第1話 29歳、薬師の憂鬱
「アネット、お前との婚約を破棄する! 薬屋もクビだ!」
小さな薬屋の中に響き渡る怒号。
それは私の婚約者の口から発せられたモノだった。
――アネット・テオリーン。
それが私の名前。
生まれは庶民。
職業は薬師。
年齢は……現在29歳。
青春などという淡い時間はとっくの昔に過ぎ去り、自分の人生なんてやっぱりこんなモノよね……なんて思っていた今日この頃。
そんな私にも小さな幸せがあった。
婚約者がいることだ。
しかも彼は私が勤める薬屋の跡継ぎ。
どう考えたって十分過ぎる相手である。
ただ、流石にそろそろちゃんと結婚してほしいな~……なんて思ってはいたけれど。
が、たった今――その婚約者から絶縁を宣言された。
どうしてこうなったの……?
ここに至るまでの経緯を、少しばかり思い返してみよう――。
♦ ♦ ♦
「はい、パンチョお爺さん。いつものお薬ですよ」
「ありがとうよ。やっぱり看板娘のアネットちゃんに薬を出して貰うと元気が出るのう」
「それはなによりです。でも看板娘だなんて、私はもうそんな歳じゃないですよ。来年には30歳になるんですから」
「なにを言っとるか、女は30になってからが美しいんじゃ。アネットちゃんはこれからもっと綺麗になるじゃろうて」
「はいはい、お世辞がお上手。それじゃ、お足元お気を付けくださいね」
「うむ。ではなアネットちゃん、また来るからのう」
常連のお爺さんに飲み薬の入った小包を手渡し、私は笑顔で手を振る。
――『ホーカンソン薬店』。
私の勤める薬屋の名前だ。
従業員は全部で四人。
王都の片隅に店舗を構えており、常連さんもそこそこの数がいる。
まあ言ってしまえば、どこにでもある小さな薬屋だ。
「ん~っ……時間空きそうだし、薬の調合でもしちゃおうかな」
ぐーっと背伸びする私。
最近は歳のせいなのか肩こりを感じるし、油断すると身体の節々がバキバキと音を奏でる。
もう若くない証拠だ。
パンチョお爺さんはあんなこと言ってくれたけど、身体は日々衰えていく。
お肌のツヤとか若い子に勝てないしさ……。
時間の経過が憎いよ、ホント……。
「やあアネット、ひと段落ついたかな?」
私がそんなことを思っていると、正装に身を包んだ一人の老紳士が店にやって来る。
「ヘルマンさん! ええ、今さっきにパンチョお爺さんにお薬を渡し終えたところです」
「それなら午前中はもう大丈夫だろう。キリのいいところで昼食を取ってしまいなさい」
彼はヘルマン・ホーカンソン。
『ホーカンソン薬店』の経営者であり、私の婚約者であるクラース・ホーカンソンの父親だ。
温厚かつ聡明な人物で、薬師としての腕も確か。
既に奥さんには先立たれており、以後は男手一つで店とクラースを守ってきたらしい。
かつて私とクラースの縁談を進めてくれたのもこの人なのだ。
「ありがとうございます。ところでヘルマンさん、その格好は……」
「うむ、辺境にいる貴族の知人からお呼ばれがあってね。しばし遠出することになったんだ」
「そうなんですか? お戻りはいつ頃に?」
「おそらく一ヵ月は留守にすると思う。その間は店を頼むよ、アネット」
「わかりました、お任せください。お年寄りの常連さんたちを相手にするのは慣れてますので」
「ハハハ、頼もしいな。……ところで、クラースの奴はどこに? 姿が見えないが……」
「あ~……」
私はちょっと答えづらかったが、
「クラースならシェスナと買い出しに出ました。……もうかれこれ二時間以上戻ってきてません」
「! では午前中はキミ一人で店を回していたのかい?」
「そうなりますね……」
「ハァ……まったく、あのバカ息子めが……」
頭を抱えるヘルマンさん。
彼にとって――いや、私にとってもクラースは少しばかり悩みの種なのだ。
端的に言おう、クラースは遊び人である。
しかも若い女が大好きで、女遊びに精を出すタイプの遊び人だ。
そんなクラースを落ち着かせるために、ヘルマンさんは私との縁談を進めてくれたのだけど……正直あまり落ち着いたようには見えない。
それどころか、最近は入ったばかりの新人薬師であるシェスナに構ってばかり。
婚約者である私が強く言えればいいのだが……どうにも強く出られないんだよね……。
嫁入りするという立場もあるし、それに――そもそも私のエンチャントスキルが薬師に向いていない――故に薬師としての才能が低い、という負い目もあるから。
婚約者として迎え入れてくれただけでもありがたいと思わなきゃ……って考えちゃうんだよね、どうしても。
いい歳して強い心が持てない自分が恨めしい……。
「本当に迷惑をかけるね、アネット。戻ってきたら私がキツく叱っておくよ」
「い、いえ! どうかお気になさらず! 私なら大丈夫ですので! では、行ってらっしゃいませ!」
私は愛想笑いを浮かべ、ヘルマンさんを見送る。
――この時、私は考えもしていなかったんだ。
今晩、そのクラースから婚約破棄を突きつけられるなんて。
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