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傭兵頭への尋問

1062年9月下旬 イタリア北部 トリノ近郊の修道院 ジャン=ステラ


「それでは、傭兵の(かしら)に質問します。嘘偽りなく答えてくださいね」


 傭兵の(かしら)は、僕たちから見て広場の反対側にある大木にくくりつけらえている。ちょっと遠いから、僕の質問は、伝言ゲームみたいに人伝(ひとづた)いに送られていく。


「ああいいぜ、こちとら負けた側だ。ただし、嘘偽りなく答えたら命は助けてもらえないか」


 お頭の声は大きいから遠くても僕の耳まで直接聞こえてくる。


「話を聞く前に決められるわけがないでしょ」

「では、せめて部下たちの命だけでも助けてくれ。こちらにメリットがなけりゃ本当の事なんか話せるもんかね」


 お(かしら)が部下の助命を嘆願してくる。たしかに、メリットがなければ嘘をつくだろう。ただ、メリットがあっても嘘をつく可能性は残る。なにせ嘘かどうか判断するのは簡単ではない。


「本当に嘘をつかず正直に話したらね。あとで確かめるから、バレるような嘘をつかないように」

「ああ、いいぜ。そもそも俺たちを生かすも殺すもお前たちの胸三寸だからな。」


 それにしても平民だからか、お頭の言葉づかいが荒っぽい。荒っぽいのだが、伝言ゲームをしてくれている伝奏(でんそう)官は敬語に変換してから僕たちに伝えてくれている。


 さきほどのお(かしら)の言葉は、「承知いたしました。私どもの命は辺境伯様方の一存にかかっておりますので否やはありません」となっていた。


 なんだかコントみたいだけど、隣に座るお母さまもサルマトリオ男爵もこれといってお(かしら)(とが)める様子もない。不思議だったから、後でお母さまにお(かしら)を怒らなかった理由を聞いた。


 お母さま(いわ)

「貴族言葉であるラテン語も満足に話せない平民の言葉を真に受けても仕方ないでしょう。不快ですけどね」

だった。 お(かしら)が話していたのは、平民が使うロマンス語のトスカーナ方言。トリノの方言と似ているから僕は聞き取れたけど、伝奏でんそう官は無意味に伝言ゲームをしていたわけではなく、ロマンス語からラテン語へと通訳していたのだ。 一応、意味はあったらしい。無駄な事をしているなんて思ってごめんね。


 そんな事はさておき、お頭への尋問に話を戻そう。


「じゃあ、質問するよ。どうしてトリノ辺境伯領にいたの?」

「俺たちは傭兵だからな。雇われたからに決まっているだろ」

「だれに雇われたの?」

「そいつぁ、言えねえな。雇い主をばらしてしまったら、今後の生活がなりたたねえもの」

「正直に話さなかったら命がないかもよ。命がなければ傭兵を続けられないのに、今後の心配をしてどうするの?」


 質問に答えてもらえなかった不快さよりも先に、命は惜しくないのだろうか、という疑問が僕の頭に浮かんでくる。不思議に思って聞いてみたら、お(かしら)は、溜息混じりに答えてくれた。

「まぁ、貴族のお坊ちゃんには分かるまい。雇い主をばらしたと知ったら、俺たちの家族が危ないんだよ。報復として殺されちまうかもしれねぇんだ。それにな、俺たちの村の出身者は二度と傭兵として雇ってもらえなくなる。傭兵稼業で得られる収入がなかったら、何人もの村人が飢え死にしちまうんだ。だから俺の命のためじゃなく、家族のため、村のために言えねえんだよ」

 ところどころ苦しそうに顔を歪めながら、お頭が雇い主を教えられない理由を教えてくれた。自分だけが助かっても意味がないのだ。農民が傭兵になるのは農閑期の出稼ぎみたいなもの。傭兵になって仕送りしなければ、家族や同郷の人たちが飢え死にしてしまう。


 現代日本でも東北地方が飢えから解放されたのは1970年代だったと習ったことを思い出した。900年後の日本でも飢えに苦しんでいたのだもの。今僕のいる中世ヨーロッパにおいて、飢えが日常の出来事なのは当然の事。それでも、僕は自分の気持ちが落ちていくのを止められなかった。


 お(かしら)もちょっとしんみりしている。故郷の事を思い出してるのかな。もしかして、お嫁さんとか子供とかいたりするのかもしれない。


ーー ちょっとまって。僕たちは襲われた側であり被害者なのに、加害者側に同情してどうするっ

 心を奮い立たせる事で、お(かしら)に同情しそうになるのを、ぐっと(こら)える。ここは中世。現代日本みたいな幸せな世界じゃない。


 ふと、サルマトリオ男爵の方を見ると、満足そうな笑みを浮かべて頷いていた。傭兵が雇い主の名を言わなかったことに満足したのだろう。それにしても、もうちょっと感情を隠せないのかな。そんなんじゃ、傭兵と何か関係があると言っているようなものだよ。


