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イルデブラント、その鬱屈からの解放(前)

 1057年9月上旬 イタリア北部 トリノ郊外 イルデブラント


「馬に乗るだけで、見える景色は違うものだな」

「そうでございますね、イルデブラント様」


 騎乗するといつも思う。

 目線が少し高くなると、いつもより少しだけ遠くまで見渡せる。

 ほんの少しの変わるだけで、人も風景も違ったものに見える。


 今朝トリノを出発した私は、従者と他愛のない会話を交わしつつ、アルプス山脈に向かって進んでいる。



(いや、景色が違って見えるのは、心の持ちようが変わったからかもしれないな)


 聖職者になったとき、助祭に就任したとき。

 そして教皇の側近に取り立てられたとき。

 目に映る人も風景も、それ以前とは違って見えた事を覚えている。


(トリノにて私は、もう一つ高みへと(のぼ)ったのだろうか)


 数日前、教皇からの使命、そしてトスカーナ女辺境伯のお土産を携えてトリノを訪れた時、私の目は濁っていたのかもしれない。


 いや、ジャン=ステラ様の噂を耳にしたときには既に濁っていたのだと思う。


 ◇    ◆    ◇


 トリノ辺境伯家に預言者が誕生したとの噂を聞いたのはもう3年前になる。


 その年、1054年には、西方教会の使者が東方教会の総主教ミハイル1世を破門した事で、ローマとコンスタンチノープルの仲は険悪なものとなっていた。


 そのような中、ギリシアからイタリアへと訪れた一団がいたのだ。

 一団を率いる者の名前はイシドロス・ハルキディキ。

 東方教会で最も重要な聖地であるアトス山。

 その中でも第一の修道院として名高いメギスティ・ラヴラ修道院の司教として名を知られた存在であった。


 東方教会から教皇庁へ使者として十分な格を備えた人物である。

 そのため、我々は東方教会から西方教会への使者だと疑っていなかった。

 相互破門を行ったことの釈明をしに訪れたのだろう、と。


 しかしながら、イシドロス司教はローマの教皇庁ではなく、トリノへと訪れていたのだ。


 なにゆえトリノを訪れたのかと、我々は訝しんだ。

 ローマよりも優先すべき事由がトリノにあるのだろうかと、我々は調査を行った。


 すると、ほどなくして、まことしやかな流説を聞きつけたのだ。


「預言者の生誕を告げるベツレヘムの星が現れた」

「新しい東方の三賢者が預言者を見つけた」

「預言者は、トリノ辺境伯の四男坊」


 これらは噂でしかなく、当然にして真偽の程は定かではない。

 しかし預言者ともなると、このまま放置しておくわけにはかない。


 さらに東方教会だけが関与しているのも、ローマ教皇庁としても面白くない。

 では、どうするか。


 一番簡単なのは、赤子であろうと召喚し、教会で育てるというもの。

 預言者であればよし。違えばそのまま闇に葬り去ればよいだけ。


 預言者候補が、平民であればこれでいい。

 しかし、相手が悪かった。

 神聖ローマ帝国の大諸侯、トリノ辺境伯の子供を噂話だけで召喚することはできない。

 無理に召喚すれば、戦争は避けられない。



 仕方なくトリノで噂を収集するに留めておくうちに、2年の歳月が経っていた。

 その間に集めることができた噂は、たった一つ。


「二歳にして大人のように話ができる」


 トリノ辺境伯家は上手に情報を統制しているようだ。


 そうは言っても微妙な噂であった。

 単なる親バカの妄言と切って捨てたい所だが、四男であるジャン=ステラ以外に対してはこういった噂は流れていない。

 すなわち、親バカが高じた噂だと断定することは出来ない。


 もし、真実(まこと)にジャン=ステラが預言者だったなら、二歳にして言葉を流暢に話せても不思議ではないだろう。



 そのような状況下、教皇庁で盛んに議論が交わされたものだ。


「ジャン=ステラが預言者かどうか、判断することはできない」

「しかし、東方教会側は、預言者だと評価している」

「このまま放置しておくと、東方教会に預言者の身柄を奪われるかもしれない」

「その前に確保すべきだ」

「だが、辺境伯の子供は召喚できぬぞ」


 そして、教皇ウィクトル2世が判断を下した。


「われらローマ・カトリック教会こそが、先頭にたってキリスト教を導くものであるべきなのだ。

 未だ判断がつかないとはいえ、万が一にも預言者であった場合、東方教会へと連れ去られるわけにはいかない」


 教皇の発言に対して、枢機卿達は意見を述べ、そして具体的な手段を問う。


「それは、分かっております」

「我らの西方教会の権威は、東方教会の上にあるべきなのですからな」

(しか)り。聖ペテロの後継者である教皇が、東方教会の下風に立つことなぞ許されることではございません」

「しかし、どのようにして、かの者をこの地へと縛りつけるのですか」



 一頻(ひとしき)り発言が終わった頃を見計らい、教皇ウィクトル2世は一言発する。


「婚姻を使う」


 その言葉に枢機卿達は互いに顔を見合わせ、ひそひそと話している。


(婚姻?)

