<21・関守。>
駅とバスがそれなりの本数出ていた理由はすぐにわかった。どうやら知る人ぞ知る観光名所が近くにあったらしい。
その名も、鎌鬼の滝。
今の時期はまだギリギリシーズンではないが、十一月くらいにもなれば紅葉が綺麗だとかで、結構人が多く来るらしい。関守南駅からバスに乗ると鎌口川を渡れる吊り橋があり、この吊り橋から見える光景ともう少し先にある鎌鬼の滝が観光名所としてそこそこ有名であるらしかった。関守南駅に小さなパンフレットが置いてあるのを発見して良かったと思う。
『かつて、鎌口川の周囲にはいくつもの町が点在しておりました。
鎌口川は綺麗で水源として貴重だったこともあり、人々が生活するのに非常に適していたからです。
しかし平安時代の頃、町の中で争いが起き、人々がそれぞれ信じたリーダーを中心に町がいくつもの村として分裂しました。現在残っている関守村は、そんな旧鎌口群の村々の中で唯一残っているものとされています』
パンフレットによれば。
元々は鎌口川の周辺に少し大きな町があり、それが平安時代くらいに分裂していくつもの村として別れた。そのうちの一つが関守村であり、二似村や鎌口下村といった村々を全てあわせて鎌口群と言われていたというのだ。
そんないくつもあった村々は全て、戦争の前後に突如としてなくなってしまったという。土砂崩れで全て押しつぶされてしまった、みたいなことが記載されているがなかなか怪しいものだ。鎌口下村などは、かなり広いエリアに分布している。それら全てが一気に土砂崩れで壊滅するなんて、そんなことがあるのだろうか。
――やっぱり、呪い、なのかな。
バスに揺られていたら、少し頭がくらくらしてきた。酔い止めを持ってくるべきだったか、と後悔する。そこまでバスに酔う方ではなかったことと、慌てて出てきたので完全に失念していたのだ。ひょっとしたら駅のコンビニに、その程度の薬なら売っていたかもしれない。確認すればよかった、と後悔する由梨である。
――なんで関守村は助かったんだろ。滅んだ上流の村より、ちょっと離れたところにあったから、かなあ?
観光名所を見るならば、鎌鬼の滝という停留所で降りることになる。バスにぽつぽつと乗っていた数名の観光客たち――中には外国人らしき金髪のカップルもいた――はみんなそこで降りていった。残ったのはうたた寝をしている老婦人と由梨だけである。
関守村停留所まではあと三つ、だったはずだ。
――本当に、木、ばっか。
あまり道路の状態が良くないのか、時々ごとん、がたんとバスが揺れる。鎌鬼の滝停留所付近には小さなアイスクリームくらいは売っていそうなみやげもの屋があったが、そこから先はずっと森しか見えなかった。
今年は暑かったし、紅葉も遅いのかもしれない。見える景色は右も左も緑、緑、緑。黄色や赤に染まっている木は皆無と言って良かった。
「おっと」
次は関守村停留所ぉ、という間延びした女性の声でアナウンスが聞こえた。由梨は慌ててボタンを押す。唯一残っているおばあさんが、慌てたように顔を上げた。どうやら、彼女もここで降りるつもりだったらしい。
由梨が椅子から立ち上がったところで、声をかけられた。
「あんた、うちの村に用があるの?変わっとるねえ」
「え?ま、まあ」
紫色の着物を着た、上品な七十代くらいのおばあさんである。
呪いについて調べに来たとか言ったら怒られるかな、と思いつつ由梨は曖昧に笑ったのだった。
***
おばあさんは、名前を千鳥弓子と名乗った。真っ白になった髪の毛を綺麗にお団子状にまとめており、背筋もしゃんと伸びている。杖をついている割に歩くのが早いと思ったら、「これはお洒落みたいなものなの」とあっさり言われてしまった。
「そろそろ必要かと思って、ちょいとお高い杖ば買ったんやけど、なかなか必要にならんでね。一応持って歩いとるんやけども、今のところ武器にしかなっちょらん」
「ぶ、武器?」
「ケツの穴小さいうちの旦那の尻、ぶったたくのに使っちょるね。なかなかええ音すっとよ」
あはははははは、と彼女は年の割に綺麗な歯を見せて笑った。
幸い、停留所から村の入口まではそう遠くはなかった。なんでも、この近所で人が泊まれる場所はそう多くはないらしく、関守村にもちょっとした宿くらいはあるらしい。さっき降りた外国人の人達もうちに泊まるかもしれんねえ、と彼女はのほほんと言ったのだった。
――ど、どうしようかなあ。
由梨は悩んでしまう。
弓子はどうやら、由梨を完全に観光客か何かだと思っているらしい。若い日本人女性がオフシーズンに一人でやってくる(しかも平日に)というのも珍しいのだろう。これは、呪いを調べている、なんて話はしづらいところである。
『あ、そ、そうだったんですね。えっと、学生さん、ですか?』
『あはは、そんなに若く見えるなら嬉しいですわ!一応WEBライター的な仕事やってるモンです。自営業、になるのかな?』
――お、そうだ。
どうやら自分はちょっとだけ若く見える?らしい。でもってよくよく考えたら大学生というのは年齢が多少上でもなんらおかしくはないはずだ。
ここは彼女の身分を利用させてもらうことにしよう。
