<22・弓子。>
弓子が生まれたのは、戦争が終わってすぐの頃だった。
だから戦争について、実際に体験した世代ではない。東京が焼け野原になったことは知っていたし、日本が負けたことなども知っていたが、そもそもこの村の周辺には敵機も飛んでこなかったので比較的穏やかなままだったのだ。
辺境の村だったからなのか、●●山が聖なる山だ不可侵なものとされていたからなのか。
そして物心ついた時にはもう、鎌口群の他の村々は全部廃村になった後だった。何故滅んだのか、何が起きたのか。知らされたのは弓子が十歳くらいになってからのことだったのである。
母は非常に働き者で、元々は東京から嫁いできた人だったと聞く。また、鎌口群の他の村に、野菜を売るために足を運ぶことも少なくなかったようだ。いわば、農家をやりつつ商人のような仕事もしていたと言うべきか。
それだけに、人より少し、多くのものが見えていたのではないかと思われる。
『お母さん。なんで和乃江村とかの村はなくなっちゃったん?おじいちゃんの家にある変なコケシ、和乃江村のものやって聞いたことあるんやけんど……』
ある日の午前中、縁側で弓子が尋ねたのが始まりだった。母は台所で昼食の準備をしていたが――その言葉を聞いて、鍋の火を止めたのである。
そして縁側に座り、足をぶらぶらさせていた弓子のところに来たのだった。
『あのコケシは、和乃江村の儀式で使うものなの。私達が持っていても、あんまり効果はないそうなんだけどね。あの村のことを忘れないために、村の人みんなで持っておくことにしたものなのよ』
『なして?和乃江村って、そんな重要な村だったと?』
『そうね。……この関守村がより北にある村は全て、鎌口群と呼ばれる大きな町だった……ってのは学校でもやったわよね?まあ、うちの村もそれに含まれる時もあるんだけど』
『うん。それは知っちょる』
実は、関守村だけは、鎌口群に含まれるか含まれないか微妙な位置にあるのだった。地図の上や人の話の上では入ることにされることも多いが、村長が持っていた記録によると元々は別の村だったのでは?という説もあるという。
まあ、細かいことはどうでもいい。
実際は鎌口群と呼ばれる村々の中で、この関守村だけが生き残った。それは事実なのだから。
『鎌口群と呼ばれる村々は、元々は大きな町で、考え方の違いで分離してしまったわけだけど。それでも、和乃江村が、その村々の王様みたいな立場であったのよね。何故かといえば、和乃江村には元々大きな神社があって、神様の力を借りることができる人たちが集まった村だったの。雨が降らなくて困れば、神社の人達が祈祷をして助ける。作物が不作になれば、それもやっぱり神社の人がお祈りをして解決する……そんなかんじの文化があったみたいでね』
『へえ……』
宗教が小さな集落や村の中心になる、なんてのは珍しいことではない。
母いわく。和乃江村にいた神様は、恐らく本物だったのだろう、というのだ。その神様の力を使うことで、神社の人達は奇跡を起こしていた。その奇跡に救われることが多かった周辺の村々は、和乃江村に逆らえない、いわば属州のような存在になっていたというのだ。
ちなみに、少し離れた関守村には別の神社があったこともあり、和乃江村の祈祷に頼ることはほとんどなかったのだそう。
『戦争の悲劇というのは……単純に、敵が襲ってきて爆弾を落としてきて虐殺をして……というだけではないの』
母は弓子の隣に座って、天を仰いだ。
『あれも、紛れもない悲劇だったと思うわ。……戦争中は、どこの村も町も食べ物が足りなくってね。自分達の身内を食わせるだけで、みんないっぱいいっぱいだったのよ。農家は自分の畑を持っていたから少しだけマシだったけど、ほんの少しだけよ』
村の働き手の多くが戦争に取られてしまった。
弓子の父もその一人であり、彼も結局遺骨さえないまま戦死を告げられた一人であったのである。
つまり、田舎の農村でさえ、他人のために何かをするような余裕などまったくなかったのだ。そんな場所に――東京から、子供達が集団疎開でやってきてしまったのである。
『関守村は村として小さいし、子供達を泊められるような場所もないということで受け入れることはできなかったのだけれど。和乃江村と、その周辺のいくつかの村では受け入れを余儀なくされたの。東京の子供達も、その先生たちも必死だったからしょうがないんでしょうけど』
ところが、東京から来たよそ者の子供達が、狭い村社会の子供達とそう簡単に仲良くすることなどできるはずがない。
ただでさえ食べ物が足らなくてみんなお腹をすかせているのに、よその子を食わせる余裕なんてものもあるはずがない。
その結果、多くの村で争いが起きた。お腹をすかせた子供達と先生たち、そして村の人々。畑の作物を奪い合い、時には盗みのために人を殺す輩さえ現れ始めた。
暴動がどれほど酷く、残酷で、長く続いたかまでは母も知らないという。確かなことは、鎌口群全体を醜く、恐ろしく、殺意と欲に満ちた気が覆いつくしていったということ。何人もの子供達と大人達が犠牲になったということだけだった。
