神剣の裁きを乞う
1062年9月下旬 イタリア北部 トリノ近郊の修道院 ジャン=ステラ
謀反の嫌疑がかかっているサルマトリオ男爵をどうするか。
僕の結論は、ひとまず本人から話を聞いてみる、だった。
「お母さまはまだ、サルマトリオ男爵から話を聞いていませんよね」
「ええ。使者の役を果たして戻ってきたラウルから話を聞いただけよ」
やはりそうでしたか。サルマトリオ男爵は城門の外に待機させられているので、お母さまが直接話を聞いている訳がないよね。
ということは、お母さま。本人から話を聞いてもいないのに殺しちゃうつもりだったの?
「お母さまは直接聞いていないのに、サルマトリオ男爵を処刑するつもりだったのですか?」
「そうよ。どうせ直接話を聞いたところで、腹が立つような言い訳が並べられるだけかもしれないじゃない。それは時間の無駄じゃないかしら」
お母さまはさも不思議そうに小首を傾げ、時間の無駄だと僕に問いかけてくる。
「本人から直接話も聞かずに処刑してしまっては、恨みを買ってしまいませんか?」
「ジャン=ステラって不思議なことを言うのね。恨みを買うもなにも本人が死んでしまったら何もできないでしょ? 恨みなどと考えたこともなかったわ」
驚きを表情に浮かべるお母さまは、本当に恨みを買うことなぞ眼中なかったみたい。
ーー そんなお母さまが僕には驚きだよ。
「恨みを買うのって、本人だけではないでしょう? サルマトリオ一族全員から恨まれてしまうではありませんか」
「あら、ジャン=ステラはそんなことを懸念していたの? サルマトリオ男爵には息子がいたはずよ。で息子が後を継ぐことを認めれば、恨みを買うことはないわよ。疑われるような行いをする方が悪いのだもの。後継ぎを認めることを感謝してほしいものですよ」
お母さまは僕の言葉に少し驚いた後、首をふって僕の懸念が杞憂だと否定した。
それどころか、サルマトリオ一族は感謝すべきだなんて……
貴族の場合、家の存続の方が、個々人の命よりもはるかに重要という事なのだろうか。
時代も場所も違うけど、日本の戦国時代や江戸時代の大名家みたいに、お家第一なのかもしれない。
そう考えれば、僕もちょっと理解できる。
もし自分の身に降り掛かったとしたら、納得できないけどね。
そんなことを考えていたからか、まだ僕がサルマトリオ一族からの恨みを危惧していると思ったらしく、お母さまは僕の考えに寄り添おうと考えを巡らせてくれた。ただしありがたくない方向にだけど。
「でもそうねぇ。逆恨みされるかもしれないというジャン=ステラの懸念も理解できるわねぇ。
いっそ族滅してしまえ、というのがジャン=ステラの意見なのかしら?」
族滅の場合、サルマトリオ男爵の実弟であるラウルや、僕の乳母だったミーアや乳兄弟のエルモも処刑することになる。
さらにトリノ城で出納役を勤めている前サルマトリオ男爵のアルマトリダも処刑しないといけない。
そんな物騒な言葉がお母さまの口から紡ぎ出されていく。
それを僕は現実感なく聞いていた、まるで頭が理解を拒否しているみたいだった。
「他に、サルマトリオ一族に連なる者はだれがいたかしら?」
もう耐えられないと、ようやく頭が回り始めた。
ーー このままいくと、大量殺戮になっちゃう!
あらん限りの大声でお母さまの主張を否定する。
「お母さま。ちょっと待ってください! 一族を全員処刑しろなどと僕は主張していません!
