街道整備は領主いじめなの?
後書きにトリノ近郊図を載せています
1062年9月下旬 イタリア北部 トリノ近郊の修道院 ジャン=ステラ
「ジャン=ステラ、あなたはこちらに座ってね」
城壁内の広場の一辺に長机と二脚のいすが置かれている。一つはお母さまが座っており、もう一つのいすに僕は腰掛けた。
イシドロスの修道院は、古代ローマ時代の遺跡を利用して建てられた。古代ローマ滅亡時の混乱により人口が大幅に減少したため、今になっても少なくない数の城村跡が放棄されたまま残っている。イシドロスはその遺跡を再利用したわけだ。
さほど大きくないこの広場は古代ローマ時代にも使われていた。かつてはローマの重装歩兵が整列し、出征の時を今か今かと待っていたんだろうね。その広場をぐるっと囲むように、お母さまの武装兵たちが並んでいるのだ。場違いだけど、歴史の栄枯盛衰を感じる。
ーー これが観光で訪れたのだったら良かったのになぁ。
これから僕は、サルマトリオ男爵を裁かないといけないのだ。それも懐剣に帯びさせた静電気で…… 気が重くて溜息がでてきそう。
お母さまの後ろには、帯剣した騎士が護衛として並んでいる。広場の中央には武装を解除されたのか、平服姿のサルマトリオ男爵が一人椅子に座っている。そして広場の反対側には、手足を縛られた男が一人、大きな木に括られている。
「お母さま、木の下にいる男は誰ですか?」
「ああ、あれは傭兵の隊長だった男よ。サルマトリオ男爵と一緒にあなたの裁きを受けるのですよ」
あの男は、修道院に戻ってくる途中にお母さまが蹴散らした傭兵部隊を率いていたらしい。どうりで服があちこち破れ、怪我をしているわけだ。
ーー 初陣相手だったけど、僕は馬車の中で転がっていただけだった。だから覚えていなくても仕方ないよね
「僕、傭兵を裁くとは聞いていませんでしたよ」
「ええ、私もあなたに伝えていませんでしたからね」
「お母さま、そんな事を急に言われても僕、どうしたらいいか分かりませんよ」
「大丈夫よ、私に任せておけば大丈夫。あなたは神剣セイデンキを持って、私の言う通りに動いてくれたらいいのよ」
やさしく微笑むお母さま。しかし事前に打ち合せくらいして欲しかったなぁ。はぁ、と溜息がひとつ、僕の口からこぼれ出た。
「そろそろ始めましょうか、サルマトリオ男爵。私たちはあなたの領内で傭兵に襲われました。ジャン=ステラも私もあなたが反旗を翻したと判断しています。それなのになぜノコノコと我々の前に一人現れたのですか。今更許されるともでも思っているのですか」
お母さまの言葉を皮切りに、サルマトリオ男爵との話し合い、いや尋問が始まった。
「いいえ、私は謀反を企てたりなどしておりません。アデライデ様の元へと単身で赴いたのは誤解を解くためなのです。そもそも謀反していたら城に立てこもっているはずではありませんか。
我が一族はこれまでもアデライデ様に誠心誠意お仕えしてきました。我が父のアルマトリダ前男爵はトリノ城に出仕し、長年出納役を務めています。また弟のラウルはジャン=ステラ様の筆頭家臣です。そのような家柄の私が何の理由があって謀反を起こすというのでしょう。アデライデ様、よくよくお考えくださいますよう奏上奉ります」
椅子から降りて片膝をついたサルマトリオ男爵は、胸の前で手を組み、お母さまに無実であると訴えかけた。切々としたその声色は、サルマトリオ男爵が嘘をついているようには思えない。赤心を吐露しているように感じられる。
ただ、その言葉は最初の方こそ謙虚であったものの、最後の方はお母さまを非難するかのような色を帯びていることが、僕には気になった。
そして僕が気づいた事をお母さまが逃すわけもなく、サルマトリオ男爵に対する口調がやや厳しくなる。
「謀反していないのなら、なぜ城に傭兵を集めていたのですか? そしてなぜ我々は傭兵団に襲われたのです。そもそも貴方が誠心誠意、私に仕えてきたというのなら、なぜサルマトリオ男爵領の街道は荒れているのです。私は言いましたよね、行軍を容易にし商品の運搬を円滑にするため街道を整備せよ、と」
