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陣幕と母衣3

 

 1057年2月上旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ ジャン=ステラ


「これだ!」

 シルクの反物を手に僕は叫んでいた。


 転生前の楽しかった記憶が僕の悩みを解決してくれる事に、はっと気づいた。


 前世で映画監督に教えてもらったシルクの使い道である、陣幕と母衣。

 シルクって服に使われるだけじゃない。

 矢を防ぐためにも使える。


 という事は、だ。

 このシルクを使えば、アデライデに射かけられる矢を防ぐ事ができるだろう。


 父オッドーネは、毒矢によって暗殺された。

 なにせ、一度成功しているのだ。

 暗殺を使嗾(しそう)したゴットフリート3世は、再度同じ手段で暗殺を試みるだろう。

 なんとしてでもアデライデが同じ手段、つまり毒矢で暗殺される事を防がねばならないのだ。


 そんな決意を胸に秘めた僕に、アデライデをはじめ執務室にいた人々の目線が集まってくる。


 僕はその目線に気を留める事もなく、興奮した口調でアデライデに向かってまくしたてた。


「これですよ、お母さま、これ。このシルクで行軍中の暗殺を防げます」


 服を作る目的でシルクについて説明していたアデライデは、突然変わった話題に頭がついていっていないようだ。

 きょとんとした顔でジャン=ステラに問いかけてくる。

「あの、ジャン=ステラ。今は服を作る布を選んでいたのではなくて?」

「そうだったかもしれませんが、服を作るよりも重要な事を思いついたんです。

 お母さまは近々出陣されますよね」

「ええ、その通りよ」


 父オッドーネの暗殺を命じた犯人であるトスカーナ辺境伯ゴットフリート3世。

 暗殺の成功を受けて、ゴットフリート3世がトリノ辺境伯領へと軍を進める可能性について、アデライデと僕は議論を重ねてきた。


 その結果、オッドーネ亡きあとのトリノ辺境伯が一致団結しており、迅速に軍を招集できることを示せば引き下がるだろうと予想したのだ。


 ただし、軍を率いてはいても、道中でアデライデがオッドーネ同様に暗殺される懸念があった。

 もしここでアデライデまでもが暗殺されてしまったら、トリノ辺境伯家は滅亡してしまう。


 だからこそ、暗殺を防止する事は死活問題なのである。


「このシルクで矢を防ぐのです」


 前世で監督から教えてもらった知識をもとに、僕は陣幕と母衣について母に説明をした。


「陣幕とは、司令官がいる陣地を囲む、上側だけを固定したシルク布の事です」


 司令官の周りを布で囲むことで、要人を隠す事で弓の照準が付けられなくなる。

 もし、闇雲に矢が射かけられたとしても、下が固定されていない布が受け止めてくれる。


「この薄いシルクを使って、ですか? キルトみたいな厚手の布地の方がよくありませんか」

 アデライデが当然の疑問を口にする。


「その疑問はもっともです、お母さま。でもシルクじゃないとダメなんです」


 矢を防ぐには、編み目の細かいシルクが最高なのだと、ただし映画監督の事は伏せつつ力説した。


「それに、軽い布じゃないと、矢を包み込んでくれないんですよ。

 キルトみたいな重い生地だと、矢が貫通しちゃいます。

 さらに、持ち運びにも軽いシルクの方が便利です」


 体が前傾するくらい力を込めて僕は話したのだが、アデライデは渋い顔して何やら考え込んでいる。



「あのね、ジャン=ステラ」

「なんですか、お母さま」


 少したってから少し言いにくそうにアデライデが口を開き、一方勢い込んでいる僕はアデライデの言葉に重ねるように言葉を返した。


 なおもアデライデは言いにくそうにしていたが、意を決したのか真剣な目を僕に向けてきた。

 僕も居住まいを正して、母の言葉を待った。


「あのね、そのシルク、すごーく高いのよ」

「はい?」


 いや、たしかにそうかもしれない。

 中国から遠路はるばる運んできたのなら、すごくすっごく高いのだろう。


 でもね、お母さま。服よりも重要な事があるでしょう?

 服はまた作れるけど、お母さまの命は一つだけなのだから。


「お母さま!」

「は、はいっ」


 力強く放った僕の言葉に、アデライデの体がびくっと硬直し、背筋がピンと伸びたのがわかった。


「今はそれどころじゃないでしょう。高くても安くても、トリノ辺境伯家が滅んでしまったら、何も残らないじゃないですか。今は暗殺対策を優先してください」


 なおもアデライデは逡巡しているようだ。


「お母さま、何を躊躇うことがあるのですか?」

「あのね、ジャン=ステラ。高いだけではないの。次はいつ手に入るかわからないのよ」


 そうか、高いだけじゃなかったのか。

 でもね、養蚕の仕方なら歴史も含めて農業高校で教えていた。

 11世紀ならエジプトやコンスタンチノープルで細々ながら養蚕が始まっている。


「大丈夫です。シルクの作り方なら知っています。

 東ローマ帝国までシルクの作り方は伝わっていますから、時間があれば僕がトリノで作ります」


 前世の知識うんぬんはこの際問題でない。

 ここでトリノ辺境伯家が滅んでしまっては困るのだ。

 だから、力強い言葉で僕が作ると宣言をした。


「そう。そこまで言うのなら、好きに使っていいわよ」

 アデライデはシルクの表面を手で撫でつつ名残惜しそうだったが、僕に託すと決断してくれた。


 そして僕ににこやかに笑いかけてくる。

「できるだけ早く作ってね、このシルク。楽しみにしているわ」

「前向きに善処します……」


 うぐぅ。

 やらないといけない事は沢山あるのになぁ。

 それに、暗殺を防ぐのはお母さまのためでもあるのに。というかお母さまが当事者でしょ?


 内心の不満を抑えつつ、前世の職場で使っていた玉虫色の言葉をアデライデに返すジャン=ステラなのであった。


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