは侮れない。
「楽しいかどうかはともかく、大変なのは事実でしたよ。彼女は仕事の方はからっきしでしたから」
平静を保ったまま店内掃除を再開する。
トイレ掃除から店内清掃という流れも順調だ。お客さんの流れもいつもと変わりないし、このペースなら今日も平穏無事に終わるだろう。特に楽しくないのなら、楽な方がありがたい。
それは、偽らざる本音だった。
「倉本君の中では『あの子』イコール『つらら』ちゃんなのね。よーくわかったわ」
「はっ!」
謀られたっ!?
いや待て。慌てるな。
そもそもどうして『彼女』のことだと思ったのだろうか。それは多分、彼女のことを思い出していたからであって、それ以上の理由はない。ではどうして彼女のことを思い出していたのかというと、店内の冷気を浴びた時にふと思い出したからであって、別に四六時中考えているワケでもない。
「いや別に。偶然連想しただけですよ。というか、そう言わせるつもりだったんでしょ?」
「そうだとしても、どうしてアッサリ彼女のことを思い付いたの? つららちゃんが辞めて、もう四ヶ月にもなるのに」
「それは――」
発想の大元を辿る。
「太陽が眩しかったからです」
それが見当違いの痛い発言だと気付いたのは、僅か二秒後のことである。
店内清掃の後、陳列棚の整理や新聞の入れ替えといった雑務を片付けながら、合間を縫うようにして発注業務とレジ対応を済ませていると、もう『いつもの』時刻が迫ってくる。
「倉本君、そろそろ冷蔵庫入っていいよ」
「あ、はい」
通称『冷蔵庫』と呼称されるドリンクコーナーの裏側へと向かうことにする。どこのコンビニにも大抵は存在する、ドリンクを保管及び補充するためのスペースだ。ジュースを取ったら後ろからせり出してきてビックリした、とかいうのは僕達バイトのプチサプライズである。
そして僕の業務に関して言えば、これが実作業としては最後の仕事になる。このドリンク補充が終われば、担当レジの確認と引継ぎを行って『ご苦労さん』となるのだ。終わりが見える分、僕のような熱心でないバイトからすればワクワク感のある仕事であると言えるだろう。
ただそれでも、『彼女』ほど楽しそうにやれるだけの自信はない。
僕の場合はもうすぐ終わるからという後ろ向きな感情だが、あの子の場合はそうではない。この冷蔵庫に籠もる時の彼女は、本当に楽しそうだった。きっと僕とは違う何かが見えていたのは間違いない。それが何だったのか、今となってはわからないことだ。あの頃に聞いておくべきだった。
いや、次に会う時に聞いてみよう。
「よし、これで終了!」
涼しすぎる冷蔵庫からバックヤードに戻ると、まるで現実に帰ってきたかのように『彼女』の姿が霞む。冷房の効いた店内でさえ、彼女を連想するには暑すぎるのだろう。少し淋しくもあるけど、それが現実だ。
「オーナー、レジ締めに入りますよー」
奥の小部屋に顔を覗かせ、モニターを睨みながら人差し指でキーボードを叩いているオーナーへと声を掛ける。
「よろしくー……っと、そうだ、倉本君」
「はい?」
引っ込めた顔を再び戻す。
「今日来てた常連さんが、清掃してる倉本君を誉めてたよ。一生懸命やってる姿が気持ちいいってさ」
「そ、そうですか」
やや中途半端な笑顔で、僕はそんな風に返した。
照れたのではない。
何か違和感があったせいだ。
そして、違和感の原因にはすぐに思い当たる。それは実に簡単な話で、僕自身が一生懸命に仕事していると思っていないからだ。慣れてきた仕事を淡々と、効率良くこなしているに過ぎないことを、誰よりも自覚しているせいだ。
とはいえ、誉められて嬉しくないというワケでもない。そんな風に思ってもらえるのは光栄なことだろう。
ただ、その誉め言葉は『彼女』にこそ聞かせてあげたいと思う。
あの子は本当に、一生懸命だったから。