むしろ逆です、逆! 謀反をしていないのなら、サルマトリオ男爵を処刑したくないって思っているのです」
「あらあら。そうねぇ。一族を滅ぼしてしまったら領地運営が滞ってしまいますもの。ジャン=ステラの主張が皆殺しでなくて、私もよかったわ」
お母がほっと胸を撫で下ろすのを僕の目は捉えている。
そうじゃない、僕と考えが全然ちがう。
観点が全く違う。領地運営のことなんて僕は考えていない。
転生して8年たってもまだまだ心は現代人のままなのだ。
大量虐殺の当事者になど僕はなりたくない。 そんなことしたら僕の心は潰れちゃう。
罪刑法定主義はどこいったー! 一族連座制って一体いつの時代よって叫びたい。
「一族皆殺しとか、処刑とかはひとまず置いておき、まずはサルマトリオ男爵から話を聞きましょうよ。ね、お母さま」
「うーん、あまり気乗りしませんが、ジャン=ステラがそう主張するのならいいわよ。しかし話を聞くだけですからね」
お母さまが僕の考えにしぶしぶながら同意してくれた。しかし何かおかしい。お母さまは話を聞くだけって言っている。
「お母さま、話を聞くだけってどういう意味ですか?」
「あら、解らなかったかしら。さきほども言いましたけど、話を聞いても時間の無駄だからよ」
お母さまの思考がさっぱりわからない。
話をした結果、サルマトリオ男爵が謀反したという報告は間違いだった事がわかるかもしれない。
それなのに、話すことが時間の無駄とはどういう事なのだろう。
「どうして時間の無駄なのですか? サルマトリオ男爵と話した結果、謀反してなかった事がわかるかもしれませんよね」
お母さまが一瞬だけ呆れたような顔をした後、僕の事を諭すように理由を教えてくれた。
「そうでしたわね、ジャン=ステラはまだ小さかったのを忘れていましたわ。普段の言葉遣いや摂政見習いとして統治に活躍してもらっていましたが、まだ8歳ですもの。分らなくても当然ですわね」
その言葉に僕は自分の体を見る。お母さまのいう通り、確かに小さい。しかし前世の年齢を加えたら29+8=37才になる。42才のお母さまよりは年下になるけど、それほどの違いはないはず。
その不満が小さく口から出る。
「たしかにまだ体は小さいですけど……」
お母さまは気にせず、理由を説明し始めた。
「いいこと、ジャン=ステラ。わざわざ修道院まで駆けつけたサルマトリオ男爵が『私は謀反を企てました』などと言うわけないでしょう? 謀反だったとしても否認するに決まってます。
そして謀反していなかったとしても同じ事を言うはず。『私は謀反していません』とね。あなたはどうやって違いを見分けるの?」
「そ、それは……」
口調や顔色を見たり、話の辻褄に注意すれば嘘をついているのか、本当の事を言っているのか区別がつく。お母さまにそう主張したい。しかし前世でも他人に甘いと言われてきた僕なので、弁の立つ者の嘘を見破れるとは思えない。
そして、サルマトリオ男爵にしてみれば、自分の弁舌一つに己の命がかかっているのだ。必死に話をするに違いない。釈明のためこの場に現れるくらいなのだから、自分を弁護する勝算があるのだろう。
そう考えると、僕は自信がなくなってきた。
俯き加減になり、いつしか視線がおかあさまの顔から机の上に移動していた。
すこし時間を置いた後、お母さまが一つ息を吐き出す音が聞こえた。
「ふぅ。ジャン=ステラ、やはり話を聞くのは無しにし、処刑することにしませんか?」
お母さまの言葉に僕は我に返った。
今ここで僕が頷けばサルマトリオ男爵は有無を言わさず処刑されてしまう。
しかし、お母さまでさえ十中八九は謀反していないと判断しているのだ。中世ヨーロッパの価値観では処刑が当然だとしても、やはり僕は納得できない。甘いとは分っていても、疑いだけで罰する気にはなれないのだ。
ではどうする?会って話をしても無駄かもしれない。
お母さまは言及していないが、ここで甘さを見せたらトリノ辺境伯家が舐められてしまい、より大きな災厄に見舞われるかもしれない。反乱が連発したり、外敵を誘因する原因になりかねないのだ。理不尽であろうと、舐められるより恐れられた方が安全なのは間違いない。
心が折れかけた僕に助け舟を出してくれたのは、同席していたイシドロスであった。
「ジャン=ステラ様、アデライデ様。 嘘か誠か見分けがつかないのであれば、いっそ神に審判を委ねてはいかがでしょうか」
「神の審判ですか? そもそもどうやって神の裁きを受けるのでしょう」
イシドロスの突拍子もない提案に、お母さまがイシドロスに続きを促す。
「ジャン=ステラ様は神剣をお持ちだと、昨晩伺いました。 私どもが贈りました懐剣に神の怒りを宿された旨、修道院の者すべてが知る所となっております。ここはどうでしょう。その懐剣、セイデンキに裁きを委ねてはいかがでしょうか」
そんな無茶な! 静電気がパチッとでるだけの懐剣では、うそ発見器の代わりになりはしない。そんな代物でどうやって嘘を見分けろというのか。開いた口が塞がらないとはこの事か、とばかりに口があんぐりと大きく開く。
それなのにお母さまは軽やかに賛同の意を示すのだ。
「あら、それはいいアイデアね」
「そんな無茶な!? お母さまもご存じでしょう? あの剣は静電気をバチッと飛ばすだけで……」
「はい、そこまでにしなさい、ジャン=ステラ」
……神の怒りとは全く関係がないと、お伝えしましたよね
そう言い募ろうとした僕の言葉をお母さまがそっと押し止める。
「あなたが何を言いたいのか分かりますよ。ですが今ここで話すことではありません。サルマトリオ男爵の真偽を推し量ることは難しいのですから、いっその事、セイデンキにお任せしようではありませんか。もちろん工夫は必要ですけどね」
お母さまがにんまりと満足げな笑みを浮かべている。いたずらを思いついた子供みたい。
「さて、方針も決まりましたし舞台を整えましょうか。イシドロス様、手伝ってくださいね」
「はい、もちろんでございます、アデライデ様」
お母さまが決定してしまった事により、成り行きは僕の手から離れてしまった。それでもサルマトリオ男爵から話を聞く事になったので、ひとまずは良い方向に傾いたと喜んでおく事にしよう。
セイデンキ? なにそれ?
もう僕、しーらないっと。




