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<11・九崎。>

 彼女は由梨より少しだけ年下に見えた。いや、ひょっとしたら十代ということもあるかもしれない。

 前髪が長い上に眼鏡をかけているので、顔かたちが非常にわかりづらい。ただあまりポジティブな性格ではなさそう、ということは伝わってくる。やや厚い唇は、どこか愉快そうに弧を描いている。


「え、ええっと……ど、どちら様?」


 困惑しながら尋ねれば、彼女は。


「202の九崎律花(きゅうざきりつか)


 女性にしてはやや低い声で、はっきりとそう言った。


「貴女が挨拶を忘れてる住人の一人」

「あ、あああああ!ご、ご、ごめんなさい!そうだ、すっかり忘れてた……!」


 そう言われてはっとした。そうだ、今日は大家さんだけではなく、昨日不在だった201の六田さんと202の九崎さんにもお菓子を持っていかなければいけなかったのだ。大家さんと話して満足してしまって、うっかりすっぽ抜けてしまっていた。今日はまだ在宅していたかもしれないというのに。


「あ、後で御菓子持って行きますんで!ほんとすみません!!」


 そこで「あれ?」と気づく。

 九崎。その苗字には、聞き覚えが。


「……そういえば、九崎って……403号室で亡くなってたっていうおじいさんと同じ苗字ですよね?」


 あまり聞かない苗字。それなのに被った、ということはさすぐがに偶然ではあるまい。

 由梨が尋ねると「それはそう」と彼女は頷いた。


「当然。……私、403で死んだ九崎辰夫の親戚。私のおじいさんのお兄さんにあたるから。大伯父って呼ぶの?こういう場合」


 彼女はぼそぼそとした口調で喋る。


「バイトしながら、このマンションに住むことにして、ここにいる。彼が何で死んだのか、調べてみたいと思って」

「そ、そうなんだ」

「なかなか興味深い題材。生きていた頃はそれなりに親切にしてもらったけど、死んでからもこんな面白いネタを提供してくれるなんて思ってもみなかった。小説を書くのにぴったり」


 淡々と、それでいてどこか楽し気に語る様は異質である。仮にも〝親切にしてくれた大伯父さん〟が死んだことを話しているとはとても思えない。


「……何か、知ってるんですか?」


 ただ、小説のネタにするために調べていたというのなら、いろいろ情報を入手している可能性もある。自分が知らないことを知っているのなら教えてほしい。案にそう告げると、彼女は喉の奥で転がすように笑った。


「知っているといえば、知ってる。このマンションができるまでは、奥さんと二人暮らしだった。二人で一軒家に住んでいたけど、奥さんが亡くなったから引き払って賃貸マンションに入った。そして……このマンションに入ってから様子がおかしくなって、弟であるおじいちゃんとの連絡も途絶えた」


 はあ、と律花は深くため息をついた。


「連絡が途絶える直前、幻覚が見えるようになったかもしれないと心配して、おじいちゃんに電話をかけてたのを知ってる」

「幻覚?」

「そこの川」


 ちらり、と彼女が見つめる先。かまら川のことを言っている、と気づいた。


「かまら川に、子供の死体が流れ着いているのを見たって言った。それもたぶん、男の子と女の子の双子。背中合わせで、紐で括りつけられて、ぼろぼろの布みたいな着物を着せられていたって。でも、慌てて人を近くの交番に駆け込んでもう一度見たら、そんなものはどこにもなくて、おまわりさんにも叱られてしまったって」


 子供。双子。由梨の背筋に、冷たい汗が流れた。




『このかまら川って、昔からあんま評判良くないみたいなんです。流れのせいなのか、風水的に良くないのか、〝悪いものが流れ着きやすい〟って言われてたみたいで。わたし、つい最近まで知らなかったんですけど。ほら、結構ゴミが溜まってることも多くて、ちょっと臭うんですよね』




『血の臭い、みたいなものもすることがあって。……今日も、ちょっとそれっぽい臭いがして、気になって』




540:奈落の底より出でるは名無しさん◆Qa6poMx47

>>539

あ、それ。

俺が「どんぶらこと流れてきたかも」みたいなこと言ったのかまら川があるからなんだよ。

川を悪霊とかが流れてきた、ってこともあるのかなと思って。いや冗談抜きでさ、瘴気も流れこみやすい構造になってるっていうなら、やばい霊とかアヤカシとか流れてきてもおかしくないじゃん?




――本当に、川を……何かが流れてきたなんて、そんなこと、あるの?