「あの、えっと、千鳥さん」
「弓子で良かね。なんと?」
「実は私、観光じゃないんです。大学のレポートのために、鎌口川と鎌口群の村々を調べてまして。関守村が、鎌口群の村の中で唯一残った村だって聞いて、せっかくなら足を運んでみようと思ったんです。日帰りで行ける距離だったし」
大学の課題、といえば面白半分に調べたり動画を録るような者達よりも印象が良いだろう。プロのメディアというわけでもないし、多少村の人たちの口も軽いかもしれない。
由梨がそう告げると、わしで良ければ話すっとね、と笑った。
「鎌口群ねえ……ほとんどの村がのうなってて、驚いちゃるじゃろ?結構都市伝説みたいな、妙な話もいろいろある。そういうの聞いた方が、課題の内容も充実するんじゃなかね?」
「い、いいんですか?オカルト的な話も興味ありますけど」
「ええね、ええね。若い人と話せる機会なんかそうそうないもんじゃし」
それに、と弓子は少し遠い目をして言った。
「ああいう話は……ちゃんと、伝えていった方がいいこともかもしれんって、みんな言っちょるし。戦争の闇っちゅうのは、単に戦闘機が爆撃してくるとか、それで町が炎に包まれるとか、原爆とか……それだけじゃないっちゅうのを、若い人に知っておいて貰ったほうがええ」
それは、どういう意味だろう。まるで、鎌口群の村々に、何か恐ろしい出来事でもあったかのような口ぶりではないか。
彼女の年齢ははっきりとはわからないが、恐らく八十に届くかどうかといったところである。終戦が1945年で、今が2024年。はっきり言って、終戦時に生まれていたかどうかも怪しい年頃であるが。
「暑さで倒れるき、店ん中で話そか。昼間っから飲んどる馬鹿どものおるかもしれんけど」
彼女は大通りの向こう、一見の茶屋を杖で指して言った。
「お団子くらいは奢っちゃるけ。なに、遠慮せんと、おいで」
***
あまり、のんびりしている時間はない。
ただ、恐らくここまでトントン拍子に話をしてくれる人が見つかったのも、きっと単なる幸運ではないのだろう。なんらかの奇跡、運命。運命であるのなら、誰かがきっと八幡マンションの呪いを解きたいと願っているからなのだ、とそう思うことにする。
その茶屋は靴を脱いで畳に上がる、和室タイプの店だった。座布団の上に座ったところで、お店の店員らしきおばちゃんが注文を取りにくる。なんでもいい、なんて弓子が言ってくれたので、ここはお言葉に甘えて宇治金時のかき氷を頼むことにした。弓子もしれっと豪華なクリームあんみつを注文している。
「なんじゃ弓子さん、可愛い女の子連れ込んでどしたぁ?」
どうやらこのお店、お酒を出しているというのも本当らしい。数人の中高年のおじちゃん達が、近くのテーブルで酒瓶を手に振り返る。すると弓子は「なあに情けない顔しよっとね」と呆れた声を出した。
「よその学生さんの前で、みっともない姿見せんじゃなかと!勉強熱心で、大学の課題やるためにわざわざ東京……あれ、東京であっちょるけ?から来てくれたんやね」
「おお、いいなあ、若くてエネルギーがあって!」
「俺らはもう枯れてるからなあ。そこんとこの上り坂だけでもひーひー言っちまっていけねえ」
「お前はまだ若いじゃろが。もう少しキリキリ働かんかい、工事終わらんがね」
「だー、ゲンさん厳しいー!」
よくわからないが、楽しそうで何よりだとは思う。由梨が曖昧に笑うと、「とりあえず」と弓子はこちらに座り直して言った。
「で、何が訊きたいんね?わしはこれでもこの関守村の村長の親戚ったい、結構いろんなこと知っちょると!」
「そ、そうですか?その、じゃあお構いなく……」
茶屋の中は冷房が効いていて涼しい。天井近くには、青い扇風機も設置されて回っている。昔おばあちゃんの家で見たようなレトロなデザインだった。ひらひらとした青いかざり?みたいなものが首を振るたびにそよそよと揺れていた。
「……鎌口群の村々が、元々大きな町だったのが平安時代に別れた……みたいなことはパンフレットに書いてあったんです。でも、なんで関守村以外のほとんどの村がなくなっちゃったのか、イマイチ腑に落ちなくて。みんないっぺんに土砂崩れで埋もれちゃうとか、そんなことあるのかなって」
さっき、弓子は何か、戦時中に悲劇があったようなことを臭わせていた。きっと何かを知っているのだ。
「それと、ネットで気になる情報を見つけたんです。今から数十年くらい前、鎌口川を経由して支流のかまら川に……妙なマークを書いた呪物っぽいのが、たくさん流れてきたことがあった、と。どこかの村で、儀式を行ったあとじゃないかって」
由梨はスマホを取りだし、画像ファイルを呼び出した。
杏奈のスマホを撮影したものなのでやや画質は悪いが、それでもくっきり映っている。
黒い五芒星の周囲を梵字のようなもので取り囲み、しかもそれらを袈裟懸けに斬りつけるように斜めに赤い線をいれたマーク。
霊感なんてものはないが、それでも想像はつく。これは、あまり良くないものだ、と。
「なんと……」
やがて弓子は、声を震わせて言ったのだった。
「これは……知っちょる。確かにそうじゃ。これは……和乃江の儀式の印じゃき」




