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<15・伊織。>

 埃がつもっていても、伊織の部屋は由梨の部屋より綺麗な気がする。いや、由梨の部屋はそもそも引っ越し後のダンボール箱が一部詰まれたままになっているので綺麗汚い以前の問題なのかもしれないが。

 ダイソンの掃除機で玄関から始めて、特にトイレと洗面所とキッチンを重点的に、最終的には和室へ到達する。えっちな本でもあれば面白いと思ったが、生憎それらしいものを見つけることはできなかった。この部屋にはベッドがなく、押し入れから布団を出して敷いていると思われるので(由梨も和室に布団を敷いて寝ている)余計隠し場所なんてものはないのかもしれない。

 まあ、エロ本はともかく。

 ある程度家探しするつもりでやって来た、のは事実である。申し訳ないとは思いつつも、彼がいなくなった原因を調べる為なのだから仕方ない。それこそ伊織も、自分に何かあった時のためにと情報を残している可能性は充分ある。


――こういう時、ホラゲーとかだと……都合よく日記とか見つかったりするんだけど。


 押入れを開ける。トイレの上の棚を調べる。

 キッチンやリビングの食器棚。フライパンが入っているところ。手前の部屋の本棚、彼のパソコン机――などなどなど。しかし、どれもこれも日用品しか出てこない。

 一応、リビングの角の小さなテーブルに置かれたパソコンの電源も入れてみたが、残念ながらそれらしいファイルなどは見つからなかった。ゲームのアプリと、彼が趣味で集めていた犬画像フォルダ、それから仕事で使っていたであろうワードやエクセルのファイルがいくつか出てきた程度である。ブクマは――正直多すぎてまったく探せる状況になかった。


「無理かあ」


 はあ、と由梨は和室でひっくりかえった。


「まあ、そうだよねえええ……。今時、紙で日記書いてる人とかそうそういないよねえ」


 あったとしてもブログだが、そんなものは彼がブログを投稿しているアドレスとか、小説投稿SNSやTwitterのアカウント(登録しているかも知らない)を知らなければどうにもならない。この部屋に入れば何か見つかるかと思ったのに、完全に肩透かしである。

 よくよく考えればこの部屋には、彼の行方不明を叱咤友人も入っているのだ。その時既に家探しした可能性もある。由梨がちょっと探した程度で見つかるヒントなら彼が既に見つけていそうだ。


「……ねえ、伊織」


 ごろん、と畳の上に仰向けになり、由梨は目を閉じる。電気をつけているので、視界には黒よりも瞼の赤い色が広がる。


「あんたさ。ほんと……どこ行ったわけ?絶対見つけてやるって、そう誓って……どうにか今日までやってきたけど。本当はさ。ちょっと……しんどいよ」


 伊織と由梨は、だいぶ年が離れている。

 出会ったのは出身大学の交流飲み会だった。自分達はどちらも同じ大学の出身である。自分達の学校は定期的に、卒業生と在校生が交流する飲み会を開催するのだ。在校生は卒業生から卒業後の進路や就職なんかの話が聞けるし、在校生も大学の今の状況が聴ける。というか、そういう名目抜きにしても飲むのが好きな面子が集まって雑談をするという、なんとも緩い会だったのだった。

 なお飲み会ということにはなっているが、まだ二十歳になっていない在校生がソフトドリンクで参加するのも良いことになっている。出会った時、まだ伊織は十八歳のお子様だった。初参加で緊張していた上、可愛らしい顔立ちをしていることからお姉様方の玩具になっていたのである。

 その時、酔っぱらってもみくちゃにしていたのが由梨だったというわけだ。


――あの時は……私もかなり醜態をさらしたな。つーか、なれそめっていうにしては、残念がすぎるよなアレ。


 お酒が強くないのに飲むのが大好き。そんな由梨は、伊織にくっついたまま飲み潰れてしまった。どうやらその時、連絡先の交換なんかもしたらしいがまったく覚えていない。しょうがないので伊織が由梨をタクシーに押し込み、自宅まで連れていってくれたというのが始まりである。

 なお、この頃はだ由梨は実家に住んでいた。到着した自宅マンション前で待っていた母と妹に、伊織はそれはもう平謝りをされたらしい。まあ、長女が完全にセクハラをやらかしていたわけだからそりゃあ謝りたくもなるだろう。正直、由梨もあの時のことは心から申し訳ないと思ったものである。


――で、その半年後の飲み会で……あいつ、お酒も飲めないのにまた来たんだよね。でもって、ナチュラルに私の隣に座った、と。


 伊織の、由梨へのイメージは全く良いものではなかっただろう。というのも、二度目の飲み会の時、目を三角にして言われたのだ。


『今日の飲み会は、俺が隣にであなたのチェックをしますからそのつもりで!』

『エ?』

『あのですね、女性があんな風に飲み潰れて、恥ずかしいと思わないんですか!?人に抱き着きまくったし、キスもされたし、すんごい力でしがみついて離れないし散々だったんですからね!あなたは飲み過ぎちゃいけません。絶対の絶対の絶対にダメです!!万が一のことがあったらどうする気なんですか!?』

『エ!?』


 彼の、超絶真面目な性格が爆発した瞬間だった。その日は、彼にお酒は二杯までと制限をかけられてしまった。どうやら三杯目くらいから由梨の呂律が回らなくなったことに気付いていたらしい。