『この争いと、食料不足を補うためには神様の力を借りるしかない。しかし、神様でも容易く悪い気を払えないほど、状況は悪化してしまっていた。だから……和乃江村の神社の人達は、絶対にやってはならない儀式に手を染めてしまったのよ。そう、生贄の儀式を』
『い、生贄?』
『ええ。……そもそも、和乃江村では、双子という存在が忌むべきものだとされていたわ。双子が生まれると片方を間引いてしまうという文化がまだ残っていたらしいの。そしてあまりにも不運なことに、疎開でやってきた子供達の中にはいたのよ……双子の兄妹がね』
こいつらが、諸悪の根源だ。
こいつらが村の外から、恐ろしい災厄を招き入れたのだ。
村の者達は、起きた惨劇を全て小学生の双子のせいにした。彼と彼女がいくら自分達が何も悪いことなんてしていないと訴えても誰も聞く耳を持たなかったのだ。
儀式の内容は、あまりにも残酷なものだった。
磔にした幼い兄弟に、二日間石を投げつけて放置。そして、最後は兄と妹の両手両足を全て、関節を無視してねじり折ったのである。
肘を裏側に向け、手首を返し、肩を一回転させる。足も同様に、股関節を破壊して捻り、膝を真逆に折り曲げ、足首をぐるんと回して間接を破壊する。
四肢をそのようにぐちゃぐちゃにした後で、二人を背中合わせにして針と糸で縫い付け、呪符を皮膚に刻んで鎌口川に流したのだ。このような状態になってもまだ、双子はかろうじて生きていた。最後まで、死にたくない、助けて、痛いと繰り返していたという。
『儀式は成功した、かに見えた』
でも、と母は続けた。
『戦争が終わってすぐ……弓子が生まれる直前のことよ。突然、鎌口群の村々で奇妙な死体が大量に発生したの。みんな、手足を砕かれ、ねじり折られた死体ばかり。これはあの双子の祟りだと、うちの村の神主さんは確信したみたい。和乃江村を中心に、恐ろしい勢いで住民が死んでいった。このままではうちの村にも害が及ぶと、そう判断した神主さんは……』
『ま、まさか……』
『……本当のことは、わからないわ。でも事実として他の村は謎の土砂崩れで全部潰れて、うちの村だけが生き残っている。この村でも、何か特別な儀式をしたということなんでしょうね』
彼女は悲し気に目を伏せた。
自分達は罪の上に生き残っている、それを忘れてはいけないのだと言うように。
『亡くなった双子には、霊能力があったという噂がある。だから祟ることができたのだ、とも。……でも、本当のことはもうわからない。確かなことは、弓子くらいの幼い子供達を平気で犠牲にして生き延びた、醜い大人達がいたということ。そしてこの村も、他の村を踏み台にして生き残ったのかもしれないということよ』
あれも戦争の悲劇。だから、絶対忘れないで。
母は弓子に、何度も何度も言い聞かせたのだった。
『地獄は、いつも傍にあるの。……人の悪意以上に、恐ろしいものなんてこの世にはないのよ』
***
由梨は、何も言えなくなった。
確かに、集団疎開の話は自分も聞いたことがある。が、受け入れる側の田舎の村が寺の事情がどうなるのか、については深く考えたことはなかった。確かによくよく考えてみれば、受け入れ側にも食料が潤沢にあったとは到底思えない。
ただでさえ排他的な村によそ者が入ってきて、そうそううまくやれたはずもなかったことだろう。
「死んだ双子は、お兄ちゃんが真登くん。妹が真子ちゃんと言ったそうやね」
弓子は深くため息をついて、話を締めくくった。
「時期が時期じゃけ。……川から流された死体は、鎌口川か、その支流のどっかまで流れて行ったじゃろうが……まあ、東京は火の海になっちょって、川に仏さんが溢れちょった時期じゃけ。とてもじゃないが、ちょっと奇妙な双子の死体が川を流れてきても、誰も気に留めるどころじゃあなかったと」
「ですよね。……そうか、それで、浄化されることも、弔われることもせず、怨霊に……」
「ん?なんと?」
「あ、いえ、なんでもないです」
段々と、真実が見えてきた。
集団疎開の頃――東京が空襲でまさに大変なことになっていた頃。恐ろしい儀式が行われ、真登と真子の兄妹は川へと流されてしまった。流されていく途中、彼らは苦しみながら命を落としたことだろう。
その死体は東京の、恐らくかまら川の、あのかまら橋付近に流れ着いたのだ。そこで誰からもきちんと弔われなかったがために、完全な悪霊となってしまった。そして、恐らくはそれから何十年も、地縛霊として彷徨っていたのではないだろうか。
何十年も後。2014年頃になって、それを九崎辰夫が霊視してしまった。そして怨霊となった双子を見つけ、慌てて封印しようとしたのだ。
ところが、それが大失敗。そもそもちょっと霊能力がある程度の素人にできることなんてたかが知れていたはずだ。
辰夫はむしろ双子を怒らせ――彼らは〝まことさま〟として、あの八幡マンションに取り憑いてしまったのではなかろうか。
「……あ、あの」
由梨は意を決して尋ねる。
「私、そんな話を聞いたら、その子たちが可哀想でならなくって。……何か、お鎮めする方法とか、ご存知ないですか?まだ現世で、彷徨ってるかもしれないんでしょう?」
彼らの正体と、恨みの根源はわかった。
あとは、浄化の方法を見つけるのみ。




