神の怒りを纏いし剣、その名は静電気
1062年9月下旬 イタリア北部 トリノ近郊 ジャン=ステラ
イタリアの秋は雷の季節。
トリノを出発した昨日は遠くの空に黒い雲が見え、遠雷が鳴り響いていた。
しかし今日は一転して晴れ模様。
旅行日和なのはいいけど、空気が乾燥していてお肌に悪そう。
「ジャン=ステラ様、アデライデ様。道中のご無事をお祈り申し上げます」
「ありがとう、イシドロス。これからもお商売がんばってね」
イシドロスのが怪訝な顔になる。頭の上に?マークが乗っているみたい。
「お商売、ですか?」
「蒸留酒がたくさん売れるといいね」
「いえ、我らは聖職者なのですが......」
僕は吹き出しそうになった。
「もちろん分っているよ。でもあまりワインを買い占めないようにしてね」
蒸留酒の原料になるワインは、庶民にとっての飲料水代わりでもある。
ワイン中のアルコールが有害微生物の増殖を防ぐから、保存可能な飲み物として大切に扱われている。
イシドロス達がワインを買い過ぎないように、一応釘をさしておかないとね。
「そうそう、この懐剣ありがとうね。道中のお守り代わりに身に着けておくね」
修道院の刀鍛冶が僕のために打ってくれた子供用の片刃短剣を指さし、感謝を述べる。
まだ8歳の僕には、短剣でも長すぎる。それを聞き及んだイシドロスが献上してくれた品。
羊皮紙をすぅーっと切れるくらいに切れ味の良い逸品だった。
「ご愛用いただけたら鍛冶師も喜びましょう」
「気に入ったって伝えておいてね」
他愛のない話が途切れるのを見計らっていたお母さまが僕に声をかけてきた。
「さあさ、ジャン=ステラ。そろそろ出発しましょうか。馬車に乗りますよ」
次の目的地はサルマトリオ男爵領。僕の筆頭家臣ラウルの実家である。
修道院から約3時間、歩兵の速度にあわせてゆっくり進む馬車に揺られる旅である。
その間、お母さまと僕は馬車でちょっと刺激的な新しい遊びに興じていた。
「バチッ」という鋭い音と、それに続く2人の笑い声。
その遊びが始まったきっかけはささいな事。
イシドロスにもらった懐剣で羊毛クッションのムダ毛を切って遊んでいたら、ぱちって可愛い静電気が起きたのだ。
ーー懐かしいなぁ。
前世では冬、自動車のドアを触ったときに「バチッ!」とする静電気に悩まされたものだった。
イタリアだと夏でも静電気が起きるんだね、と自分でもよくわからない事に感心しつつ、もっと強い静電気が起きないかな、と挑戦する。
鞘から刀身を出し、羊毛クッションでひたすらこする。
お母さまに「危ないですよ」と注意された。
ゆっくりとはいえ、揺れる馬車内でする事じゃないよね。
でも、面白そうなんだもの。
「お願い。もうちょっとだけ」と懇願する。
こする。こする。
これでもかと擦ってみる。
そして、指をそっと懐剣に近づける。
「バチッ」
「きゃっ」
静電気の鋭い音が馬車内に鳴り響き、びっくりしたお母さまの小さい悲鳴がそれに続く。
実験大成功!
にんまり笑う僕に気づき、お母さまが咎める。
「一体何事ですか?」
「ごめんなさい、懐剣で遊んでいたのです」
「ジャン=ステラの新しい遊び?」
遊びという言葉がお母さまの好奇心をそそったみたい。
これまでも、じゃんけんやまるばつゲーム、しりとりとかで遊んできたのが役立ったかな。
そういえば、ギリシア土産で紙鉄砲を作ったりもした。
「ぱーん!」て大きな音を聞いた護衛騎士が大挙して駆けつけたから、その後しこたま怒られたっけ。
紙鉄砲にくらべたら、「バチッ」って音はとても小さい。
だからお母さまも許してくれたのだろう。
「じゃあ、もう一度やってみますね」
興味津々なお母さまを前に、刀身を羊毛で擦りつづける。
そして指を近づけると......
