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修道女の歓声の裏

 1062年9月下旬 イタリア北部 トリノ近郊の修道院 ジャン=ステラ


 傭兵の歩兵部隊を撃破し、イシドロスの騎馬隊と合流した後、お母様と僕を乗せた馬車はイシドロス達の修道院に戻った。

 今朝出発した場所に戻ってくるのは、何だか不思議な感じがする。


「次にお会いできるのはいつになりますか」

「当修道院を再び訪れる日を心待ちにしています」

 などと言われ、名残惜しまれながら修道院を去った記憶が鮮明に残っている。


 なんだかちょっと申し訳ないような、ちょっと恥ずかしいような。

 そんな感情が湧いていたのは、修道院を囲む城門をくぐるまでのことだった。


 お母様と僕が乗る馬車が城門を入った途端、大きな歓声があがった。

「「ジャン=ステラ様、万歳! アデライデ様、万歳!」」


 ああ、戻ってきても良かったんだなって、感じられた。


 ーー みんな、歓迎してくれてありがとう



 ようやく安全な場所に戻ってきたのだとホッとした途端、僕の両目から涙がこぼれ落ちてきた。


「あら、ジャン=ステラどうしたの?」

「あ、あれ?」

 手で涙を拭った。でも拭っても拭っても止まってくれない。


「あらあら、初めての戦争でしたもの。怖かったのね。こっちにいらっしゃい」

 お母様が僕をぎゅっと抱きしめて、あたまを「いいこいいこ」と撫でてくれた。


 僕の初陣は馬車の中にいただけだった。

 それも、馬車の急発進、急停止と旋回に身を任せたまま、壁にぶつかり、床を転げてまわっていただけ。それでもやっぱり怖かったんだ、と今になって気がついた。


「お母様、僕怖かった」

「ええ、そうね」

「馬車に一人で怖かったの」

「一人にしちゃってごめんね」

 お母様が僕を抱きしめる力が強くなった。


「私も初めての戦争に出向いた時は怖くて怖くて、体がぶるぶる震えたものよ」

「お母様も初めては怖かったの?」

「ええ、もちろん。それに初めての時だけじゃないわよ。戦争はいつだって怖いものよ」


 お母様は、じっと僕の目を覗き込みながら教えてくた。

 一方的に傭兵の歩兵部隊を打ち破った今回の戦争でも怖くて手の震えが止まらなかった、と。


 ーー え、そうなの? そうだったの? 本当に?


