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青銅器

 1068年6月下旬  イタリア カノッサ城 ジャン=ステラ(14歳)


「ここから先は、家族だけで話をします。護衛も含め執務室から出るように」


 アメーデオお兄ちゃんの演説の効果は絶大だった。執務室にいた諸侯たちだけではなく、冷静であることが求められる護衛や執事まで、誰もが一様に顔を高揚させている。


 例外はただ一人。マティルデだけが作り笑いを貼りつけていたことに、僕はすぐ気づいた。


 そのマティルデがすこし厳しめの口調で、アメーデオお兄ちゃん以外は執務室から出ていくように命令した。


 執務室の扉を護衛が閉めた途端、間髪入れずに、マティルデがアメーデオお兄ちゃんに詰め寄った。


「トリノ辺境伯家は、神聖ローマ帝国から独立するのですか!」


「しー! マティルデ様、声が大きいです」

 扉の外には護衛がいる。聞き耳を立てているかもしれないと、アメーデオお兄ちゃんが指摘する。


 しまったとばかりに顔をちょっとの間しかめたマティルデだったが、不満を表す勢いはそのままに、声だけ落として本題を続けた。


「アメーデオ様が諸侯の士気を上げてくださった事には感謝しております。ですが、事前に相談もなくトスカーナを巻き込まないでください!」


 あ、なるほど。マティルデが怒っているのは、そういう事だったのか。



「イタリアの大地をイタリア人のものに!」

 アメーデオお兄ちゃんが飛ばした檄は、トスカーナとトリノの両辺境伯家が皇帝ハインリッヒ四世の支配を脱し、王位を奪い返すという宣言に他ならない。


 そりゃ、事前相談がなければ、マティルデも怒るよね。


「確かにマティルデ様の立場からすれば、そのとおりだと思います。事前の相談なく、トスカーナの運命を決めてしまった事を、トリノ辺境伯アデライデに代わり謝罪いたします」


 マティルデに謝意を示すアメーデオお兄ちゃんだったが、そこで言葉は終わらなかった。僕をちらっと見た後、トリノ辺境伯側の事情を述べる。


「ですがトリノ辺境伯は、トスカーナ辺境伯と神聖ローマ帝国の戦いに巻き込まれたのです。その点を勘案していただきたいものです」


 昔っから気の強かったマティルデが言いっぱなしで終わるわけもなく、すぐに反論を飛ばす。


「今回の戦争の発端となった離婚騒動は、いずれもトリノ辺境伯家の姫君ですわ。むしろトリノ辺境伯家のお家騒動にトスカーナは巻き込まれたのですよ」


 たしかに、そのとおりなんだよね。

 皇帝ハインリッヒ四世が離婚を宣言したベルタは僕のお姉ちゃんだし、シュヴァーベン大公が離婚すると言ったのもアデライデお姉ちゃん。


 トリノ出身である二人が原因の戦争で、トスカーナが迷惑しているといえなくもない。


 プリプリ怒るマティルデに対して、涼しげな顔でアメーデオお兄ちゃんが開き直った。


「そもそもの原因はジャン=ステラだろ?」


 鳩が豆鉄砲をくらったかのような表情を浮かべたマティルデが、僕をチラ見しながら「はぁ」と盛大にため息をついた。


「たしかに、そうですわね……」



「なんかごめん」


 僕はとりあえず小さくなって謝っておいた。

 ここで、「元凶はハインリッヒ四世でしょ!」と主張したって何も情勢は変わらないものね。



 すこしの気まずい沈黙の後、マティルデが「こほん」と咳払いをした。


「原因探しは終わりにしましょう。それよりもアメーデオ様は、ハインリッヒ率いるドイツ軍をどうやってイタリアから追い返すつもりなのですか」


 それは僕も気になっていた。


 ーー イタリアの地をイタリア人の手に取り戻す。


 そのスローガンはいいけれど、実現できなければ絵に描いた餅でしかない。


「なに、簡単なことですよ、マティルデ様。ジャン=ステラの雷をドイツ軍に落とせばいいのですよ」


 アメーデオお兄ちゃんが、しれっと無茶苦茶なことを言い出した。


「んなことできるかー!」

 僕に雷を呼び出せるわけないじゃん。せいぜいが静電気どまりだよ。


 それはアメーデオお兄ちゃんだって知っているはず。


 それとも、僕が奇跡を起こせると本気で信じ込んじゃった?!