 かまら川――そしてその本流である鎌口川。

 その流れのどこかに、何かがあるというのだろうか。そういえば大型掲示板にはこういう書き込みもあったはずだ。




542:奈落の底より出でるは名無しさん

鎌口川って、●●山の上から流れてるっぽいな、地図見ると。

……山の方、もうなくなった旧ナントカ村、みたいな名前がずらずら出てくる。過疎化か、あるいは……




 何故鎌口川の付近には、既になくなってしまった村が多いのだろう。それも何か、原因があるのだとしたら。


「おじいさんは他に何か言ってたんです?それに……さっきここはそういうところ、とか言ってたけど……さっきみたいな幻を見ることは、珍しくないってことなの?」


 由梨が尋ねると、こくりと彼女は頷いた。


「何が幻かそうじゃないか、見た時に見分けるのはとても難しいけれど。でも、そういうことが珍しくない。このマンションは、歪んでるから」

「ゆ、歪んでるって……」

「私も何もかもわかってるわけじゃない。でも、可能なら、あなたはここから引っ越した方がいい。間に合うかどうかわからないけれど、そうなってしまってからでは遅い。……面白い題材があるのは確かだけれど、でも」


 くるりと踵を返す律花。


「私も、後悔はしてる。……此処に来なければ良かったって」


 彼女はそのまますたすたと立ち去ってしまった。それ以上何も話すつもりもない、とでもいうように。


「そ、そんなこと言われても……」


 由梨はもう一度後ろを振り返った。やっぱり、何度見てもそこに琢磨の死体は、ない。落ちたという痕跡もない。


――……でも、もし本当にこのマンションに何かあるなら……私だけ、逃げるなんて。


 自分はそもそも、伊織の行方を捜して此処に来たのだ。

 何か情報があるなら、確かめないなんてことはできない。自分はまだ、彼を救い出すことを諦めてなどいないのだから。




 ***




「はあ?僕が?」


 念のため、304号室へと足を運んだ。しかし、ベルを鳴らしてみれば、昨日見かけたのとまったく同じ姿の、なんら異変が起きた様子もない琢磨の姿があるばかり。由梨の言葉に、明らかに不快そうに眉をひそめている。


「やめてくださいよ、そんな、縁起でもない」

「で、ですよねー……」

「見て貰えればわかるでしょうけど、硝子とかも割れてないでしょ?なんか勘違いしたんじゃないですか?」

「で、デスヨネエ……」


 いやほんとうにすみません、としか言いようがない。幻を見ることが多い、と律花が言っていたのは本当だったということだろうか。なんとも人騒がせな話である。ただ。


――本当に、あれ、ただの幻?誰かが私を騙そうとしているだけ?


 なんだか、そうは思えない自分がいる。ゆえに、もう一度尋ねてしまった。


「その、本当に何もないんですよね?例えば……」


 気になったのは、琢磨を部屋の中から追い詰めて、殺そうとしていた存在。

 とても人間とは思えない有様の――小学生くらいの、女の子。


「小さな女の子に襲われて、殺されそうになったとか。たとえば双子の幽霊を見た、みたいなことは……」


 てっきり、意味がわからない、とまた叱られると思ったのだ。しかし由梨がその言葉を発した途端、明らかに琢磨は顔色を変えたのである。

 その変化は、ほんの一瞬だった。まるで今由梨が彼を殺そうとしたかのように、恐怖と絶望に彩られたのである。


「……さい」

「え?」

「帰ってください!僕には関係ないんで!何も悪いことなんかしてないんで!!」

「あ、ちょ」


 バタン!と。由梨を半ば突き飛ばすようにして、彼は強引にドアを閉めてしまった。あっけにとられたのはこっちだ。何故、急にあのように動揺したのだろう。

 もしあれが、自分が誰かに見せられた単なる幻なら。彼に心当たりがなかったら、あんな反応をするとは思えない。というか。




『ひいいいいいい、いいいいいいいい、や、やめてくれ、ぼ、僕はなんも、悪いことなんかっ……なんで、こんな!』




 幻の中。

 怯えていた彼は、明らかにそんなことを言っていた。自分は何も悪いことなどしていない、どうして此処に住んだだけなのにこんな怖い目に遭うんだ、と。

 そう、まるで――あの出来事の全部、あるいは一部が事実であったかのような。


――やっぱ、何かあるんだ、この、マンション……。


 自分がやるべきことは固まった。

 一つ。まだ話ができていない二階の201号室の六田さんのところに挨拶しにいって、ついでにこのマンションの噂や異変についても探ってみること。

 二つ。伊織の部屋を確認して、何か痕跡がないかを調べること。

 三つ。403号室で亡くなったという、九崎辰夫。彼が一体何を見つけたのか、どういった経緯で亡くなったのかを知ること。

 四つ。かまら川と、その本流の鎌口川。その川沿いで、何かおかしな出来事がなかったかどうか。特に、子供が死ぬような事件が近隣の村であったかどうかを知ること。


「け、結構やること多いな、うん……」


 怖い、という気持ちはあった。それでもまだ由梨は、自分がなんとかしなければいけないという使命感に燃えていたのだ。

 とりあえず自室に戻って、201の六田さんと、202の九崎山陽のお菓子を持ってこなければ、と決める。前向きなのは自分の長所だ。それこそ、人間が相手なら多少なりに戦える自負もある。


――なんとかしなきゃ、私が。


 その気持ちがどこから来るのか、この時はまだ理解していなかったけれど。



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