 馬上で凛とした姿をうっとり眺めていた僕にとって、お母様は何者にも屈しない、ものすごく強い英雄やヒーローのようなイメージを持っていた。

 そのため手が震えていたと言われても、(にわ)かに信じる事ができないほど意外な事だった。


「じゃあ、お母様はどうして泣かずにいられるの? 逃げ出したくならない?」


「もちろん逃げだしたいわ。でもね、ジャン=ステラ。

 戦争も怖いけど、愛する人を失う方がもっと怖いもの。

 あなたがいない世界を想像するだけで、気を失ってしまいそうになるわ。

 そう考えたら、戦争の怖さなんてちっぽけなものなのよ」


 ーー 守るものがある人ほど強くなれる、って事なのかな


「お母さまは僕のことが好きってこと?」

「ええ、もちろん。愛しているわ。 だってこんなに可愛いほっぺをしているんだもの」

 そう言いながら、お母さまは僕のほっぺをぷにぷに突っついてくる。


「きっと将来あなたにも自分よりも大切な人ができるわ。その時になったら自然とわかる事よ」

「それって、僕の子供って事?」

「そう。それも一つの答えね。

 あなたに子供ができたらとっても可愛いでしょうし、早く孫の姿を見てみたいわ。

 でも、それだけじゃないのよ」


 お母さまは歓声に耳を傾けるよう、僕を促す。


「「ジャン=ステラ様、万歳! アデライデ様、万歳!」」


 城門をくぐってからずっと続いている、お母さまと僕を出迎えるための甲高い歓声。


「今、歓声を挙げている修道女たちにとって、あなたはかけがえのない存在。

 だから、あなたの無事に涙を流して喜んでいるのよ」


 馬車の窓から外を見てみると、修道女たちが涙を流しながら歓喜の声を上げている。


「ごらんなさい、ジャン=ステラ。彼女たちは、預言者であるあなたに自分の人生を賭けてトリノの地に移住してきたの。

 あなたという存在は、彼女ら自身よりも大切なものなのよ」


 声をだしているのは全て修道女。男性である修道士がいないのは、全て僕の救援に駆けつけてくれたから。そうイシドロスから聞いている。


 そして修道士不在の城壁を守っていたのは、不慣れながらも武器を持った修道女たち。

 確かに、道端の修道女達は弩だったり槍や剣だったりを手に持っているのだ。


 一時的とはいえ、女性だけで城壁を固めるのは不安だったと思う。

 それでも覚悟を決めて守備についていたのは、彼女らにとって僕が失うことのできない大切な存在なのだ。

 そう、お母さまは僕を(さと)すように教えてくれた。



 救援に駆けつけてくれたイシドロスをはじめとする修道士たち。

 帰ってくる場所を確保するため武器を手に取ったユートキアを筆頭とする修道女たち。


 僕の事を守ってくれる彼ら、彼女らに改めて感謝の念を僕は抱いた。

 ーー ありがとう。お母さまと僕を守ってくれて本当にありがとう


 しかし感謝と一緒に、気がかりな事も同時に浮かんでくる。


 ーー 僕はどうやってこの厚情に報いればいいのかな


 僕の事を、自分達自身よりも重要視してくれるのは、とっても嬉しいよ。

 でも、恩義を受けたからには、それを返さないといけないって思う。


 恩を貰いっぱなしでは、心が落ち着かないのだ。

 これはきっと前世での教育の賜物(たまもの)でもあるのだろう。


「お母さま、僕の事を大切に思ってくれる人たちに、ぼくは何をすればいいのかな?」

「何って、どういう事かしら」

「今回、僕たちは修道院のみんなに助けてもらったでしょう。だから何か恩を返すべきだと思うのです」


 そういうと、お母さまは不思議そうな顔を僕に向けてきた。


「なぜあなたが恩を返さないといけないの? そもそも恩ってなんですか?

 彼らにとってあなたを守る事は、宗教的な使命に基づく義務とも言えるわ。


 だから彼らに感謝するのは分かるけど、恩に感じる必要なんてないのですよ。


 そうねぇ。()いて言えば貴族であるイシドロスとユートキアにはあなたから直接声をかけてあげるといいと思うわ」


 ーー え、義務?  恩義じゃない? 

 僕が理解できずにいる事に気づいたお母さまは言葉を継いできた。


「もちろん、救援に駆けつけた事に関する恩賞はだすわよ。それはトリノ伯である私から出すものであって、あなたが負担するものではないわ。それは分かりますか?」


 ーー あ。恩賞か。そちらの方は考えに浮かんでなかった。

 直接感謝を表すためにお金を使うのは間違っていない、と思う。


「ちょっと忘れていましたけど、褒美(ほうび)を出すことには賛成します。というか働きには報いる必要がありますよね」


「ええ、ジャン=ステラ。だから恩なんて感じる必要はないのよ。

 彼らはあなたに仕える事自体を、あなたからの恩寵(おんちょう)だと感じているのですから」


 褒美を与えれば、恩を感じる必要はないの?

 それって本当なの?


 というか、僕に仕えることが恩寵って……


「俺に仕えさせてやるのだ。感謝せよ、わーはっはっは~」

 背もたれの大きな椅子にふんぞり返って、大声で笑う悪の親玉が脳裏に再生される。


 それってあかん奴なのでは。いつか転生してきた勇者に成敗されちゃわないかしら、僕。


 でも、それが貴族と平民の関係だといえば、そうなのかな。

「平民を生かしておくこと自体が貴族の恩寵なのだ」

 とか素で主張していそう。


 平民じゃなくて、貴族に転生できて良かったと思う一方、家畜並みの扱いをされる平民をもっと幸せにできないのかな、って思ってしまった。

次回は明るい話になるといいな~



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― 新着の感想 ―
[一言] キリスト教で「恩」に関して考えるようになったのは、宣教師が日本でコテンパンに論破された後だからね。 神によって与えられた縁を神の愛で繋ぎ太くするために必要な行為。だったかな。
[一言] いつも面白いです。 こちらもck3の世界感を追体験しているかのような感覚で読ませていただいております。 いつか来たる十字軍イベントでジャン君はどの様な立ち位置になるのかを想像するとニヤけが止…
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