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神に身も心も捧げた男、イルデブラント

今回は重いです。

内容が重い、というよりも、歴史背景の説明が重いです。

ジャン=ステラの敵方であるゴットフリート3世の陣営の説明と、ジャン=ステラの恋敵?が登場します。

 1057年8月下旬 イタリア北部 トスカーナ カノッサ城 イルデブラント助祭


 北イタリア随一の勢力を誇るトスカーナ辺境伯の本拠地として相応(ふさわ)しい威容を誇るカノッサ城。防衛拠点である城の御多分に洩れず、見晴らしの良い高台に(そび)え立っている。


 その城の客間から、細面の中年男性が夕暮れに沈む中庭を眺めていた。

 彼の名前はイルデブラント。現在カノッサ城を訪れているローマ教皇の側近の一人である。


「ゴットフリート3世の権力基盤は、思ったよりも弱いのかもしれないな」


 謁見室で行われたローマ教皇とゴットフリート3世との会談における廷臣たちの様子、そしてその後に行われた歓迎のうたげをイルデブランドは思い返す。


 トスカーナ辺境伯を支える貴族たちは喜色を浮かべる者と、憂いを帯びた者の2派閥に綺麗に分かれていた。


 我が世の春を謳歌しているのは(しん)ゴットフリート3世派。

 ゴットフリート3世がベアトリーチェと再婚した際に、ロートリンゲン公国(現フランス北東部)から連れてきた子飼いの部下たちである。


 これには理由がある。

 先日、ゴットフリート3世の弟がローマ教皇に就任したのだ。

 (いや)(おう)でも、ゴットフリート3世の勢力は増していく。

 (しん)ゴットフリート3世派もそのおこぼれに預かれる事は、彼らにとって確定した未来となっている。



 もう一方の派閥は、(しん)マティルデ派。

 彼女の父である前トスカーナ辺境伯ボニファーチオの指揮下で勇名を馳せた、地元トスカーナの戦士たちである。

 彼らの主人は、トスカーナ辺境伯の正統な継承者であるマティルデ・ディ・カノッサただ一人である。

 彼女が12歳に過ぎないため、母の再婚相手であるゴットフリート3世が一時的に実権を握っていることに不満ながらも我慢しているのである。


 我慢はしていても、感情はどうしても表にでてきしまうものだ。

 外来者であるゴットフリート3世子飼いの貴族連中が大きな顔をしているのが不愉快で、憤懣(ふんまん)やる方ないのだ。


 とはいえ、遠方からやってきた権力者の配下と、土着の民との間の確執はよくある歴史の一場面にすぎない。


 だが、親マティルデ派が憤懣(ふんまん)ではなく、憂いを帯びているのはゴットフリート3世の暴挙のためである。トスカーナ辺境伯家に(わざわ)いが(もたら)される事を彼らは危惧(きぐ)しているのであろう。


 彼らが危惧すべき暴挙も、ゴットフリート3世の弟であるローマ教皇ステファヌス9世と関係するのだ。



 先月末の7月28日に、ローマ教皇ウィクトル2世が急逝した。この事自体は、まぁいいだろう。悲しい出来事ではあるが、遅かれ早かれ人はいつかは亡くなるものだ。


 しかし、ウィクトル2世が後継者を指名する間もなく亡くなったのに、わずか6日後の8月3日にステファヌス9世がローマ教皇に就任したのは異常であった。


 例えば、ウィクトル2世がローマ教皇になったのは、先代教皇レオ9世の死後1年近く後である。これだけ長い時間を要する理由は2つある。

 教皇はコンクラーベと呼ばれる聖職者の互選で選ばれることになっている。しかし、「コンクラーベは根比べ」と日本語で揶揄されるように、なかなか決まらないものである。

 その遅れに拍車をかけるのが、教皇の就任にはローマ貴族の承認を必要とする規定のためである。


 教皇就任には、面倒なプロセスを踏む必要があるにもかかわらず、たった6日間での教皇就任である。

 なにか怪しいと感じない方がどうかしている。


 ゴットフリート3世は、これまで何人もの貴族を暗殺してきた。

 いや、暗殺の証拠はないから、暗殺したと噂されている人物である。


 今回は、教皇ウィクトル2世を(しい)したのであろう。

 そうであれば、6日間で就任というのも(うなず)ける。


 また、ウィクトル2世が亡くなったことで最も利益を得るのも、ゴットフリート3世である。

 なにせ、自分の弟が教皇なのだ。それも、ゴットフリート3世の武力を背景としての就任である。

 これも教皇暗殺の傍証となるだろう。


「現時点では疑惑でしかないが、神聖ローマ帝国の諸侯たちがこの事に気づいたらどうなるであろう?」


 イルデブラントは首を少し傾けつつ、未来の予想を試みる。


 帝国軍と諸侯軍を参集し、ドイツからイタリアのトスカーナまで攻めてくるだろうか。

 それとも、見なかったふりを決め込むだろうか。


「私としては、別にゴットフリート3世が滅んでもなんの支障もないのだがな。

 そうは言っても、教皇ステファヌス9世猊下を巻き添えにするわけにはいくまいて」


 イルデブラントにとって唯一無二の存在は、神とキリストの教えである。

 他に優先する事なぞ、存在しない。

 世俗の権力は神の為に存在すべきであり、権力のために宗教が使われることなど、到底許せる事ではないのだ。


 それほどまでキリスト教に傾注するイルデブラントは、トスカーナの農村で平民として生まれ育った。

 聖職者ではあるものの平民でしかないイルデブラントが、貴族連中と対等に話ができるのは「神の下に平等」という教えの賜物(たまもの)に他ならない。


 この教えがなければ、いくら優秀であったとしても平民風情が教皇の側近に抜擢されることなどありえない。

 なにせ、貴族にとって平民とは、家畜と同じく所有物でしかないのだから。


 自分の優秀さを自負するイルデブラントが、家畜扱いされる事を良しとするわけがない。


 だからこそ、イルデブラントを引き立ててくれたキリスト教は、彼のレゾンデートル、すなわち自身が信じ生きる理由であり、依って立つ土台なのである。


「世間が私を裏切ることはあるだろう。そして、私が世間を裏切ることもありうるだろう。

 しかし、私は決して神を裏切らない」

 イルデブラントが洗礼時に誓った言葉の通り、この男は生きていくのだろう。



 では、イルデブラントはどうすればよいのだろうか。

 教会の権威を守るためには、ゴットフリート3世の悪事を隠す必要がある。

 そのためには、ステファヌス9世が教皇として就任する事の正統性を説いて回るしかなさそうだ。


 イルデブラントが今後の行動方針を決めた頃、日はすっかり沈んでいた。



「…… アーメン」 (誠にそうでありますように)


 すっかり暗くなった石造りの客室に、イルデブラントの祈りの声だけが響いていた。

カノッサの屈辱の主役であるグレゴリウス7世の登場です。

グレゴリウス7世は教皇名で、教皇就任前はイルデブラントです。


グレゴリウス7世は平民出身のため家名はなく、単なるイルデブラントです。


マティルデ・ディ・カノッサとの不義密通相手として告発されたりしているイルデブラント。

本作では、ジャン=ステラの恋敵になるのでしょうか?

今後の展開を著者も楽しみにしています



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