第三話 細長く、ブヨブヨしたもの
「変な奴だな。お前の弟は──」
「ああ、まったくだ。だが……腕は確かだ。才能がある。素養も、持って生まれた運も、そしてなにより、恐ろしくタフだ」
遺体処理を行う地下室は、司法の目をかいくぐるために慎重に秘匿されていた。
二人が今いる地上部分も、表向きは”床屋”ということになっていた。
ハンター理容室。一日に一人か二人客がくればいいほうの、寂れた床屋である。
もしもこの店の経営状態に興味を持つ者がいれば、その客数に到底見合わない、膨大なハサミやナイフの入荷数に首を傾げたに違いない。
そして、都中の人間の頭髪を丸めたとしても追いつかないほどに大量の”廃棄された髪の毛袋”がどこからやってきて、どこに消えていくのかも。
それだけのルートを構築したにしては、今の二人の暮らしぶりは裕福には見えない。
死体処理という、他に類を見ない仕事は、ウィルとジェームズの”善意”によって成り立っていたのだ。
「あんな劣悪な環境で作業してりゃ、だれだって半月でギブアップだ。根性のあるやつでも、半年も続ければ体が壊れる。現に、俺たちの”先輩”も次々と病気にかかって死んで行っちまった」
「あれだけいたメンバーも、あっという間に俺たち二人になっちまったからな」
木製のゆがんだ椅子に体を預け、濁ったグラスをのぞき込む。
過ぎた日々を思い出す。過酷、というよりも、単純な地獄だった。
医学の知識などまるで備えていない若者たちに、真っ先に襲い掛かったのが感染症だ。
雑菌の温床、どころか楽園とも呼べる環境だ。ほんの些細な隙でも逃すまいと、あらゆる場所から体内への侵入の機会をうかがっている。
そして、一度でも侵入を許してしまえば、ほとんどの場合が助からなかった。無数の雑菌がもつ様々な毒素に対抗する免疫を持ちえなかったためだ。
そうして、先達の尊い犠牲から学び取った貴重な教訓を糧に、ウィルとジェームズはルールを作り、そしてそれを徹底した。
1.職場でケガをしない
2.ケガをした場合は、すぐに清潔な水で傷口を洗う
3.ケガをしなかったとしても、仕事の後は念入りに手を洗う
幸いにも、地下道には清潔で新鮮な地下水が流れ込んでいたため、水の確保には困らなかった。
この”霧の都”では、下水道はおろか上水道すらまともに整備されておらず、いわゆる”浄水”を確保することは極めて困難であった。
都で権威ある医者たちの対処法といえば、傷口を焼毒することがもっぱらで、ケガを負った者たちは、そのケガよりもはるかにつらい治療を受ける羽目になっていた。
「そんなおっかねえ職場で、ジャックのやつはブンブンとメスを振り回しやがる。それで自分は傷一つ負ってねえってんだから末恐ろしいぜ」
「まったくだ。でも、すげえのは刃物の扱いだけじゃねえ、何しろあいつは──」
ジャックの天性の素質について相棒と熱く語り始めた時だった。
ウィルは、不意に背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
──嫌な予感がする。
「おい、ウィル!急にどうしたんだ!?」
「……!」
相棒に返事する間もなく、ウィルは急いで地下道に駆け出した。
役人の目をかいくぐるために何重にも覆い隠された扉を乱暴に蹴り上げ、弟のいるはずの地下洞を目指す。
だんだんと腐臭が鼻を突き始める。頑丈で緻密なつくりの扉は、地下からせり上がってくる臭いを遮断する役割も備えていた。
その腐臭に、新鮮な血の匂いが混じっていることに、鋭敏な嗅覚を持つウィルはすぐに気づく。同時に、背中の冷や汗が一気に量を増す。
洞窟の入り口、湧水の流れる洗浄室に弟はいた。
「……なんだ、兄者。血相変えてどうした?」
「バッカヤロウ!」
思いっきりぶん殴りたい衝動を必死にこらえ、ウィルは血まみれになった弟の左腕を急いで湧水に沈めた。
「何をする!?せっかく自分で確かめていたというのに!」
「俺は、自分の腕を切り裂けなんて、一言も言ってねえ!!!」
血管とは何か、好奇心を持ったジャックは、自分の体でそれを試すことにしたらしい。
利き腕ではない左腕にメスを入れ、血管を数本取り出していた。
「それはそうと、兄者。聞いてくれ。この血管というやつ、壁の厚さや管の中身が全然違うんだ。しかも、血の流れる向きもまるで逆。血液というやつは、川の流れのように上流と下流があるのではないか?」
「うるせえ!とにかく黙って傷口を洗わせろ!」
血を洗い流して傷口を確認する。
驚いたことに、あれだけ出血していたにもかかわらず傷口はかわいいものだった。ジャックの卓越したメス捌きのなせる業。
「って、感心してる場合じゃねえ!」
手にしていた新鮮な包帯で止血すると、大慌てで職場を後にする。
「それに、兄者。太くて丈夫な血管は腕の中心に、細くて襞のある血管は腕の外側にあるんだ。きっと、太いやつのほうが大事な役割を持ってるに違いない」
「この野郎……!ちっとは自分のやったことを反省しやがれってんだ!」
地上に運び出されたジャック。地上で待ち構えていたジェームズに、急いで消毒を受ける。
「そうだ、兄者。もう一つ重要なことに気づいたぞ。これは今回の中でとびっきりの発見だ」
消毒の痛みに眉をゆがめながら、それでも爛々と好奇心に輝く瞳。
血などつながっていないはずなのに、ろくでもないことを思いついた時のウィルそっくりであった。
とりあえず処置を終えて一息ついたウィルは、これで最後だぞと言わんばかりに弟に続きを促した。
「いったい何に気づいたんだよ」
「腕を切り裂くと、めっぽう痛い!」
「それが生きてる証拠だ!感謝しろ!!
痛みの感覚を味わえることをありがたく思いやがれと言わんばかりに、ウィルは特大のゲンコツを愚弟にお見舞いした。
「