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サルマトリオ男爵家:破滅へのカウントダウン

サルマトリオ男爵家の九九表(ローマ数字の九九表を3つ)を後書きに挿入しています。

よろしければご覧ください。

 1062年9月下旬 イタリア北部 トリノ近郊の修道院 サルマトリオ男爵


 うはは、やったぞ。軽い処罰で済ませられた。


 今はまだアデライデ様の御前のため声に出して喜ぶことはできないため、ワシは内心ほくそ笑む。いやほほが緩むのを止めらられないため、ワシの意図に反して笑っているように見えるかも知れぬな。自重自重、と。


 一週間以上も前、ワシが金銭を与えて領地を放逐した傭兵がよもやアデライデ様に襲い掛かっていたとは。その一報に触れた時、ワシの心臓は早鐘をうち、口から飛び出るかと思うほど驚いたものだ。いくらなんでもタイミングが悪すぎだろう。いったい傭兵の奴らめは一週間もの間、我が領内のどこを彷徨(さまよ)っていたというのだ。さっさとイシドロスの修道院に襲いかかればよかったものを。


 一時期は我が身どころか、我が一族の命運も絶たれたかと目の前が真っ暗となった。釈明のためアデライデ様が滞在するイシドロスの修道院に慌てて駆けつけた。


 それがどうだ、少量の小麦を供出するだけで無罪放免ときたものだ。


 ジャン=ステラ様が提示したのは41日間にわたる罰。一日目に小麦1粒を納める。次の日には2倍の小麦2粒。3日目はさらに倍の4粒。


 軽く計算してみればわかる。10日目でも512粒にしかならないのだ。こんな軽い処分で許してしまうとはジャン=ステラ様はアホなのか?いやいや、まだ8歳という事を思えば、年相応と言うべきであろう。そもそもワシのように計算能力が高くなければ、10日後に納める小麦の量を素早く計算する事はできないのだから仕方あるまい。


 不遜ではあるが、ワシが辺境伯の立場だったら最低でも廃爵の上、都合の良い相手に代替わりさせていたぞ。実際、ワシの目の間に座っているアデライデ様は不満顔を隠そうともしていない。


 しかし、ジャン=ステラ様が決断を下されたのだ。このチャンスをみすみす逃すことはない。アデライデ様に決定を覆されないうちに、間髪を容れずに処分の条件を羊皮紙に書き出し確定してしまおう。


 なになに。41日目まで小麦全量を納めなかったら全財産と領地を没収だと?


 確かに処罰を全うできなかった場合についても書いておかねば、だれも処罰を守ろうとしないだろう。まぁ、仕方あるまい。主君であるアデライデ様までが無能ではなかったことを喜ぶ事にして、これくらいの追加条件は呑んでもよかろうて。これほどまで軽い刑罰ですら(まっと)うできなければ、周辺の諸侯に顔向けできない。万が一にもそんな事は起こるまい。




 1062年10月中旬 イタリア北部 トリノ近郊の修道院 サルマトリオ男爵


 処罰も21日目となった。サルマトリオ男爵領から家宰が毎日、修道院まで小麦を運んでくる。今日重さにして60ポンド(30kg)ほどになったのだとか。馬を使えば運搬は簡単だが、苦労をかけるなと労っておこう。


 そのような些細(ささい)な事よりも、処罰が終わるまで修道院に居なければならない方がよほど辛い。あてがわれた客間の居心地は悪くないものの、修道院の城門を超える事は許されていないのだ。2~3日ならともかく3週間ともなると飽きてもくるというもの。


 退屈で仕方ない。そうだジャン=ステラ様を相手に我が家の計算法を披露し、わが家の有能さをご覧頂こう。そうすれば憎きイシドロスを失脚させる一助ともなるだろう。


 ◆  ◇  ◆ 


 我が家に伝わる計算法は多岐に渡るが、最も優れた技法の一つが掛け算法にある。3つの表を駆使することにより高速に掛け算が行えるのだ。

 一つ目の表は1から10の数どうしの掛け算表。これはどういう経緯かわからないがジャン=ステラ様から頂戴した教科書に九九の表という名前で載っていた。

 しかしだな、九九の表一つだけでは足らぬのだ。計算速度を早くするには3つは表が必要になる。実際、イシドロスや我が弟のラウルと掛け算対決をしたが、ワシの方が圧倒的に早かった。


 この早さを支えるのが残り2つの掛け算表なのだ。一桁の数と十の位の数とのかけ算表、そして十の位の数どうしのかけ算表。この3つの表を暗記し、駆使することによりワシは100までの掛け算で無敵の早さを誇るのだ。


