謀反?
1062年9月下旬 イタリア北部 サルマトリオ男爵領 ジャン=ステラ
「伝令、アデライデ様へ至急!」
今日の目的地、サルマトリオ男爵の居城まで30分の所で僕たちは小休止していた。
侍女に準備してもらった白湯を飲んでいたお母さまと僕の耳に、伝令の叫び声が聞こえてくる。
お母さまと僕のいる馬車を中心に矢避けの幕を張った本陣前がにわかに騒がしくなった。
「お母さま、なにごとでしょう?」
「さあ。しかし、あまり良い知らせではなさそうですね」
僕と顔を見合わせた後、お母さまは伝令を本陣へと迎え入れるよう指示を出した。
「本陣に入れてちょうだい」
「伝令、入れ!」
本陣の入口を守っていた護衛騎士が、伝令を中へと迎え入れる。
中に入ってきたのは、先触れとしてサルマトリオ男爵の元に送った使者の従騎士だった。
大慌てで戻ってきたのだろうか、顔には大粒の汗が流れている。
使者ではなく、家来である従騎士だけが戻ってきたのだ。大事が発生したに違いない。本陣内を緊張が走る。そして、お母さまが簡潔に報告を促す。
「報告!」
「は、我が主からの伝令をご報告します」
お母さまの前に跪いた従騎士が早口で鋭く言葉を放つ。
「サルマトリオ男爵様、軍を動員中。城内に兵を集めています。兵士数おおよそ100。
我が主は使者の任をそのまま継続。ご判断を頂きたく」
無音のざわめき。そして皆がお母さまの方を仰ぎ見る。
「ご苦労!」
「はっ」
「質問があります。意見を述べよ」
「何なりと」
「謀反なりや?」
「我が主は可能性あり、注意されたし、と」
短い口調も、厳めしい表情もいつものお母さまとは別人みたいだ。
近くにいても怖い。
しばし考えるお母さま。周りの目線を遮るよう、目を閉じている。
それを見ているだけの僕。
一呼吸、二呼吸。
短いはずの時間がとても長く感じられる。
もう一呼吸。
決断したようだ。毅然とした声のお母さまは伝令を下がらせた。
「ご苦労。下がってよし」
「は、御前失礼します」
「彼の者に水と褒美を与えよ」
伝令が本陣を出ていく間に、お母さまは僕に話しかけてきた。
「ねえ、ジャン=ステラ」
「は、アデライデさま!」
「なんですか、おかしな言い方ですね。『お母さま』って呼んでくれていいのよ」
くすくす笑うお母さまを見ると、普段の穏やかな顔に戻っていた。
「いえ、なんとなく畏まらないとだめなのかなって」
「まぁ、ジャン=ステラったら」
お互いに目線を交わしながら笑いあった。
こわばっていた僕の顔も、きっとぷにぷにほっぺに戻ってる。
ーーそれにしても、お母さますごいなぁ。
若かりし頃「トリノ辺境伯家の姫騎士」と呼ばれていたのは伊達でも酔狂でもなかったのだと僕は改めて理解した。
「なんですか、ジャン=ステラ。私の顔に何かついていますか?」
「いいえ、何でもありません。それよりも何か僕に言いたかったのではありませんか」
「ええ、そうでしたね。ラウルを貸してもらえるかしら」
ラウルというのは僕の筆頭家臣であり、謀反したかもしれないサルマトリオ男爵の弟にあたる。お母さまは何かの役割をラウルに割り振るつもりなのだろう。
「ええ、もちろんです。好きに使ってください」
「ありがとう。では、ラウルこちらに来なさい」
一転して厳しい口調に戻ったお母さまが、ラウルを側へと呼び寄せた。
「は、御用を承ります」
「伝令とのやり取りは聞いていましたね。あなたには今から使者としてサルマトリオ男爵の元に向かってもらいます。用件は……そうですね」
ちょっと左上を向いて考えてる凛々しいお母さま。
一拍の後、ニコッと笑顔になり、ラウルへの命令を続けた。
「困ったことに、私とジャン=ステラが乗った馬車が壊れてしまったの。車輪の車軸が折れてしまったのよ。これでは旅を続けられないわ。新たな馬車の手配か、修理のできる大工を寄越すよう、男爵にお願いしてきてください」
「馬車か大工、ですか?」
ラウルは困惑しているみたい。眉間にしわがよっていた。
そうだよね、馬車は壊れていないもの。どういう事なのか僕も分からない。
一方のお母さまは頬に左手をあて、芝居がかった様子で理由を説明する。
「ええ、小休止を終えて出発したとたん、馬車が壊れてしまったのよ。
ラウルはジャン=ステラが馬に乗れない事をしっているでしょう?
このままでは今日中にサルマトリオ男爵のお城まで着けそうにないの。
困ってしまったわ。
ですから馬車か大工を寄越すよう、伝えてきてくださいな」
ラウルは納得したみたい。普段通り、張りのある声に戻っていた。
「なるほど、承知いたしました。時間を稼いで参ります」
ラウルの返答で、僕もようやく理解した。
本当に謀反を起こしたのか、それとも別の理由で兵を集めたのか、調べる時間は必要だものね。
「ええ、お願いするわ」
微笑んだお母さまは、そのままラウルに世間話を装って問いかける。
「ラウル、あなたの長男ファビオはたしか、騎士見習いをしていましたね。ここにいますか?」
「はい、私に帯同しております」
「いくつになったのかしら」
「今、12歳でございます」
「そう。じゃあ兵を率いても問題ないわね」
「高く評価いただきありがとうございます」
真剣なまなざしに戻ったお母さまがラウルに告げる。
「では、ラウルに命じます。男爵領にはあなたと従騎士の2人で行きなさい。
残ったラウル直属の兵士はファビオに率いさせなさい
わかるわね、今は一兵でも貴重なの」