「じゃあ、雇い主はいいや。2つ目の質問。ここトリノ近郊までどこから、どうやって来たの?」

「前の戦場はローマ近郊だったぜ。そこから船でサボナに渡り、山を超えてここに来たってわけさ」


 サボナというのは、地中海に面した少し大きな港町。そこから北西方向に山を超えるとサルマトリオ男爵領に入る。サルマトリオ男爵領を訪れる経路としてはごく普通のものだろう。

 一方で不思議なのは、今僕たちがいる所はサルマトリオ男爵領から見て北側なのだ。普通の道を通ったら、サルマトリオ男爵の城下を通るはず。もちろん、山道を迂回(うかい)したのかもしれないけど。


「サボナ経由で来たらなら、サルマトリオ男爵の城下を(とお)ったってこと?」

「ああ、通ったぜ」

「サルマトリオ男爵に邪魔されなかった?」

 普通なら城下を傭兵や賊が通ったら、呼び止めて尋問したり、邪魔したり攻撃したりするものだ。

「いいや、邪魔なんかされなかったぜ。むしろ食りょ……」


「ジャ、ジャン=ステラ様、もう尋問はその辺でよろしいのではありませんか!」

 お頭の言葉を遮るようにサルマトリオ男爵が大声を張り上げた。

「どうしてここで終わるの?」

「そもそも平民の言葉なぞ聞く必要がないのです!」


 また、そこかぁ。サルマトリオ男爵がまた邪魔してくる。はぁ、って溜息をついた所でお母さまが割って入った。

「サルマトリオ男爵はなにか後ろめたい事でもあるのですか?」

 獲物(おもちゃ)を見つけた猫みたいに、とっても楽し気な顔をしている。

「そそそ、そんな事はございませんぞ、アデライデ様」

「じゃあ、黙っていなさい」

 お母さまの有無を言わさぬ言葉に口をつぐむ男爵だったが、顔には不満がありありと浮かんでいる。いや、不満というよりも不安なのかもしれない。男爵の額に汗が吹き出ているのが見えた。


「お(かしら)、話を続けて。」

 僕が傭兵のお(かしら)(うなが)すと、お(かしら)はちょっと被虐的な笑みを浮かべた。

「ああ、サルマトリオ男爵には食料と銀貨をたんまり頂戴(ちょうだい)しやしたぜ」

 

「食料と銀貨を貰ったって言った? なんで? もしかして略奪した?」

 まさかサルマトリオ男爵が、現在進行形で見下している平民風情の傭兵に贈物(おくりもの)をあげる事はないだろう。そうだとしたら、城下町を略奪して食料とお金を調達した事を頂戴したと言っているのだろうか。僕がお(かしら)に厳しい目線を送ると、僕の胸中を察したのか慌てて否定してきた。


「いえいえ、滅相もない。略奪なんぞしていませんぜ。そんな事をしなくても、男爵の使いという方が食料と銀貨を持ってきたんでさぁ」

「嘘をつくな!」

 お頭の言葉に再びサルマトリオ男爵が割って入ってくる。

「あれは、町民からの使者だったであろうが! 私の名前を(かた)るなぞ許されることではないぞ!」


 お(かしら)が嘘つきだと、サルマトリオ男爵が大きな声で糾弾してくる。傭兵が貰ったという食料や銀貨は、男爵と関係ないと強く主張したいらしい。しかし、何かおかしい。なぜ男爵は町民が使者を送ったと知っているのか。

 そして、使者を送った事を知っていたならば、傭兵隊が城下に来ていたことを知っていたことになる。なぜサルマトリオ男爵は、傭兵隊を呼び止めて尋問したり常備兵で撃退しなかったのだろう。不思議な事もあるものだ。


 にへらぁと笑った傭兵のお(かしら)が、サルマトリオ男爵へとすっとぼけた答えを返す。

「あれ、おかしいですなぁ。町周辺で略奪を働かないでくれ。その代わり褒美(ほうび)をやる、と使者の方は言っていましたぞ。傭兵に褒美(ほうび)を与えるなぞ、お貴族様しか使わないと思っていましたので、勘違いしたのかもしれませんなぁ」

「その通り。貴様の勘違いに決まっている。勝手な推測を口にするでないっ!」

 一方のサルマトリオ男爵は青筋を立てて興奮気味にまくしたてる。


「ねえ、サルマトリオ男爵、ひとつ聞いていいかな。男爵は傭兵団が城下に迫っていた事を知っていたんだね」

「当然です、ジャン=ステラ様。急いで防備を整えた私の指揮によって、我が方に被害はありませんでした」


 サルマトリオ男爵が胸を張って被害がなかったことを誇ってくる。しかし、そんな自慢げに話されても不快なだけ。それが分らないのかな。


「我が方に被害がなかったって…… その代わりにお母さまと僕が傭兵団に襲われたんだけど」

「それは(かえ)(がえ)すも、運に恵まれませんでしたな。ご愁傷様でございます。しかし、これで私と傭兵に関係がなかった事がお分かりいただけたかと思います」


 サルマトリオ男爵の態度が急に大きくなった気がする。謀反の疑いが晴れたとでも思っているのだろうか。僕が首をかしげていると、傭兵のお(かしら)が話に割って入ってきた。