(誰と?)

(妻帯している聖職者の娘か?)

(それでは聖職者の不正や堕落が加速するぞ)

(では、俗世の娘か?)


 一人の枢機卿が疑問を声に乗せた。


「教皇猊下、預言者は聖職者ではないのでしょうか?

 ジャン=ステラが(まこと)に預言者であった場合、妻帯しているのは好ましくないかと」


 枢機卿達にざわめきが走る。

 教皇ウィクトル2世は、枢機卿たちが鎮まるのを待ち、疑問に答える。


「卿の言われること、ごもっとも。

 それゆえ、婚約の約束に留める予定である」


 神の前で将来の伴侶となる事を誓う儀式が婚約である。

 聖職者が「神の前」で宣言した事を破ることは許しがたい冒涜である。


 だから、婚約の約束に留めるのだ、と。



 教皇の決断が下った後、事は迅速に進んだ。


 婚約の約束相手の選定は教皇ウィクトル2世に一任となり、神聖ローマ皇帝ハインリッヒ3世の末娘のユーディットと婚約の約束が結ばれたのだ。


 ◇    ◆    ◇


 当時、助祭枢機卿であった私、イルデブラントはジャン=ステラ様の事を快く思っていなかった。

 いや、不愉快であり、忌むべき存在だっただろう。


 司祭を務めていた伯父を頼って聖職者になってから、どれだけの苦労を重ねたことか。


 己の才覚に自信があった私は、周りの聖職者を押しのけるように実績を重ねた。

 同じ平民出身の聖職者からの嫉妬の視線、それほどまでに目立ちたいのかという蔑みの言葉を何度受けたことだろう。


 それでも教皇にその才を認められ、助祭枢機卿に任命された時の喜びはそれに勝るものであった。


 貴族出身の枢機卿方に囲まれ仕事をし、諸侯の貴族方と対等に意見を交換する。

 時には、領地運営に助言する事もあった。


「神のもとに人は平等」

 貴族も平民も違いはないのだ。必要なのは己の能力。

 能力があれば教会組織で出世でき、貴族とも対等になれるのだ。


 そう信じていた。

 いや、信じようと心を歪め、耳目を塞いでいただけの日々であった。


 高位貴族の一員というだけで任じられた無能で若い枢機卿たち。

 彼らの仕事の肩代わりと、尻ぬぐいをする最も下っ端扱いの私。


 枢機卿という階位は同じであっても、貴族出身と平民出身とでは厳然とした違いが存在する。

 見たくない、聞きたくない現実がそこにはあったのだ。


 それを一際(ひときわ)意識させられたのが、ジャン=ステラ様の噂だった。


 産まれてまもないただの赤子が持ち上げられ、長い議論の対象となる。

 ジャン=ステラ様が平民の家庭に産まれたのなら、召喚という名目で誘拐し、教会が都合よく取り扱っただろう。


 それが、貴族出身という事で、繊細に取り扱われ、皇帝家との婚約を整えるにまで至ったのだ。


「神のもとに人は平等」

 その言葉の意味は、神の御前での平等であり、人と人の関係の平等は意味していない。


 私も頭では理解している。神の前では意味をなさない貴族や平民という区分は、ここ現世では重要な意味を持つことを。


 分かってはいても、悔しいのだ。

 神のお創りたもうたこの世界で、なぜこうも大きな区分が存在するのか。

 なぜ、私は平民出身なのか。

 貴族出身ならば、こんな事も感じないのだろうか。


 妬ましい。心底妬ましい。

 なぜ私が預言者でないのだろう。

 赤子と私の違いは一体、なんなのだろうか。

 悔しくてたまらない。これまでの努力を否定されたように感じる。

 狂おしいほどの嫉妬が心を渦巻き、私の体にまとわりついてくる。


 だが、その感情を露わにするわけにはいかない。

 聖職者の一員としては、抑え込まないといけない。

 なぜなら、嫉妬は七つの大罪の一つに数えられるのだから。


 では、嫉妬の()け口をどこへ向ければよいのだろうか。

 それは当然、預言者候補になる。ならざるを得ない。


 預言者候補への目線が厳しくなるのを意識しつつも、私は当然の事と受け止めていた。