 アデライデお母さまが、ずっと流布させてきた噂話を、身内であるお兄ちゃんが真に受けちゃったの?!


 アメーデオお兄ちゃんの思わぬ言葉に、頭が混乱しそうになる。



「アメーデオお兄ちゃん! 何言ってんの! 僕が雷を落とせるだなんて本気で思っているの!」


「そうですよ、アメーデオ様。ジャン=ステラは神の知識を授かっただけの預言者で、奇跡は起こせないのですよ。そのことは、ジャン=ステラの家族であったアメーデオ様もご存じのはず!」


 今では僕のことを一番理解している、マティルデも僕に追随した。


 それなのに、アメーデオお兄ちゃんったら、ニヤニヤと嬉しそうに笑ってるんだよ。



「だいじょうぶ、だいじょうぶ。問題ないって」


 アメーデオお兄ちゃんが、僕たちが間違っていると言いたげに、右の人差し指を左右に振っている。


 なんだか心配になってきた。お、お兄ちゃん、大丈夫?

 どこかで頭を打った?


「あのなぁ、ジャン=ステラ。もう少し俺を信じてくれてもいいんじゃないか?」


 肩をがっくりと落とす仕草をするアメーデオお兄ちゃんだったけど、いたずらっ子みたいな目つきになってる。


 マティルデもそれに気づいたみたいで、アメーデオお兄ちゃんの真意を問いただす。


「では、ジャン=ステラが雷を落とすとは、どういう事ですの?」


「うん、ではその秘密を話すとしよう!」


 アメーデオお兄ちゃんの声が弾んでいて、めっちゃ嬉しそう。


「トスカーナ辺境伯家でもバクチクは使っているだろう?」


「もちろんだよ、お兄ちゃん」


 僕がトリノ辺境伯領にいた頃に開発した爆竹(バクチク)は、マティルデの嫁盗りにも使った兵器だもの。


 騎馬突撃の前に敵の馬を驚かせたら、それだけで自軍の勝利が約束されるような反則技だから、当然、トスカーナの騎馬にはバクチクの音に驚かないよう、日々、訓練している。


「じゃあ、そのバクチクの火薬を作ったとき、作業小屋が空高く吹っ飛んだことは覚えているか?」


 もちろん、今でも鮮明に覚えている。


 アルベンガ離宮にいたあの日、轟音が城を揺らし、小屋の屋根が空に舞った――あの光景は忘れようがない。


 何人もの犠牲者がでた後悔の記憶とともに脳に焼き付いている。


「まさか……。火薬を使った武器の開発を続けていたの? 僕は止めたはずだよね」


「ああ、そのまさかだ。ジャン=ステラの言っていた大砲って奴を、アデライデ母上がこっそり開発した」


 バクチクを作っていたから、火薬の生産は問題なかった。砲弾も石を丸く加工することで、結構簡単にできた。


 しかし、砲身の生産は困難を極めたと、アメーデオお兄ちゃんが語る。


「鉄って案外もろいのな」


 火薬が少ないと石のボールが飛ばないのは当然として、入れすぎると鉄の砲身はすぐに暴発し、周りが死屍累々と化す。


「だから、砲身は青銅で作ることになった」


 青銅の方が粘り気があって暴発しにくいし、なにより教会の鐘を作るための鋳造技術が応用できた。


「問題があるとすれば、青銅の方が値が張ることだが、背に腹は代えられないしな。


 それに実績もばっちりあるんだぞ。


 この大砲を使って雷を呼び、石を降らせることで、ピエトロ兄貴はドイツ軍に勝ったんだからな」


 アメーデオお兄ちゃんが淀みなく語る大砲開発のお話を、僕は気が遠くなりそうなのをぐっとこらえて聞いていた。


 いや、聞くというよりも、聞き流すといった方が適切だったと思う。