「そうなんですかい? 使者の方からは略奪するなら男爵のお城ではなく、今俺たちがいるこの修道院にしろって言われましたぜ。東方教会所属の修道院だから、イタリアでは珍しいお宝がどっさりあるし、襲ってもローマ教皇からのお叱りはないんだそうで。 食料と銀貨は修道院を略奪する報酬……」

「だまれだまれだまれ!」

 血相を変えたサルマトリオ男爵が怒鳴り声をあげる。静かになった広場に男爵の声だけが響き渡る。


「そもそも、お前! 雇い主の名前は明かさないと先ほど言っただろうが。この嘘つきめ!」

「あれぇ、おかしいですなぁ。私は名前を言っていませんぞ。それに報酬を渡してきたのは町民からの使者であって、男爵様からの使者ではないと先ほど主張されていましたよね。あれぇ、それとも本当は男爵様からの使者だったのですかぁ~」

 傭兵のお(かしら)はニヤニヤしながら、男爵の言い分がおかしいと主張する。いや、男爵を(あお)っているといった方がいいかもしれない。


「うるさいうるさい、だまれだまれ。あれは町民からの使者だと言っておろうが」

 男爵は席を立ち、盗賊のお(かしら)(しば)りつけられている大木の方へ歩み寄ろうとしたが、周りの騎士たちに制止された。

 なおも取り乱して騒ぎ立てる男爵に対して、お母さまが一言、言い放った。

「サルマトリオ男爵、おだまりなさい。平民の言葉に心を揺らされるなぞ恥をしりなさい」

 お母さまの言葉に我に返ったのか、サルマトリオ男爵は大人しくなり椅子へと腰掛けた。


 男爵が大人しくなったのはいいけど、「平民の言葉に心を揺らされない」というお母さまの言葉は裏を返せば、平民の言うことなぞ信じるに値しないって事だよねぇ。お母さまは初めっから傭兵の言葉を信じるつもりはなかったということになる。 

 そもそも貴族にとって平民は家畜やペットみたいなものだと習っている。現代日本でも、家畜の言うことを真に受けて人間を罰したりしたら、頭がおかしい人って思われるだろう。貴族にとって僕がしている事はこれと同じ事なのかもしれない。


 徒労感が僕の心を(むしば)んでいく。いや、サルマトリオ男爵が僕たちの面前で醜態(しゅうたい)(さら)すことが罰だとでもお母さまは考えているのかもしれない。貴族の考え方が僕にはさっぱりわからない。


「ジャン=ステラ、もういいかしら?」

「お母さま、最後にもう一つだけ質問させてください」


僕は傭兵のお(かしら)に向き直り、最後となる質問を切り出した。

「修道院を略奪するつもりだったのなら、なぜお母さまや僕たちを襲ったの?」

「それはたまたま偶然だっただけですぜ。修道院から出てきたから襲っただけでさぁ」

「修道院から騎士たちが出ていったのを知っていたなら、そのまま修道院を襲って略奪すればよかったでしょ? なぜわざわざ襲う必要があるの?」


ーー もしかして、戦闘狂? 貴族だけでなく、平民の傭兵の考えも理解不能なのかなぁ


「いや、後ろから襲い掛かったら普通は勝てますからなぁ。高そうなものを大量に運んでいたし、女の数も多くてちょろそうだったんでさぁ」

 言われてみるとそうかも知れないけど、騎馬隊も同行していたんだよ。それほどちょろかったとは思えない。まだ何か引っかかるんだけどなぁ。


 僕が考え込んでいたらお母さまが締めくくりの言葉を伝え始めた。


「最後の質問が終わったようね。それでは判断を下します」


ーー え、お母様、ちょっとまって。まだ僕はまだ判断できてません!

 あたふたする僕の心中に構うことなく、お母さまは威厳のある声でサルマトリオ男爵へと話しかける。


「サルマトリオ男爵」

「はっ」

 サルマトリオ男爵は阿吽(あうん)の呼吸でその場に(ひざまず)き、お母様の次の言葉を待つ。さきほどの醜態はどこへいってしまったのか、まるで別人のようだけど、これが貴族のお作法というものなのだろう。


「あなたには、神の審判を受けてもらいます」

 お母さまの言葉に困惑顔になるサルマトリオ男爵に対し、広場を囲む修道院の面々は固唾(かたず)をのんで次の言葉を待っている。

 やおら立ち上がったお母さまは、手を天に向け芝居がかった口調で続きを話す。


「我が子、ジャン=ステラは神授の聖剣、セイデンキを持っています。神があなたをお許しになれば何も起きません。しかしお許しにならない場合、神の怒りがその身に降りかかりましょう!」




サボナの位置を確かめるための地図です

挿絵(By みてみん)


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