 そのため、「ジャン=ステラは美食を追求している」との噂を聞きつけた時は、小躍りしたものだった。

 ようやく馬脚を(あらわ)したか、と。

 お前は預言者ではない。預言者だったとしてもそれは貪食の悪魔の預言だ、と。


 これもジャン=ステラ様と面識を得た後では、汗顔(かんがん)(いた)りである。

 今思うと、ジャン=ステラ様が七つの大罪の一つ、貪食に侵されていると思ったのは、私自身の罪悪感を写しとっていたのだろう。


 ◇    ◆    ◇


 さらに一年が経過する頃、教皇の代替わりがあった。

 ジャン=ステラ様に融和的だったウィクトル2世が亡くなり、ステファヌス9世が新教皇に立った。


 ステファヌス9世はトスカーナ辺境伯ゴットフリート3世の実弟である。

 そして、トスカーナはトリノと対立している。


 幸いにも、この状況を利用することで、私はジャン=ステラ様と面識をえるチャンスが巡ってきた。


 それも、トスカーナ女辺境伯マティルデ・ディ・カノッサ様の個人的な依頼によって、だ。


 公式な謁見には出てこないジャン=ステラ様だが、ご友人からの私的なお遣いの場には顔をだす事だろう。

 実際、その通りになった。

 トリノ城館の執務室にて、ジャン=ステラ様、そしてご母堂であるアデライデ様とお会いする機会を得たのだ。


 面会は最初、私のペースで進んでいった。

 トスカーナ辺境伯がイタリア王、さらには神聖ローマ帝国皇帝を目指す事を仄めかした後、トリノ辺境伯が妨害しないとの言質をとったのは、我ながら上出来だったと思う。


 しかし、上手く事が進んだのはここまで。


 預言者の化けの皮をはがしてやろうと、密かに思っていたにもかかわらず、3歳の幼児に手玉に取られてしまったのだ。

 助祭枢機卿として、才覚だけで教皇の片腕となった私が、3歳の幼児に、だ。

 いや、そうではない。預言者が相手では、当然の事なのだろう。


 ジャン=ステラ様の最初の印象は、英邁(えいまい)であるに過ぎなかった。


 よく話を理解できて、語彙の豊富な幼児。

 3歳としては異常であるものの、英邁なだけならば私も含め、この世に何十人といるだろう。

 英邁ではあるが、神々しさは全くない。

 神々しさどころか、威厳の欠片(かけら)も見当たらない。

 おもわず「貴族の矜持を持ち合わせてないのか」と口を滑らせてしまうほどだった。


 この言葉にご母堂のアデライデ様は激しく反応しお怒りになったが、一方のジャン=ステラ様は、どこ吹く風といった素振り。


 ジャン=ステラ様が馬鹿かアホかで、貴族の矜持が何か分かっていないとは思えない。


 何やら考え込んでいるジャン=ステラ様の口から「平民の矜持」といった言葉が零れ出るに至っては、私も認識を改めざるを得なくなった。


(平民の矜持? 平民にプライドという高尚なものがあると言うのか、この幼児は)

(平民出身の私が言うのもなんだが、泥水をすすって一日一日をなんとか過ごすだけの存在だぞ)


 そう、私の心の中にも平民を蔑む心が生きている。

 平民出身でも、私だけは違うのだ、という自負も持っている。


 やはり、おかしい。目の前の幼児は異質だ。


 それを確かめるべく、すこし()み砕いた質問をしてみる。


「ジャン=ステラ様。あなたにとっては、貴族も平民も同じ存在なのでしょうか」

「イルデブラント様、同じ存在とはどういう意味でしょうか。

 貴族も平民も人という意味では同じですけど、そういう意味ではないですよね?」


 やはり、そうですか。 そうだったのですね。


 ジャン=ステラ様、あなたの目に映る人々は、全て平等なのですね。

 貴族も平民も、富める者も貧しい者も。


 この世に生を受け、この世で育った只人(ただびと)では持ちえない。

 つまり、それは神の視点。


「ジャン=ステラ様。 あなたは神の代弁者なのですね」


後半へと続きます

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