 残念無念と思いつつも、酔っ払いすぎなかったことでその日はちゃんと彼やみんなと話をすることができたのは良かったことだろう。飲み会の後、由梨は先日のことを再度謝ると同時に、お礼もきちんと言ったのだった。すると、彼は。


『由梨さん、可愛いんですからね。もう少し自分の身の安全を大事にしてください。そのうち、悪い男に送り狼されても仕方ないですよ?』


 送り狼。

 いやはや、いつの時代だとおもいつつ、そこまで心配してくれたのが嬉しくてたまらなかった。だから、由梨もからかいたくなって、ついつい余計なことを言ってしまったのだ。


『え、君は送り狼になってくれないの?この間も、マジでなんもしなかったらしいじゃん』

『は!?そ、そんなことするわけないでしょう、初対面の女性に!!』

『うんうん、じゃあ、そんな君を信頼して命令だ。今日も私を家まで送りたまえ!タクシー代はこっちで持つから!』

『ちょ、やっぱり酔ってるじゃないですかー!!』


 かなり強引で滅茶苦茶な流れである。ぶっちゃけ、由梨も酔いが入ってテンションアゲアゲになっていたからというのが大きい。

 正直、無理矢理アタックしまくったのは由梨の方だった。伊織の、頼まれたら断れない性格に付け込んだとも言える。最初に見た時から可愛いと思っていた上、いつも真剣で真面目で、それでいて誰かを助けることを迷わないところにどんどん惹かれていったのだった。

 お互い、恋愛に対してまったくのド素人だった。

 年下で童貞の伊織をリード――してあげるほどの経験値が由梨にあったわけでもない。そもそも「で、デートって何処に行くのがいいの!?」と慌ててネットで検索するところから始まった時点でお察しである。

 一応付き合うことにはなったが、その付き合い方はまるで中学生かと思うくらい大人しいものだった。ヤンチャしたと言えるのは精々、二人でお酒飲みながらカラオケでオールして朝帰りしたことがあったくらいである。色っぽい展開はまったくない。他に行った場所がやれ水族館だの遊園地だの田舎のゲーセンだのといったレベルなのだからお察しである。


「私、あんたに迷惑かけてばっかりだった」


 由梨はぽつりと呟く。


「大学卒業して就職したら結婚しようって、あんたがそう言ってくれて超嬉しかったよ。これからは……これからは私も、あんたを助けるんだって。ちゃんと、守るんだって……そう誓ったばっかり、だったのにさ」


 せわしなく動いていれば、情けない気持ちを忘れられた。でも、こうして畳に寝っ転がっていると、どこか伊織の匂いが部屋の中に残っている気がするのである。

 寂しい。会いたい。――悲しい。

 段々と、閉じたままの目が潤んでくる。泣いている場合でもなければ、立ち止まっている場合でもないのはわかっているのに。


「なんでいなくなっちゃったの、伊織」


 誰も聞いていない部屋で、それでも言わずにはいられない。


「会いたいよ……寂しい、よ」


 ばつん、と。突然、赤い世界が真っ黒に塗りつぶされた。


「!?」


 慌てて目を見開く。そして、電気が消えていることに気付いた。和室だけじゃない。リビングも、廊下も全てだ。


「え、え?」


 誰かがいるような、気配がする。微かな息遣いが聞こえるような、布ずれの音がしたような。否、それらは全て幻聴かもしれにけれど、でも。




 ざざざっ。




「伊織!?」


 押入れを開ける音。確かに聞こえた。由梨が飛び起きた途端、再び全部屋の電気が点灯する。今のは一体なんだったのか。本当にただ、数秒だけ停電しただけなのだろうか。

 あるいは。


「あ……」


 部屋の中に、新たに住人が増えた様子はなかった。しかし、真正面の押し入れには変化がある。さっき家探しした時、ちゃんと閉めたはずなのに――左の襖が、開いているのだ。まるで、何かを伝えようとしたかのように。

 しかも、布団の上に、何か紙切れのようなものが落ちている。


――さっきまで、こんなのなかったよね?


 立ち上がり、押し入れに近づいた。そして、その紙切れを拾い上げる。

 それは真っ白なA4のコピー用紙だった。それに、誰かが殴り書きしたような赤い文字が躍っている。




『二階堂伊織様へ


 今すぐひっこしてください。

 あなたもきっと誰かに呼ばれてこの八幡マンションに来たのでしょうが、ここはけして来てはいけない場所です

 川からあれが流れ着いてしまった時点でもう、どうしようもないところになってしまったのです


 あなたもここの本当の住人になってしまうまえに逃げて

 わたしのように 逃げられなくなる前に』




 荒いがそれは、女性の字であるように思われた。脅迫ではなく、忠告。


「誰かに、呼ばれて……?」


 そういえば、伊織はどういう経緯でこのマンションを見つけた言っていただろうか。マンションに住んでいる知り合いに教えて貰ったとか、そういうことを言っていたのではなかったか?


「どういうこと……?」


 かちかちっ。


 マウスの、ダブルクリックのような音が聞こえた。由梨はぎょっとしてリビングを見る。そういえば、パソコンを立ち上げたまま忘れていた。まさか、と由梨は机の前へと早足で向かう。

 そして、気づくのである。さっきまでデスクトップ画面が表示されていたパソコンに、ブラウザが開いていること。それが、Twitterの画面であることを。

 しかも、そのアカウントの名前は。


「『いおりん』……!」


 由梨は慌てて、机の前に座ったのである。

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