 いや、誇っていたはずだった。我が家の秘伝が崩壊した発端はジャン=ステラ様の発した一問にあった。


「じゃあ、99×101はいくつ?」

「100を超える数は時間がかかります。いえ、そもそもジャン=ステラ様は計算できるのですか」

「うん、できるよ。 9,999」


 間髪入れずに答えを返してくるジャン=ステラ様。慌ててワシも計算してみたが正解であった。


「ジャン=ステラ様、お見事。ですが、事前に計算していたのではありませんか?」

「うーん、そんな事はしていないんだけどなぁ。ちょっと公式を使ったけど」

「公式? いえ、次は100よりも小さい数どうしの掛け算でお願いできませんか」


 我が家のかけ算表は100以下の数同士のかけ算は早いのだが、それ以上の数となると時間がかかる。遺憾ではあるものの、自分の得意な部分に持ち込んで勝負するのだ。


「いいよ。じゃあ、 89x91はいくつ?」

「ジャン=ステラ様は答えを覚えておられるのですか?」

「いいや、覚えてないよ。いまから計算してみるね。89x91 は 90x90-1と同じだから8100ー1で、答えは8099」

「ちょ、ちょっとお待ちを」

 私も慌てて計算を開始する。すこし後にワシが計算した値もジャン=ステラ様と同じ8099であった。


「そ、そんな馬鹿な……」


 愕然とするワシにジャン=ステラ様が種明かしをしてくれる。


「あのね、89と91みたいに2違う数の掛け算は、真ん中の数90の掛け算から1引いた数なんだよ。もっと簡単な例だと 4x6は 5x5ー1ってこと。これを数式にするとね……」


 そういってジャン=ステラ様は何やら地面に文字をかいていく。


  (x-1)(x+1) = x (2)-1


 さっぱり分らない。


「そりゃ分らないよね。これは中学生の数学だから、7冊目の教科書で出てくる範囲なんだよ。サルマトリオ男爵に渡したのは2冊目までなので、まだまだ先だね。サルマトリオ男爵が教科書の配布を手伝ってくれると嬉しかったんだけどなぁ」


 なんと! 役立たないと思っていた2冊の教科書にはまだ先があったのか。チュウガクセイというのが何を意味するのかは分からないが、算数の爵位みたいなものであろう。ジャン=ステラ様の智謀の前では、我が家の秘法といえどもその価値はちり(あくた)に過ぎないものであったのだと、心が理解してしまった。


 ああ、我が心折れにけり。


 ここに至ってはジャン=ステラ様がイシドロスの傀儡ではなかったことを認めなければなるまい。噂にあった通り、そしてワシの弟ラウルが言っていたように、ジャン=ステラ様は(まこと)の預言者なのかもしれぬ。


 もし真実だったとしたら……


 これまでジャン=ステラ様に働いた無礼の数々が脳裏を(よぎ)っていく。ワシは地獄に落とされるのであろうか。それはなんとか避けたいものだ。


 以降、悔い改めようと思う。アーメン。



 1062年10月下旬 イタリア北部 トリノ近郊の修道院 サルマトリオ男爵


 なぜだ。一体全体、どうしてこうなった。


 部屋に籠りて頭を抱え、後には天を仰いで慨嘆した。


 城に貯蓄していた非常用小麦を全て提供し、荷馬車を(つら)ねて修道院に運ぶ日々が続く。31日目の今日、小麦を運ぶ荷馬車は30台もの隊列となった。明日は倍の60台分の小麦をジャン=ステラ様に納めねばならぬ。



 ーー ああ。もう、無理だ。


 諦めそうになる自分を叱咤激励する。懲罰が終わるまであと10日。たった10日なのだ。できうる限りの手段を採ろう。


 アスティの商人に再度、手紙を書く。ありったけの小麦を買い付ける。早々に送ってこい。小麦と引き換えられる手形でも構わない。小麦が確実に手に入るなら手形であってもアデライデ様なら受け入れて下さるだろう。もうどこだって構わない。ジェノバやピサ、ミラノの商人にも書状を送ろう。


 そうだ、いい考えがある。お前たち商人が小麦を持ってこなかったら、これまでの借金は返さないと脅しておこう。かの英雄、ガイウス・カエサルの例を(ひも)解くまでもなく、大きな額の借金は借りた方が優位に立てるのだ。こうなったらいくらでも借金してやる!



 1062年11月上旬 イタリア北部 トリノ近郊の修道院 サルマトリオ男爵


 ああ、我が家に残ったのは大量の借金だけ。


 領地は改易(かいえき)。城にため込んでいた全財産を使っても小麦の量は到底足りなかった。悄然とする私に対して、ジャン=ステラ様が言葉をかけてくださった。


「知識は人を裏切らないんだよ。お金はたとえ奪われても、知識を奪う事はできないんだからね。大丈夫、サルマトリオ男爵ならその知識を生かしてやり直せるよ!」


 このような私に対し明るく声をかけてくださるジャン=ステラ様がまるで天使のようにみえた。



 ーーー


 ジャン=ステラの心の声:


 サルマトリオ男爵の全財産を奪ったのは僕なんだけどなぁ。それなのに、なぜ僕の事を崇めるような目で見上げてくるんだろう。ちょっときもい。

サルマトリオ男爵家伝来のローマ数字の九九表


挿絵(By みてみん)



普通の九九表


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
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[一言] アラビア数字は偉大ですね。
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