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第一話 伯言は今日も無茶ブリをする

 

♢  ♢  ♢


 星に願えば、願いは叶うと信じていた。


 幼い頃、そう教えられたからだ。


 そして、実際、願って叶わないことは何一つとしてなかった。


 でも、今は。


 星に願っても叶わないことがあるのだと……痛いほどに、知っている。



♢  ♢  ♢




 新緑がいよいよ萌え出で、柔らかな緑からの木漏れ日が目に眩しい。


 更衣が終わったことで落ち着きを取り戻した後宮には、新しい季節の爽やかな風が吹く毎日である。


「んー薫風だわぁ。今日も一日、爽やかに過ごせそうねぇ」

 華月堂の長官、ほう伯言は、気持ちよさそうに身体を伸ばした。

 萌黄色もえぎいろすずしの衣裳が、ほんのり化粧した美形によく似合っている。華月堂の外、燕子花かきつばたが茂る庭に立つその姿は、一幅の絵になりそうだ。


 しかし、そんな伯言を見上げた少女は、ジト目で美しき上司を睨んだ。


「……ぜんっぜん爽やかじゃありません」


 その目は、子猫のような大きなみどり色の双眸である。つんと摘んだような鼻、ふっくらとした頬やきゅっと端の上がった桜色の口元には、見る者が思わず微笑んでしまうような愛嬌がある。透けるような白い肌に漆黒の艶やかな髪が映えるが、編んで巻き付けただけの簡素な髪型のため、その美しさが活かされていない。


「むしろ暑いっていうか、ものすごく重いっていうか、痛いっていうか」

 

 髪が背中の平包みに挟まれて顔をしかめたのは、白花音はくかのん――華月堂に配属されたばかりの女官だ。


 そんな新人の部下を呆れた顔で見つつ、伯言は涼しげな薄青の扇で美貌をあおいだ。

「あらやだ、一日のはじまりなんだから、もっとにこやかにしなさいな」


(これがにこやかでいられるかってのよボケぇっ!!)


 危うく喉まで出かかった罵声を胸の内にとどめ、花音は背にしょった平包ひらつつみを背負いなおした。

 踏んばっていなければよろけそうなその平包には、皇城の様々な省部司へ返却するための本が包んである。


「くれぐれも落とさないようにね。今回はけっこう年代物の貴重な書物もあるから。あと工部のさい尚書のところに寄ってきてね。遣いを寄越すように言われてるから」


(この上まだ用事を言いつけると?!)


 言い返そうとしたが言葉にならない。平包が重すぎて、口答えする気力もない花音は、絡繰り人形のようにただ首を縦に振って歩き出す。

 そんな花音の背中に、伯言ののんびりした声が追い打ちをかけた。


「あとぉ、帰りに後宮(くりや)に寄ってきてねえ。昼餉ひるげ用の点心盛り合わせ、頼んだわよぅー」


(……あの鬼上司が!!!)


 初夏の陽射しの中、花音はすでに汗の流れる額を拭って皇城に向かった。





「ふはっ、もうダメ、ちょっと休憩」


 なんとか皇城に辿り着いた花音は、平包を慎重に下ろした。

 本に傷でもついたら、伯言に何を言われるかわかったものではない。


「それにしても……あたりまえだけど、皇城って人が多いのねえ。後宮とは比べものにならないわ」


 忙しそうに行き交う官吏や兵たち、時には馬も通る風景に、花音は思わずきょろきょろしてしまう。

 後宮から皇城へ出る門の中で最も大きい泰平門。その前に広がる泰平門前広場は、皇城の正面から後宮までを貫く白陽通りの途中にある。


 広場には大きな噴水があった。

 その縁に腰かけて休憩する官吏や立ち話をする衛兵も多く、皇城で働く官吏や兵たちのちょっとした憩いの場となっている。


「いけない、本を水でぬらしたら大変!」


 花音が平包を下ろしたのは、噴水の縁。

 平包が濡れないように位置をずらしたり襦の袖でかばったりしながら、花音は手拭で流れる汗を拭った。

 腰に下げた竹筒から水を飲み、ひと心地つく。


「空が青いわあ…」


 見上げると、陽射しが煌めく青空に小鳥が飛んでいく。ぽつり、ぽつりと、小さな砂糖菓子のような雲がある。


「不思議。鹿河ろっか村の空と同じね」


 今ごろは田植えの時期だ。こんな晴れた日は、村中総出で田植えをしたものだ。普段は野良仕事から逃げている花音も、この時だけは手伝った。

 泥だらけになりながらも青い空の下で汗をかくことは、嫌いではなかった。


「父さんも、村のみんなもどうしてるかな」


『花草子』の一件の直後に書いたきり、父にふみを送っていない。


「父さん、怒ってるかなあ……怒ってるよね……」


 その手紙で、花音は尚食女官ではなく尚儀女官、華月堂司書として仕事をしていることを白状したのだ。

 父・遠雷は、花音が尚食女官として入宮し、皇宮の厨で花嫁修業に励んでいると思っている。

 閑職の悪名高い華月堂に配属され、なんやかんやと事件に巻き込まれているとは、夢にも思っていなかったに違いない。


「衝撃すぎて寝込んでたらどうしよう……ごめんね、父さん」


 一人村に残してきた父のことは常に頭の片隅にある。その父に嘘をついてきてしまったうしろめたさも常にあった。


「でも、でもね……やっぱりあたし、本が好き。本を読みたいし、本を扱う仕事がしたい」


『花草子』の一件で、花音は決心した。

 これからも華月堂で司書をがんばろう、と。


 父から帰郷しろと言われても、せめて任期が明けるまではここでがんばりたい。


 陽玉や、後宮厨の女官たちにも、本を配達する約束もしている。そういう、新しい方法で本の楽しさを多くの人々に知ってもらいたい。


 それと、もう一つ。


『花草子』は歴史的事情や後宮での事件性もあり、藍悠と紅壮が止む無く『花草子』を神龍に返す儀式を行った。事実上の処分だ。


 そのことに花音は胸を痛めていた。


『花草子』にまつわる謎を解明するのに精いっぱいで、守ることができなかったことに責任を感じていた。



 もっと早く、司書として何か手を打つことはできなかっただろうか、と。



「もっともっと修行して学んで、本を守れる司書にならなくちゃ!」



 だから伯言からの無茶ブリな仕事も耐える。何でも言われたことはやってみせる。

『花草子』の一件で、花音はそう決心したのだった。



「さ、がんばろ」


 くんすそを払って立ち上がった時。



「この……無礼者っ!!」

 耳障りな怒鳴り声に思わず背筋が伸びた。

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