「アデライデ様、お言葉ですが行軍を容易にしては、敵の侵入を容易にしてしまうではありませんか。男爵領の領地管理権は私の下にあるのですから、そのような下策に従うことは領主として是認できません。現に、アデライデ様が傭兵団に襲われたのも整備された街道のせいではありませんか。街道が整備されているからこそ傭兵、いや賊が寄ってきてあちこちで悪さをするのです」
「だまらっしゃい!」
反駁されると思っていなかったのか、お母さまの語気が荒くなった。しかし、サルマトリオ男爵も負けてはいない。
「いいえ、まだあります。街道を整備しても儲かるのは商人のみ。われわれ貴族ではありません。むしろ、アデライデ様がトリノとアスティを結ぶ街道を整備したせいで、サルマトリオ領を通る商人は減りました。商人からの上納金が減り、関税収入も減りました」
自分の言葉に酔っているのか、どうせ処刑されるのだと腹を括っていて、言いたいことを全て言ってしまうつもりなのか、サルマトリオ男爵の言葉は止まらない。
「アデライデ様にお伺いしたい。なぜ家臣である我々貴族を圧迫し、平民に過ぎない商人を優遇するのでしょう」
お母さまが尋問するはずだったのに、なぜかサルマトリオ男爵に糾弾されるような雰囲気になってしまっている。これがお母さまのシナリオ通りだったらいいのだけど……
ハラハラしつつお母さまの方をみると、全身をわなわなと震わして怒っている。一方のサルマトリオ男爵は跪きながらも、堂々と構えている。
ーー ふぅ。お母さまのシナリオ通りとは到底思えないよねぇ。
サルマトリオ男爵の方が一枚上手だったのだろう。
困ったなぁ。ここまでお母さまの煽り耐性が低かったとは思ってもみなかったよ。目下の者から面と向かって自分の意見を否定されたことがなかったんだろうね。だって基本お姫様だもの。
貴族階級に属する騎士達の中にはサルマトリオ男爵に賛同するものも多いみたい。無言で頷いている者が見られる。そして、広場を取り囲む兵士たちはお母さまの次の言葉を今か今かと興味津々に待っている。
お母さまの言葉次第で、彼らの忠誠が揺るぎかねない。サルマトリオ男爵に賛同するものが反旗を翻すかもしれない。トスカーナ辺境伯へと庇護を求める可能性だってある。今後のトリノ辺境伯領の統治にも関わる大問題だと、お母さまも認識はしているのか、次の言葉がすぐにでて来ない。
広場はしーんと静まり返り、全員の視線がお母さまへと集中する。
「そ、そ、それが謀反人の言葉ですか! いいでしょう。我が統治を理解しない家臣なぞ 『お母さま!』」
トリノ辺境伯の街道整備図
前世の知識は預言なのをご愛読いただきありがとうございます。
主人公のジャン=ステラちゃんはトリノから地中海にあるアルベンガ離宮へと歩みを進めています。といっても、サルマトリオ男爵に阻まれて未だトリノ近郊にとどまっているのですが……
トリノ、修道院、サルマトリオ男爵のお城、そして目的地であるアルベンガ離宮の地図を掲載します。地図には、後ほどサルマトリオ男爵との対話で出てくる地名、及びモンフェッラート侯爵領も記載しています。
今後もジャン=ステラちゃんとアデライデお母さまをよろしくお願いいたします。
(ヒロインのはずのマティルデお姉ちゃんの出番はどこ?)
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ジ:ジャン=ステラ
ア:アデライデ
ジ: マティルデお姉ちゃ~ん
ア: 急に叫んだりしてどうしたの?
ジ: だって、ずっと会えなくて寂しいんだもん
ア: そうよね。マティルデ様、今頃どうしているかしらね
ジ: カノッサのお城に軟禁されているみたい
ア: どうして知ってるの?
ジ: だって手紙をもらってるもの
ア: よくもまぁ監視の目を抜けられるものね
ジ: 結構ざるなんだって
ア: あら、そうなの? 意外ね
ジ: お父さんの代からの直臣はお姉ちゃんの味方だからね