「ぱちっ」
「きゃっ」
今回はちょっと音が小さかった。
お母さまの声も小さかった。
よかった、今回は笑ってる。
お母さま、そして馬車に同乗している侍女の指にも「ぱちっ」っと静電気を飛ばして遊ぶのに疲れてきた頃、お母さまが尋ねてきた。
「ところでこのバチッていうのは何なのですか?」
「静電気、っていっても分からないですよね」
「静電気? 聞いた事ないわね」
ーーうーん。お母さまにどう説明したらいいのかな。
刀身にたまった電子が僕の指先に一気に流れ込んだ音、だなんて説明しても分かってもらえそうにない。
分って貰えるとしたら雷かなぁ。昨日も遠くで鳴っていたしね。
「小さい雷を刀に閉じ込めてみたの」
「雷って空でぴかぴかごろごろする、あの雷ですか」
「そうですよ。パチッの音は小さいゴロゴロなんですよ」
僕は頷くと、お母さまの口から 「ヒュッ」 と息を飲む音が聞こえてきた。
どうやら驚愕に顔を引きつらせているみたい。
ーー僕、何か変な事を言ったかな
また不思議な事をいって驚かせちゃったのだろう。
なんか慣れっこになっちゃったよ。
今回は何が原因かな?
って暢気に首をひねって考えていたら、
「ドタッ」
って何かが倒れる音がした。
振り向くとお母さまの侍女が気絶していた。
「ありゃ? なんで?」
「あ、ありゃでも、 な、なんででもあ、ありませんよ」
お母さまが震える声で僕を嗜めてきた。
「でも、さっきまで一緒にパチッて一緒に遊んでいたじゃないですかぁ」
ちょっと不貞腐れながら、お母さまに口ごたえする。
「そのパチッが原因なんですよ。おわかり?」
「ん-。雷が怖すぎて、小さなゴロゴロってだけで気絶しちゃった?」
雷がなったら、毛布の中に隠れるとかならわかる。
だけど、気絶しちゃうってよっぽ雷に嫌な思い出でもあるのかな。
もしかして、おへそ盗られた?ってそれはないよね。ここヨーロッパだもん。
分かったような、分からないような。
そんな気持ちがバレていたのか、お母さまが溜息をついた。
「はぁぁ。ジャン=ステラ、あなたは雷が何か知らないのですか?」
「放電現象じゃないんですか?」
「ホウデンゲンショウ? 意味がわからないわ。
それはともかく、雷って神の怒りの表れなの。
昨日は遠くで雷がなっていたわよね」
僕が小さくうなずくと、お母さまは話を続けた。
「あれは、遠くで神の怒りに触れた人が罰を下された光と音なのよ」
「な、なんですとー」
驚きで素っ頓狂な声を上げる僕を、胡乱気な目で見据えるお母さま。
「その様子だと、本当に知らなかったようね」
お母さまがまた溜息をつく。
それを見た僕も溜息を一つ。
はぁ……
そういえば日本でも雷の語源は「神鳴り」だったね。
「じゃあ、侍女が気絶したのはパチッで神の罰を受けたと思ったからなの?」
「ええ、そうよ」
居住まいを正したお母さまが、すこし震える声で信じられない事を口にした。
「ジャン=ステラ、預言者のあなたが神の代行者として彼女に罰を与えたのよ」
「えええーーー」
馬車の外まで響き渡ったんじゃないかな、僕の叫び声。
慌てて僕は言い募る。
「ちょ、ちょ、ちょっとまってください、お母しゃま。
僕が神罰を与えられるわけないでしょ?
それはお母さまも知っていますよね」
「ええ、私もそう思っているわ。そう思いたいわ。そう信じたいのよ。
だけどあなたは、刀身に神の怒りを纏わせたでしょう。
も、もうそれは神の怒りの代行者じゃない......」
最後の方はお母さまの声が掠れていた。
「私も神の罰を受けてしまったのね......」
とか小さな声で呟いている。
お母さまも泣きそうだけど、ぼくも泣きそう。
その後、長々とお母さまとお話をして、静電気が神の怒りではない事を納得してもらった。
正確には違う、かな。
静電気は神の怒りじゃなく、僕の喜びって事になった。
一所懸命説明していたら、そうなった。
静電気がパチッってしたら、みんなで笑う。
だから、僕の喜び。
まぁ、いいや。
だけど、翌日の朝には、僕が神の怒りを剣に纏わせたと噂になっていた。
噂の元はお母さまの侍女。
神の喜びから神の憤怒まで自在に操れるのだとか。
口が軽すぎじゃないか、って文句を言ったよ。
そうしたら、お母さまが積極的に噂として流すよう指示してました。
「預言者の箔付けとして、いい逸話だと思いませんか」
だってさ。
そして、僕の懐剣に銘がついていた。
神の怒りを纏いし剣、その名はセイデンキ