セイデンキの威力
1062年9月下旬 イタリア北部 トリノ近郊の修道院 ジャン=ステラ
サルマトリオ男爵の尋問を終えることを宣言したお母さまが、とっても困った事を口にした。
「我が子、ジャン=ステラは神授の聖剣、セイデンキを持っています。神があなたをお許しになれば何も起きません。しかしお許しにならない場合、神の怒りがその身に降りかかりましょう!」
ちょっと待ってください、お母さま! いつの間に神授の聖剣などという大層なものになっちゃったの? 神授って神様から授けられたって意味だよ。昨日の朝、イシドロスからもらった子供用の懐剣だって、お母さまだって知っているはずなのに。 イシドロスだって、自分が贈った懐剣が「神授の聖剣」だなんて聞いたら苦笑しちゃうよ!
ね、そうでしょ? って恥ずかしそうに周りを見渡そうとした僕を包み込んだのは、広場に轟く大きな歓声だった。
「神授の聖剣!」
「アデライデ様 万歳!」
「ジャン=ステラ様 万歳!」
「新たなる預言者に祝福あれ!」
修道院の広場に集う人々が様々な声を発していたが、やがてリズムをもった一言に集約されていった。
「せっいっでんきっ!」「せっいっでんきっ!」「せっいっでんきっ!」
愕然としたまま僕の背中をお母さまが小さく叩いた。
「しっかりしなさい、ジャン=ステラ。事前に言っておきましたよね、私に任せておけば大丈夫と」
その結果がセイデンキの大合唱なのですが、一体僕にどうせよと? この場をどう収拾すればよいのでしょう。
「お母さま、お任せするのはいいのですが、僕にどうせよというのです?」
「簡単な事ですよ、セイデンキをサルマトリオ男爵の首筋に当てればいいだけ。それだけよ、簡単でしょ」
首筋に当てる! それって僕の手でサルマトリオ男爵を殺してこいってこと?! 驚愕しつつも一応お母さまに確認する。
「それって、スパっと頸動脈を切っちゃうってことですか?」
「ケイドウミャク? 何のことかよくわかりませんが、セイデンキでパチッってしてくればいいのよ、パチって。あとはお母さまに任せてくださいな」
ああ、よかった。懐剣を首筋に当て、静電気をちょっと感じてもらうだけでいいのね。首をスパっと切る事に比べればどれほど気が楽か。
「お母さま、分かりました。それでは行ってきますね」
にこっと笑ったお母さまは激励の言葉を僕にかけてくれる。
「精一杯、みなを魅了する演技をしてくるのですよ」
「演技ですか?」
「当然ですよ、ジャン=ステラ。演技するのも上に立つものの役割です。それに周りをごらんなさい。あなたにかけられる歓声を裏切ってはなりませんよ」
周りを見渡しながらニコニコしているお母さま。一方の僕は頬がピクピクと引き攣っているのを感じた。
首筋に当ててくるだけって言葉はどうなったのですか、お母さま。 演技しなければならないなら事前に言ってよ! せめて心の準備をする時間が欲しかった。
切実な願いもむなしく、お母さまは早く行きなさいと目線で促してくる。
僕は立ち上がり、広場の中央で立ち尽くしているサルマトリオ男爵の方へと歩き始めた。 周りを落ち着かない様子でキョロキョロと見渡しているサルマトリオ男爵は、お母さまの護衛騎士によって跪くことを強要されている。
サルマトリオ男爵の方へ二歩、三歩と歩み寄るうち、サルマトリオ男爵の姿がなにかおかしい事に僕は気づいた。髪が逆立っている。 セイデンキの大歓声の中、何をされるか分らない恐怖のせいかな。
ーー サルマトリオ男爵もある意味、お母さまの犠牲者だよなぁ。 かわいそうに。
同情めいた視線をサルマトリオ男爵に向けた時、視線の先に立っているイシドロスの姿が目に入ってきた。イシドロスの髪も逆立っている。 ふと後ろを振り返ると、お母さまの髪の毛も逆立っている。まるで頭の上に見えない下敷きが置いてあるみたい。
これ、まずいんじゃない? 牧場でバイトしていた時、牧場長のおじさんから雷について注意を受けた事を思い出した。
「雷が落ちる直前にはなぁ、髪が逆立つんだ。皮膚もビリビリしてくるんだ。そんな時はたとえ晴れていても身を低くして逃げるんだぞ。といっても、牧場だと逃げ込める場所はあまりないけどなぁ」
そう言ってはっはっはっと笑っていた。
いや、今の僕にとっては笑いごとじゃない。
空を見上げる。朝は薄雲だけだったのに、黒い入道雲が浮かんでいる。イタリアの秋は雷の季節。2日前トリノを出発した時は遠雷が響いていた。そのことを思い出した僕は確信した。
雷が落ちてくる!
急いで逃げなきゃ。でもどこへ? お母さまはどうする? そもそも今も続いているセイデンキのシュプレヒコールをどうする? 僕が何かしなきゃ収拾も付かなさそう。
「みんな聞いて!」
僕は立ち止まり、懐剣セイデンキを頭上で大きく振り回す。僕が話そうとしているのを見た人々は口を閉じた。全員の視線が僕に集まる。いまなら僕の訴えを聞いてもらえる。
「すぐここに雷が落ちてくる! 広場からにげ……」
最後まで言い終わる前に、広場を大歓声の爆音が包み込む。そしてさらに大音量となったセイデンキの大合唱が再開されてしまった。
神の怒りを纏っているのが僕の懐剣で、雷が神の怒りの顕在だと信じている人がここに集まっている。雷が落ちてくるという僕の言葉は、神の怒りが顕在すると宣言した事になってしまったのだろう。
そして、神の怒りの矛先はサルマトリオ男爵に向かうと信じているからこそ、みんな無責任に大合唱していられるのだ。でもね、雷ってどこに落ちるかわからないんだよ。 僕かもしれない。お母さまかもしれない。
ーー どうすればいい?
雷が落ちてくるから逃げて、ともう一度警告しても聞いてもらえそうにない。いまこの瞬間にも雷が落ちてくるかもしれないと思うと、焦るばかりで考えがまとまらない。
おろおろと周りを見渡していたら、不安そうにこちらをみているサルマトリオ男爵と目があった。
そうだ。早々にこの茶番劇を早く終わらせてしまえばいいんだ。終わったらみんな逃げてくれる。そう気づいた僕は懐剣セイデンキを鞘から抜き放ち、男爵の方へと駆け出した。静電気が溜まっているかなんて、今となってはどうでもいい。一刻も早く首筋に刀身をあてるのだ。
走り寄ってくる僕をみたサルマトリオ男爵は立ちあがろうとしたが、お母様の護衛騎士が無理矢理、地面へと押さえつけている。丁度いい、このまま首筋に!
「チェストー」
駆けてきた勢いそのままに、サルマトリオ男爵の左首へと右手にもった懐剣を振りかぶる。
ーー これでおしまいっ
刀身の横側の部分で男爵の首をぺしっと叩く。よし、これで終わり、あとは広場から逃げるだけ。
サルマトリオ男爵から視線を外し、広場を見渡そうと顔を上げる。その瞬間、僕の視界が真っ白に染まる。空気を切り裂くような轟音が耳をつんざいた。