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生理と衛生3

 1057年7月中旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ ジャン=ステラ


「その教会の教えは間違っています」


 お母さまの前で大見えを切ったものの、どうしよう?


 生理は罪じゃないし、病気でもない。

 ましてや、女性が毒を生み出すだなんてとんでもない。

 そんな事を教える教会は間違っている。


 人々を救うのが宗教でしょう?

 人類の半分は女性だというのに、それを(おとし)める?

 悪い冗談にしか聞こえない。


 そんな風に考えていたら、頭に血が昇ってきたのがわかる。

 心臓の鼓動が早くなってきた、なんだか腹がたってきた。



 でも、ねぇ。

 だからといって、「おまえがまちがってるー」って真っ向から教会を糾弾(きゅうだん)する?


 いや、それはさすがにまずい。それは宗教に詳しくない僕でもわかる。

 だって中世だもの。

 権力の半分は宗教に支配されているのだから、対立したら居場所がなくなっちゃう。


 そうなったら、新大陸に逃げちゃおっかぁ。

 そんな考えがふと(よぎ)る。


 いやいや、だめだめ。

 将来的にはともかく、今はまだまだ無理でしょう。

 だって、まだ方位磁針すら出来てないんだもの。


「やっぱり、なぁなぁに済ますしかないのかな」


 ちょっと冷静にならなないとね。

 そう思い、僕は二度、三度と大きく深呼吸をした。

「ふぅー」


 うん、ちょっと冷静になったかな。


 よく考えたら、「教会が間違っている~」と主張した所で、その根拠が薄いんだよね。


 お母さまは、生理と妊娠との間に関係があるとは知らなかった。


 そもそも体の仕組みだったり、血の役割とかについて解明されていないのかも。

 病気といっても、微生物の存在は知られてなさそう。

 だって、生まれ変わってから望遠鏡も顕微鏡も見たことがない。

 それどころか、虫眼鏡すらない。


 そもそも透明なガラスがないから、無理ってものだよね。


 トリノはガラス器の産地。

 執務室の机の上には、白湯が入ったガラスが置かれている。

 しかし、その色は濁っていて透明とは程遠いのだ。


「はぁ」

 がっかり、へにょんだよ。


 お母さまに大見えを切ったものの、生理が何かどころか、病気の原因が何かすら説明できそうにない。


「もう、前世の知識の役立たずめ!」



 まとまらない考えを頭の中でぐるぐる回転させていたら、お母さまが僕の顔を覗き込んでいた。

「ジャン=ステラ? 急に大声をだしてどうしたのですか?」


「へ?、僕、叫んでましたか?」


「ええ、『前世の知識の役立たずめ』って叫んでましたよ」


 あちゃぁ、考えていたことが声に出てしまっていたみたい。


「お母さま、驚かせてしまい、ごめんなさい」

「いえ、それはいいのですよ。

 教会が間違っているといった後、ずっと黙り込んで百面相してたから、ちょっと心配になったのです」


「百面相、ですか?」

「ええ。急に怒りだして、手をぶんぶん振り回す。

 そうかと思えば、うつむいて考え込んでいたりと、ずいぶん感情が表にでていましたよ」


 ちょっと心配そうなお母さまが僕に優しく微笑んできた。


「ジャン=ステラが神様から与えられた預言が、教会の教えと異なることはわかりました。

 けれども無理はしなくてもいのですよ。

 正しい教えは、時間がかかっても、きっと広まりますからね」


 私はいつでもあなたの味方ですからね、とお母さまは僕を抱擁してくれた。

 人にだっこされるって気持ちいい。

 暖かくて幸せな気持ちになれるよね。


 それと同時に、抱っこされた腕の中で困っている僕もいる。

 お母さまと僕とでちょっと悩むポイントがずれちゃっているのだ。

 どうしたものかなぁ。


 僕は、科学として生理や病気を説明できなくて困ってた。

 一方、お母さまは「預言だから正しい」と、考えを放棄していた。


 ん-ん、放棄っていったら怒られちゃうよね。

 お母さま、そして中世の人たちにとって、神様は絶対的存在なんだよね。


 こんな所にも中世と現代との考え方の違いがでてるのかもしれない。


 神様の教え、その重みが全く違う事を、今とっても実感している。


 だったらいっその事、「預言を疑う奴が間違っているのだー」で押し通しちゃう?

