第一話 死を切り裂く赤子
その赤子は、”死”を切り裂いてこの世に生まれ落ちた
そこは、この世のどこよりも死に満ち溢れ、同時に生にも満たされていた。
腐乱した死肉から絶え間なく湧き出る腐臭と蛆虫は、そこに打ち捨てられた人間たちが現世に残す、最後の名残。
やがてそれらも消え去り、後には本物の静寂が待っている。
だが、非合法な死体処理場であるこの地下洞には、次から次へと新たな仲間が連れ込まれ、その騒乱が途絶えることはなかった。
そんな死肉の山に、今日も新しい死体を放り投げる。
男──ウィルは、眼球ですら溶かしてしまうような腐臭を堪えながら、担いできた死体をそっと仲間のもとに送り届ける。
隣国との戦争が始まるらしい。
そんなキナ臭い噂に浮足立ったのか、巷では盗みや殺人が頻繁に起こるようになった。
厳格な法が支配するこの国では、殺人はもちろん盗みですら絞首刑に処される。ひどい場合は罪人の家族を巻き添えにすることだってザラだ。
「ま、そのおかげで俺たちはこうやって飯を食えてるんだがな」
「おいウィル……。こんな場所でよく食い物の話なんかできるな……ウエッ」
腐臭に耐え切れずにえずきだした相棒を、ウィルは軽く笑い飛ばす。
「おいおい、死体処理屋が死体に怖気づいてどうすんだよ。こいつらに笑われちまうぞ」
「……お前の、そういうところは心から尊敬するよ。お前は、本当に死に対する恐怖がないんだな……」
「そんなことより、そうやって鼻をつまむのをやめろって。こいつらだって傷つくぜ?『やだ、私って体臭きついのかしら?』とか思っちゃったらどうすんだよ?」
「……わかった。俺の降参だ」
そういうと、鼻をつまんでいた手を放し、担いだ死体を運び始める。とっとと仕事を終わらせるつもりらしい。
「本当に、腐った世の中だぜ。山ほど死人を作り出す法律をこさえておきながら、その死人を墓に埋めるためにとんでもない金額を請求するってんだからよ」
「まったくだ。だから、俺たちみたいなやつらが必要になる」
「しかし、この地下室もそろそろ手狭になってきたな。最初はだだっ広い洞窟だったのが、あっという間にこの様だ」
「普通に地面に埋めたんじゃ”死体遺棄罪”。埋めようとした死体の仲間入りさ。どうにか役人の目につかない程度に細かくできればいいんだが……」
「……こんなに大量の死肉をか?そいつは、さすがに俺でも無理だな。匂いは平気だが、こいつらをうまくさばくには相当の技術が必要だ。死んだ人間ってのは、俺たちが思っている以上に硬くて重い。」
「天下の死体処理人、ウィル=ハンターが無理だってんなら、この国のどこにそんなことができるやつがいるってんだよ」
「噂だけど、最近この”霧の都”を騒がせてる連続殺人犯がいるんだとよ。鮮やかな刃物さばきで、あっという間に死体をばらばらにしちまうんだとさ。ええと、確か名前は……」
名前を思い出そうと神経を集中した時だった。
ウィルの耳に、何か声が聞こえた。
「おい。今、なんか言ったか?」
「どうした、ウィル。俺は何も言ってねえぞ?」
ウィルは目を見開く。臭気で目がかすむが、そんなことは気にならない。
死体の中から音が聞こえたのだ。
それは、死で埋め尽くされた地下室からは、絶対に聞こえないはずの音だった。
ウィルが耳を澄ます。
「赤子の──鳴き声?」
「馬鹿な。ここをどこだと思ってんだよ」
「いいや、間違いない。鳴き声が聞こえた。ここからだ──」
そういうと、ウィルはためらうことなく死肉の山に手を突っ込んだ。
「おい!正気か!?二日は臭いが落ちねえぞ!」
「だが、確かに聞こえたんだ。赤子の鳴き声だ!」
死肉をかき分けると、声は一層強くなった。
肉の塊に押しつぶされ、くぐもってはいたが、確かにそれは赤子の鳴き声だった。
「おいおい、マジかよ!?」
「手を貸せ、相棒!」
この期に及んでためらっている場合ではない。
ウィルに続いて、死肉の山を押し進んでいく。
やがて──
「いた!こいつだ!」
「マジで……本物の赤子だ……!」
「生まれたてじゃねえか。どうしてこんなところに──」
言いながら、ウィルはその理由にすぐに気づくことになった。
赤子が手にしていた、一欠けの破片を目にしたのだ。
それは、小さな石片だった。
瞬間、ウィルの全身を得体の知れぬ怖気が走る。
「こいつ……まさか、自分で母親の腹を裂いて出てきたのか……!」
おそらく、母体の死因となったのだろう、子宮深くに食い込んだ鋭利な石片を利用し、自ら外に這い出してきたのだ。
生存本能という言葉では説明がつかない、常軌を逸した現象だ。
死体から生まれた赤子は、まるで周囲で誘いをかける”死”そのものを威嚇するかのように大声で泣き始める。
不思議なことに、それだけで陰鬱な雰囲気に包まれていた地下室に仄かな温かみが宿るようだった。
「おい、ウィル……どうすんだよ、それ──」
問いながらウィルの顔を覗き込む。幾ばくも経たぬうちに、相棒の顔にはあきらめの表情が浮かんでいた。
闇の中でも燦燦と輝く、ウィルの瞳を見てしまったからだ。
長年の付き合いで、ウィルがこのように目を輝かせているときには何を言っても無駄だとわかっていた。そして、その突飛な思い付きに振り回されるだろうことも。
「決めたぞ、相棒。こいつは、俺が育てる」
「死体の相手しかやってこなかった男が、赤子を育てるだと?」
「笑うなよ。名前ももう決めてあんだよ」
「名前を付ければ赤子が勝手に育つとでも?」
「思い出したんだ。霧の都を騒がせている、連続殺人犯の名前を」
「っておい!そんな物騒な奴の名前を自分の子供につける親がいるかよ!」
肩をつかむ相棒を無視して、ウィルは生まれたての赤子を天に掲げた。
その瞬間、ウィルは確かに感じた。血と腐臭を身に纏い泣き叫ぶ赤子が、一瞬だけ目を見開き、ウィルを見下ろしたのだ。
(次の獲物の見定めでもしてんのかよ。大した奴だぜ)
内心舌を巻きながら、ウィルはこう続けた。
「この奇跡と死で満ち溢れた、我らが世界へようこそ。ジャック──ジャック=ハンター」
後に、世界中に名を轟かせる天才外科医 ジャック=ハンター。その数奇な一生はこうして幕を開けるのだった。
こういうのは二次創作って呼ばないですよね?