 脳裏に浮かぶのは、暴発した大砲で亡くなった人々の姿。


 暴発だって一度や二度のはずがない。技術開発に犠牲はつきものとは言うものの、一体何人の技術者が大砲開発で亡くなったのだろう……。


 それを思うと、目の前が暗くなってくる。


 でも、分かってはいる。大砲が必要なのだと。大砲の開発を進めたアデライデお母さまの判断は正しかったのだと。


 大砲がなければ、シヨン城でピエトロお兄ちゃんはドイツ軍に負けただろう。負けたら捕虜になったり死んじゃったりしたかもしれない。


 大砲がピエトロお兄ちゃんを救った。それに、大砲があれば、ハインリッヒ四世をイタリアから追い出すこともできるだろう。



 数日前には僕だって「大砲を開発していれば……」って後悔していたくらいだもの。大砲が必要なことは頭では理解している。


「アメーデオお兄ちゃん、何人くらい大砲の開発で亡くなったの?」


「さぁ、詳しくは知らないが、20人くらいじゃなかったかな」



 鉄で砲身を作ろうとして、鍛冶職人とその手伝いがたくさん亡くなった。アルベンガ近郊だけでは人手が足らず、近隣からも鍛冶を呼び寄せたが、その人材も使い果たした。


 しかたなく、教会の鐘を作る職人に青銅砲を作らせたら、偶然うまくいったのだとか。


「鐘も大砲も、真ん中に穴が空いている事は一緒だしな。まさに怪我(けが)の功名ってやつさ」

 と、アメーデオお兄ちゃんが薄く笑ってる。20人も亡くなったのに……。


 胸が締め付けられて苦しい。


 けど、アデライデお母さまなら、平民の命なんてお構いなしに命令したんだろうな。

『平民の命と新兵器。どちらが重要かなんて考える必要もないでしょう?』


 それがわかるからこそ、気持ちが重く、深みへと沈んでいく。



 そんな僕をマティルデがぎゅっと抱きしめてくれた。

 暖かい体温と、マティルデから漂ういい香りが僕を包み込む。そして、僕の意識は真っ暗に……。


ーーーーー

ア:アメーデオ

マ:マティルデ


ア:ジャン=ステラって結婚しても成長してなかったんだな……

マ:貴族としては失格ですわよね(寝息を立てるジャン=ステラの頭を優しくなでる)

ア:このままでトスカーナの統治は大丈夫なのですか?

マ:統治くらい私でも出来ますわ。でも……

ア:……

マ:ジャン=ステラは誰にもできないことができるのです。それで充分ではありませんか

ア:まぁ、そうですね。(預言者だもんな)

マ:それに、来年はピザという新しい料理が食べられるのですよ! 私、もう今から楽しみ楽しみで!

ア:(あちゃぁ、ジャン=ステラ色に染められちゃったかぁ。トスカーナの統治、本当に大丈夫か?)


マティルデだってイタリア人だもの。食にはこだわって欲しいですよね。


しかし、それが不安の種になってしまうアメーデオお兄ちゃんなのでした。

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― 新着の感想 ―
うーむ、ジャン=ステラはちょっと精神的に弱すぎる気が(^_^;) もう少し図太くなって、中世の常識を身に着けた方がいいと思う(^_^;) アデライデお母様はさすがです! 大砲の開発に成功したのね(*…
まあ、ジャン君が旨くやれば、未来の犠牲は減る?減るよね?頑張って
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