 うーん、押し通せそうなのが、なんだか怖いな。


 それに、僕がその流儀が好きじゃないのだと思う。

 正しいかどうかをチェックしたい。

 神様が言う事は正しいのだ、などと思考停止したくない。


 きっと、これが義務教育の成果なのだろうね。そんな言葉が頭の片隅に浮かんできた。


 だけど、まぁね。

 新大陸を発見するために預言を使おうとしている僕がいう事じゃない気はしているよ。

 だから、「人間は矛盾した存在なのだー」って哲学的に誤魔化しておこうっと。



「お母さま、だっこ嬉しかったです」

「あら、もういいの?」


 僕を抱えるお母さまの腕をタップして、解放してもらった。

 ちょっと名残惜しそうなお母さまに、お願いをする。


「今回の事をどうするかについて、聖職者からお話を聞きたいのですが、だれかいません?」


 どうするにしたって、聖職者から話を聞かないと話が始まらない。

 だれがいいだろうか、お母さまと相談する。



「そうねぇ、アイモーネが一番いいでしょうけど、アルプスの向こうがわですものね」


 一番の候補は、従兄のアイモーネお兄ちゃん。

 だけど、ベリーの司教としてアルプスのフランス西側に赴任しちゃって不在。


 次点で、アトス山の修道院で高名だったイシドロス・ハルキデイキ司教。

 こちらは、ローマ教皇の手紙をもって東方教会の本拠地コンスタンチノープルに出かけている。


「生理の事を話すのなら、女性の方がいいのではないかしら。

 でしたらユートキア 輔祭が良いと思うわ」


 たしかに生理について話すには、女性の方が僕も気が楽だと思う。

 お母さまの勧めに従い、修道女であるユートキア ・アデンドロ輔祭を呼び出してもらうことにした。


 ◇  ◆  ◇


「トントン」

 執務室の扉を叩くドアノッカーの音に続いて、執事がユートキアの到着を告げてくれた。


「アデライデ様、ジャン=ステラ様。ユートキア様がお見えになりました」

「ありがとう。部屋に通してくださいな。その後は、人払いをお願いします」


 スクフィアと呼ばれる外出用の黒い帽子をかぶり、修道女の服に身を包んだユートキアが執務室に入ってきた。


 女性に年齢を聞くのは失礼なのは中世でも同じ。

 正確にはわからないけど、ユートキアは多分お母さまと同じぐらい。

 聖職者にふさわしく、見る者を包み込むような柔らかな笑顔を僕に向けてくる。


「ねぇ、ユートキア。生理について話をしたいのだけど、いい?」

「生理ですか?」


 挨拶も早々に、僕はユートキアに生理の話を切り出した。

 そんなユートキアは不思議そうに首をかしげている。


 何の前触れもなく、生理の話をされたら面食らうよね、やっぱり。



「女性の生理について、教会が教えている知識を教えてほしいの」


 先日、お母さまが生理になったときの顛末をユートキアに説明し、続いて教会の教えと僕の知識との違いを知りたい事を伝えた。


「アデライデ様のおっしゃる通り、教会では生理を原罪と伝えていますし、食物の育ちを悪くする困った病気だと教えています」

「お母さまがおっしゃっていた通りだったのですね」


 ぼくは、教会の教えにガッカリし、おおきく肩を落としてしまった。


 お母さまから聞いていたけど、改めて本職である聖職者の口から聞くと、衝撃も大きい。




「僕の知識と教会の教えは、どうしても対立しちゃうよね」

 はぁ、という溜息とともに、愚痴が口からこぼれ出るのを止められなかった。



 小さな声だったつもりだったけど、その言葉はユートキアの耳に届いてしまっていたみたい。


 少しの間、首をかしげながら思考をめぐらしていたユートキアだったが、僕の憂慮を否定してくれた。


「いいえ、無理に対立することもないと思いますよ」

「ユートキア、それはどうしてでしょう。生理が原罪でないなどと説いたら、キリストの教えを否定することになりませんか?」


 僕に代わって問いかけたお母さまに対して、ユートキアは首を横に振り、大丈夫ですよと微笑んだ。


「モーセの律法で、たしかに生理は不浄扱いされています。一方で主イエスは祝福により生理の病を癒されたという教えが聖書に記されているのです。


 お聞きする限り、ジャン=ステラ様がお求めなのは、生理を通した女性の不当な扱いをなくすことですよね。

 そうでしたら、ジャン=ステラ様の預言により、生理に祝福をお与えいただければ、万事解決するでしょう」


 キラキラと目を輝かせたユートキアが、神々しいものを見る目で僕を見てくる。

 ある意味、さすが聖職者。素で祝福という奇跡を僕に要求してくるとは。

 神を信じて疑わないだけのお母さまより、よっぽど悪質、じゃなくて、信心深い。



(あのね、ユートキア。そんな期待に満ちた目で僕をみないでよ)

 思わず「うっ」とたじろいちゃったじゃない。


 たしかに、ユートキアが言う通り、僕が奇跡パワーを使う事ができれば、生理を原罪でなくせるかもしれない。


 でも僕は祝福という名の神の奇跡なんて与えられない。それは不可能というもの。

 だって、持っているのは前世の知識だけだもの。



 逆に言えば、知識を役立てる事なら僕にも出来る。


「ユートキア、僕には祝福を与える事はできないよ」

 と僕は首を横に振った。


「でもね、預言を使って少しでも女性の不浄扱いを減らすことはできると思ってる」


 不潔な環境で、血を放置していたら、病気の元になる事だけは間違いない。

 特に、皮膚回りは酷い事になっているだろう。


 だったら、神に祝福されるために清潔にしましょう、という事くらい宣伝できる。


 特に女性が清潔にする習慣を身につけてくれたら、母子(とも)に出産で命を落とすことも減るはず。


「ユートキアが言いたいのは、これまで教会が説いてきた教えを否定しない方がいい。

 教会と対立するよりも、女性の暮らしをよくするための(じつ)を取れっていうことだよね」


「祝福をお与えいただけないのは残念でありますが……。

 はい。ジャン=ステラ様のおっしゃる通りです。

 私自身としましても、女である事が罪な事に幾夜(いくよ)も悩んだものです。

 ジャン=ステラ様のお言葉だけでも、既に私は心が救われた思いでいます」


「あぁ、神に感謝を」と十字を切るユートキアはさておき。


 女性であることが罪って思い込んでいるのは、生きていて辛かっただろうね。

 僕の言葉がユートキアの役に立ってよかったよ。


 この後、きっとユートキアを通じて僕の言葉は勝手に広まっていくのだと思う。

 口に戸は立てられないというから仕方ないよね。


 これからは僕の言葉が嘘だと言われないよう、不浄じゃなくし清潔にする方法を考えていかないとね。

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